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長山古墳

2013年08月03日 21時03分56秒 | Weblog
「幻の古墳」見つかる 百舌鳥古墳群最古級、4世紀築造−−堺の住宅地
長山古墳「再発見」 きっかけは町の研究者

長山古墳発掘調査現地説明会を開催しました    堺市
「長山古墳(NGYK-1)現地説明会資料」(PDF:1,135KB)


「幻の古墳見つかる 百舌鳥古墳群最古級」の新聞の見出しに、これは行かねばと、酷暑の中を出掛けました。
現説会資料を参考にしながらご覧ください。





  この辺りは前方後円墳の前方部で7~8m程の墳丘があった場所です




  周壕           葺石           前方部


           江戸時代の文献などの説明

     『堺鑑』衣笠一閑 武村市兵衛板行 貞享元年(1684)
      「武内宿禰墓
       大仙陵ヨリ坤ニ當リ三國山ヨリハ午未ノ方也
       武内ハ應神天皇ノ臣也世人長塚山ト云リ」

     『田畑の絵図』    享保九年・十三年(1724・1728) 
      前方後円墳の形裾の輪郭や濠を取り囲む形の畦が
      描かれており前方部に当たる部分は田畑ではなく
      緑色に塗られており長塚の文字が書かれている。

      他の文献にも「長塚山」、「長塚」、「武内宿禰墓」と
      あり、明治時代に入っても踏襲されている。

      昭和初期に前方部も削られ、忘れ去られた。

      1972(昭和47)年 考古学会の雑誌
      享保の絵図が検討されこの場所に古墳があったと
      発表されて以降、堺市の遺跡として認識された。


  
         一直線にきれいに並んだ基底部と葺石
     葺石とは盛土した斜面が崩れないように敷き詰められた
     石のことで、ここではおよそ22度の傾斜角で敷き詰め
     られている この角度は他には見られない緩やかなもの

     勝手な推測:土木技術が未熟で、緩やかにしか盛土でき
     なかったのでないだろうか それとも土質の問題かな?
     いやいや、何か意図的なものがあったのかも 謎ですね


  未発掘部に見える多くの石は、何らかの理由で上から崩れ落ちた葺石


           取り除かれたものがこれら
        崩れた葺石を取り除く過程で埴輪などの
        出土品が数多く見つかり、それらから仁
        徳陵より古く、百舌鳥古墳群で最も古い
        4世紀後半の前方後円墳だと推定される


  
              車輪石出土地点



        車輪石(説明は現説会資料にあります)




    区画の境界を示すがごとく縦に並べられたと思われる石の列
    他の古墳では斜めのものも見つかっており、葺石を敷くため
    の割付(作業単位)を行なうためのものと考えられている


            差し込まれている葺石
      葺石は土の上にただ置かれたのではなく、縦長の
      石が差し込まれていて頭の部分だけが見えている
      この後、葺石を取り除いて調査を行うそうである


      葺石は付近には大きな川もないので、岸和田や貝
      塚など泉州地方から運んだのではないかと推測さ
      れ中には、この写真の中央に見える六甲山の御影
      石も混じっています



        「忠実に発掘したら濠の底がガタガタ」
        底部が平でない周壕は初めてとの説明が
      写真をクリックするとパノラマがご覧いただけます










             後円部(奥)と周壕
        墳丘裾の手掛かりとなる葺石の一部が見つ
        かったが墳丘そのものは削り取られている
      写真をクリックすると拡大画像がご覧いただけます


             後円部と周壕(右)
      写真をクリックするとパノラマがご覧いただけます


              前方部の高さ
        江戸時代の書物には「高さ三間」の記録
        明治時代の書物には「高さ一丈九尺」と
        これらから6mほどになるが、幾分か造
        られてから削られたことを考えに入れる
        と、7~8mほどであったと推定される

              後円部の高さ
        削られて記録はないが、前方部の高さか
        ら考えると10m前後ではと推定される


      最後に、「この後、前方部と後円部の交わる場所、
      括れ部と後円部の主軸の辺りの調査を行って、こ
      の古墳の大きさの手掛かりを得たいと思っており、
      保存する予定である。」とのお話がありました。



      出土品の数々 日差しが強く、影が出来て・・・


          蓋形埴輪(きぬがさがたはにわ)



           帰りしなに撮り直したもの









                車輪石


            家形埴輪? 盾形埴輪


               円筒埴輪


               器財埴輪


堺市の資料☆
長山古墳の発掘調査成果を発表します(PDF:242KB)
長山古墳発掘調査現地説明会を開催しました
百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に
デジタル古墳百科
百舌鳥古墳群マップ

「百舌鳥古墳群マップ」に長山古墳が記載されてはいません。場所は、右上の「阪神高速15号堺線」の[速]の文字辺りです。

記載予定について問い合わせたところ、堺市文化観光局世界文化遺産推進室から、次のような回答を頂きました。

この地図は、その姿が確認できる古墳を掲載しています。
長山古墳については、以前よりその存在は分かっており、「かつて百舌鳥古墳群には100基を超える古墳が・・・」という表現の「100基を超える古墳」の一基ということです。
昭和初期までに墳丘部分の大部分が削られており、現在はその面影もない状況のため、今後も掲載する予定はありません。

極々一部の葺石が発掘されただけですが、仁徳陵より海側(西側)にあり、古墳群形成に重要な役割を果たしたと思われるので残念です。
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