皆様こんばんは、お元気でお過ごしですか?
今日から9月に入り、夏休みも終わりましたねぇ。
暑い夏だったという記憶も薄れてしまうほど、急に気温も下がりここ数日は生憎の天気となっています。
今年は戦後70年の節目ということで、テレビなどでは特集が多く組まれていました。
中でも8月5日に下田港灯台沖で発見された「海龍」には衝撃を受けました。
そして昭和53年に網代沖で引き揚げられた海龍が、呉の「大和ミュージアム」に展示されているのを思い出しました。
そんな中、先日受けてきた講義(近代日本政治史特殊)の内容を少しだけ紹介したいと思います。
「海ゆかば」という歌をご存知でしょうか?
私はまったく聞いたことがありませんでした。
知り合いの年配の方々に聞くと、みなさんすぐに口ずさんでくれました。
そして、「懐かしい」「泣けてくる」という感想でした。
「海ゆかば」
海ゆかば 水漬く屍
山ゆかば 草むす屍
大君の 辺にこそ死なめ かえりみはせじ
(天皇のそばで死ねるなら何の後悔もない)
作詞:大伴家持(万葉集十八巻より)
作曲:信時潔(戦後多くの校歌を作曲しています)
明治憲法における天皇解釈、美濃部達吉「天皇機関説」が発表され、
それに尊王主義や国家主義(主に貴族院)が批判をした。
昭和10年当時の「国体明徴運動」から文部省が『国体の本義』を出版。
日中戦争が起こり「国民精神総動員運動」のテーマ曲として使用される。
しかし、思ったよりも国民には受け入れられずレコード化したものの売れなかった。
その後大政翼賛会によって再び注目され、戦争末期に国民に広く浸透するようになった。
その理由は…
戦禍厳しい中、学徒出陣や特攻などの出撃の時にみんなで歌って送り出した。
またラジオによる大本営発表などの玉砕報道の時には必ず流されていた。
この歌の持つ特徴、哀愁漂う短調、まるで讃美歌のような曲調…これが無念や悲壮感、追想の念を思わせ
厳しい戦時下のレクイエム(鎮魂歌)として大ヒットすることになった。
「君が代」に次ぐ準国歌としてすべての日本人が知っていたのである。
昭和20年8月15日終戦から、GHQによる検閲と統制によって「海ゆかば」はこの世から封印されてしまった。
そしてこの歌は忘れさせられてしまったのである。
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その一つの例として、小津安二郎の「父ありき」という映画がある。
満州に攻め入ったロシアによって、没収された映画の原盤が戦後モスクワで発見され、
この映画の最後のシーンで「海ゆかば」が流れていることが分かったのである。
↑1942年4月。上映作品は映画配給社による白系第1回封切作品『父ありき』(松竹、小津安二郎監督)
この作品は2004年にNHKで放映されたが、未だに「海ゆかば」は流れることはなかった。
いつになったら統制のかからないオリジナルを見ることができるのだろうか。