「吹けば飛ぶような…」といっても給料袋のことではない。村田英雄の歌の「王将」の中の一節の言葉だ。
実際には将棋の駒は人が息で吹いたくらいではなかなか飛ばないのだが、命と比べれば「吹けば飛ぶような」木製のただの駒、またそれを使用したただの対戦に…という意味だろうと思っていた。
しかし、その歌詞を書いた御仁によれば、彼が使っていた将棋の駒はボール紙製であったそうで、そして、吹けば本当に飛んでしまったのだそうである。
「ホワイトカラーエグゼンプション」の件でふとこの将棋と西欧でのチェスの対戦の違いを思い出した。
将棋の名人戦は2日制で、双方の持ち時間が各9時間となっている。対戦者二人がその持ち時間を全部使えば18時間で、使い切ったあとも一手60秒の時間がずっと与えられる。
1日目は対戦は朝10時に始まり、夕刻になると一方が「封じ手」といって指し手を紙に書いて誰にも見せないように封印をして、一旦戦いを打ち切る。そして2日目も朝10時にその「封じ手」をといて再び対戦を始める。しかし、手数がのびて長い将棋ともなると、2日目は深夜まで対戦が続く。また一旦夕刻に切り上げて次の日にという規則は将棋にはない。
2日目の夜ともなると棋士の顔は鬼気迫るものとなり、その間、食事をちゃんととっていても体重が2、3キロ減るともいわれている。
一方、チェスの大会はどうかというと、2日目だろうが3日目だろうが夕刻時間がくるとさっさと「封じ手」をして、次の日にその続きをやるのだという。
ドイツの作家のトーマス・マンは、朝起きてから昼までの時間を「神聖な午前」と名づけ、いくら興がのってもそれ以降は原稿を書かなかったそうだ。それ以上は頭脳が疲れていて良いものが書けないから、というのがその理由だった。
西欧のチェスの大会の考え方はおおかたそれと同じといっていい。
しかし、この考え方は日本ではどうも美徳として受け入れられないようだ。
一般のサラリーマンの仕事についても日本では同じことがいえそうだ。
さらに、残業や休日出勤は「やる気」の尺度、また会社に対する「忠誠心」の尺度でも測られているし、少なくとも、やらない者は自ら出生競争からも降りることを意味するどころか、昨今は「リストラ」の尺度としても測られていないだろうか。
これらは単に仕事というものに対する心理的な要素を述べただけのものだが、これ以外にも、たとえばアメリカでは一般的にいって、会社より家族のほうの行事や予定を優先することが文化としてある、また終身雇用という考え方も少なく転職は普通である、などの要素なども加わってくる。会社がすべて、または一つの会社がすべて、という考え方も少ないようだ。
そういった文化圏ではない国に「ホワイトカラーエグゼンプション」を形だけ真似て導入しても、混乱は推して知るべしという気もするのだ。
とはいえ、もっともそれらは純粋に「ホワイトカラーエグゼンプション」の利点を目的に導入した場合なのである。企業の経営者たちの人件費抑制の意味あいが強いと思われる今回の場合、さらに結果は悪くなるだろうと思われるのだ。
僕はこれは彼の創作活動を比ゆ的に表現したものだろうと思っていた。けれど、のちにわかったのは、この一文は戦時に書かれており、「照尺距離三千メートルの鉄砲」というのは実際の武器を言い表してもいるということだった。
多くの文士の例にもれず政治には疎かった彼は、大本営の「聖戦」というフレーズに騙されていた善良な、寺の跡取り息子の一小市民だった。
戦後、そのことに気付いた彼は深い自省から『暗愚小伝』などの詩を書いたが、現在になってその彼の一時の戦争賛美の詩を引き合いに出して、≪高村光太郎も「戦争は巨大な詩である」と賛美した云々≫と、人の無知を利用して論をはる文学者もいるのがこの平成の世である。
「アメリカの制度をマネするな」(冷泉彰彦)によれば、アメリカでは「ホワイトカラーエグゼンプション」の対象者のエグゼンプトの要件条件がとても厳格なのだという。日本ではともすると年収だけに注意が向けられがちだが、これは重要な要素なので詐欺にあわないよう明確にしておいたほうがいいだろう。経団連の言う「年収400万円以上」なんてとんでもない状況に実際にそのうちならないように、予防線をはる意味でも。エグゼンプトの要件条件を厳密に規定しておけば、施行された後、基準年収をどんどん下げられることを相当程度防げる。
とはいえ、そのアメリカもブッシュ大統領がエグゼンプトの要件の条件を緩和しようとしているという。次の記事をみると、たしかにブッシュ大統領は「エグゼンプト」で、安倍首相といい勝負のイタイお人だということがわかる。
この歌は大阪の棋士だった阪田三吉を想定して作ったらしい。阪田三吉は『おゆき』の歌手の棋士・内藤國雄9段の師匠でもあった人だ。
王将
作詩・西條八十 作曲・船村徹
歌・村田英雄 (昭和36年)
吹けば飛ぶような 将棋の駒に
懸けた命を 笑わば笑え
生まれ浪花の 八百八橋
月も知ってる おいらの意気地
あの手この手の 思案を胸に
破れ長屋で 今年も暮れた
愚痴も言わずに 女房の小春
作る笑顔が いじらしい
明日は東京に 出て行くからは
何が何でも 勝たねばならぬ
空に燈が付く 通天閣に
俺の闘志が また燃える
実際には将棋の駒は人が息で吹いたくらいではなかなか飛ばないのだが、命と比べれば「吹けば飛ぶような」木製のただの駒、またそれを使用したただの対戦に…という意味だろうと思っていた。
しかし、その歌詞を書いた御仁によれば、彼が使っていた将棋の駒はボール紙製であったそうで、そして、吹けば本当に飛んでしまったのだそうである。
「ホワイトカラーエグゼンプション」の件でふとこの将棋と西欧でのチェスの対戦の違いを思い出した。
将棋の名人戦は2日制で、双方の持ち時間が各9時間となっている。対戦者二人がその持ち時間を全部使えば18時間で、使い切ったあとも一手60秒の時間がずっと与えられる。
1日目は対戦は朝10時に始まり、夕刻になると一方が「封じ手」といって指し手を紙に書いて誰にも見せないように封印をして、一旦戦いを打ち切る。そして2日目も朝10時にその「封じ手」をといて再び対戦を始める。しかし、手数がのびて長い将棋ともなると、2日目は深夜まで対戦が続く。また一旦夕刻に切り上げて次の日にという規則は将棋にはない。
2日目の夜ともなると棋士の顔は鬼気迫るものとなり、その間、食事をちゃんととっていても体重が2、3キロ減るともいわれている。
一方、チェスの大会はどうかというと、2日目だろうが3日目だろうが夕刻時間がくるとさっさと「封じ手」をして、次の日にその続きをやるのだという。
ドイツの作家のトーマス・マンは、朝起きてから昼までの時間を「神聖な午前」と名づけ、いくら興がのってもそれ以降は原稿を書かなかったそうだ。それ以上は頭脳が疲れていて良いものが書けないから、というのがその理由だった。
西欧のチェスの大会の考え方はおおかたそれと同じといっていい。
しかし、この考え方は日本ではどうも美徳として受け入れられないようだ。
一般のサラリーマンの仕事についても日本では同じことがいえそうだ。
さらに、残業や休日出勤は「やる気」の尺度、また会社に対する「忠誠心」の尺度でも測られているし、少なくとも、やらない者は自ら出生競争からも降りることを意味するどころか、昨今は「リストラ」の尺度としても測られていないだろうか。
これらは単に仕事というものに対する心理的な要素を述べただけのものだが、これ以外にも、たとえばアメリカでは一般的にいって、会社より家族のほうの行事や予定を優先することが文化としてある、また終身雇用という考え方も少なく転職は普通である、などの要素なども加わってくる。会社がすべて、または一つの会社がすべて、という考え方も少ないようだ。
そういった文化圏ではない国に「ホワイトカラーエグゼンプション」を形だけ真似て導入しても、混乱は推して知るべしという気もするのだ。
とはいえ、もっともそれらは純粋に「ホワイトカラーエグゼンプション」の利点を目的に導入した場合なのである。企業の経営者たちの人件費抑制の意味あいが強いと思われる今回の場合、さらに結果は悪くなるだろうと思われるのだ。
足もとから鳥が飛び立つ。自分の妻が狂気する。着ている着物がボロになる。これは高村光太郎の一文だ。
照尺距離三千メートル。嗚呼、この鉄砲は長すぎる。
僕はこれは彼の創作活動を比ゆ的に表現したものだろうと思っていた。けれど、のちにわかったのは、この一文は戦時に書かれており、「照尺距離三千メートルの鉄砲」というのは実際の武器を言い表してもいるということだった。
多くの文士の例にもれず政治には疎かった彼は、大本営の「聖戦」というフレーズに騙されていた善良な、寺の跡取り息子の一小市民だった。
戦後、そのことに気付いた彼は深い自省から『暗愚小伝』などの詩を書いたが、現在になってその彼の一時の戦争賛美の詩を引き合いに出して、≪高村光太郎も「戦争は巨大な詩である」と賛美した云々≫と、人の無知を利用して論をはる文学者もいるのがこの平成の世である。
「アメリカの制度をマネするな」(冷泉彰彦)によれば、アメリカでは「ホワイトカラーエグゼンプション」の対象者のエグゼンプトの要件条件がとても厳格なのだという。日本ではともすると年収だけに注意が向けられがちだが、これは重要な要素なので詐欺にあわないよう明確にしておいたほうがいいだろう。経団連の言う「年収400万円以上」なんてとんでもない状況に実際にそのうちならないように、予防線をはる意味でも。エグゼンプトの要件条件を厳密に規定しておけば、施行された後、基準年収をどんどん下げられることを相当程度防げる。
とはいえ、そのアメリカもブッシュ大統領がエグゼンプトの要件の条件を緩和しようとしているという。次の記事をみると、たしかにブッシュ大統領は「エグゼンプト」で、安倍首相といい勝負のイタイお人だということがわかる。
日刊ゲンダイ 2004.04.17「アメリカのマネをするな」。これは国の代表者選びでもいえそうだ。
『大新聞・TVが伝えない「泥沼イラク」の真相』 浜田和幸(稿)
同盟国の「人質」にも無関心のブッシュ能天気
■「週休4日」の優雅な最高指揮官
ブッシュ大統領は現在、ある記録を更新中だ。ひとつはホワイトハウスを留守にする時間が長いこと。大統領就任以来、実に240日間を小泉首相もお泊まりしたテキサス州クロフォードの自宅で過ごしている。それ以外のときも、メーン州にあるブッシュ家の別荘やキャンプデービッドの山荘で100日ほど休暇を取った。これまでの執務時間を調べると「週休4日」の計算になる。テロとの戦いやアフガニスタン、イラクでの戦争が激化するなか、とても最高指揮官とは思えない優雅な暮らしぶりである。先週末も復活祭の休暇をしっかり家族とともにテキサスでエンジョイしたブッシュ大統領。日本など各国の民間人が人質に取られていることなどまったく気にかけていない様子である。それが証拠に、「イラク情勢は大いに前進している。一層安全になってきた」と能天気な発言を繰り返している。
もうひとつの記録更新は戦費。イラク戦争遂行のためアメリカは1時間当たり500万ドル(5億円強)を使っている。「すべてを破壊すれば再建も楽だ」というわけだ。この無神経な言動に、ブッシュ陣営の中にも怒りをあらわにするスタッフが出ている。ホワイトハウスのテロ対策担当のクラーク部長をはじめ、10人ほどの担当官が辞表をたたきつけた。(略)