東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

みおつくし

2011-07-10 23:47:06 | 日記
 先日、リーガロイヤルホテルのB2にある「みおつくし」という割烹料理屋で食事をした。
初めて入った店内は金曜日ということで?かなりの混雑。予約していなかったので喫煙席しかなかった。
ここの料理は近来になくイマイチだった。
何を注文しても一流ホテルの高飛車な料金なのに、どれも何を食べているのか分からないような味付けだった。

喫煙席はテーブル上の照明も行き届かず、器もどうか? 量的にも「えっ?」で、ますます何を食べているか分からない。

他にも有名店はいっぱい入っているので、ここへはもう行くことはないだろう。
ただ、お酒で〆張鶴が置いてあったのは良しとしよう。。。そればかり飲んでいた。

『みおつくし』といえば大阪市の紋章だ。市章に制定されたのは1894年(明治27年)。
水路を縦横に整備したから浪花の商業は発展したともいえるが、湾の入り江はもとより土佐堀とか堂島、
道頓堀など川や堀で 又 そこに入る前の淀川や大川で船を安全航行(船が浅瀬に乗り上げないように)
させるため標識(みお つ くし)が打たれていた。
水路案内の役目をしていた「みおじるし」である。
『みお』というのは、澪(みお)。。。 舟が航行できる水路のこと。
『澪近くにつきさす串(串の木)やから『みおつくし』という。

澪の標識(みおのひょうしき)、言うなれば点滅も何もしない信号機(木)ということか・・・
黙って身をつくしてくれる人 そういう意味が「みおつくし」という単語には込められているとも…

他の都市の紋章もみてみると・・・

仙台市の紋章は、三ツ引両(竪引両)から考案されたもので、仙台市の「仙」の字を図案化。
 三ツ引両は、伊達家の紋章で、始祖である朝宗が幕の紋横画徽章として、源頼朝から賜ったものを
竪引両に改めて使うようになったと言われている。
伊達家では、この三ツ引両を「竹に雀」よりも古くから使ったようで、仙台城内の書院、場内櫓の巴瓦、
社寺建築にも見られる。


鹿児島市の紋章・・・
天下第二の雄藩として近代日本の黎明期に多くの功績を残した
薩摩藩主「島津家」の紋章。。。言わずと知れた「丸に十の字」に「市」の文字を図案化したもので、
四方の矢印は四方八方に発展する市の姿を象徴している。


これは、京都市の紋章。 
放射状に6方向に伸びる線は、ダビデの星に酷似。
この紋章は、漢字の 「京」 の形をイメージして創られたのだと考えられている。
京都に一大勢力を誇った秦氏の拠点で、その名前からついた地名に 「太秦(うずまさ)」というのがあるが、
その地域の紋章はダビデの星であった。。。

神戸に行くと電車から見える市章山の電飾や市庁舎1号館で知られる市章は、

歴史的仮名遣である「かうべ」の片仮名「カウベ」の「カ」をデザインして1907年に制定された。
扇港と呼ばれた旧兵庫港(大輪田泊)と旧神戸港の2つの港の形と、港湾に因む錨のイメージも持たせてあるといわれる。

最後は東京。。。

1889年(明治22年)12月の東京市会で市のマークとして決定されたものが、そのまま昭和18年の
東京都制施行に際し、東京都の紋章として受け継がれた。
紋章の意味は東京の発展を願い、太陽を中心に6方に光が放たれているさまを表し
日本の中心としての東京を象徴している。 昭和18年11月2日付で告示され、東京都の正式な紋章とされた。

何にしても由来、歴史はあるが、、、
黙って「身を尽くし」てくれるような公僕は、今の世の中にはいそうもないな~。。。

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