『つばめ/鳥を探す旅の終わり』公演終了して一週間が経ちました。
ご来場いただいた皆さま、応援くださった皆さま、本当にありがとうございました。
ずっとやりたかった劇場で、ずっとあたためていた芝居を上演することができました。
*
当日パンフレットに載せた文章を転載します。
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僕はまだ幽霊を見たことがない。あるいは見ていたとしても気がついたことがない。
祖母のお墓参りに行くと、どういうわけだかほとんど晴れる。そういう日を選んだわけではないのに、気持ちのよい青空が広がっている。
先日、命日を少し過ぎた後に訪れたとき、その日はあいにくの曇り空だった。霊園にたどり着き、水を汲み、階段をのぼり、墓前に線香と花を供えた。手をあわせ、瞳を閉じて、頭の中でわあわあと近況を述べたてた。生きているときにはできなかった。いつも微笑んでいる彼女のそばで、僕はじっと黙っていた。小さな頃の僕をずっと彼女は大事に抱きしめていてくれた。僕たちはよく手をつないだ。背を追いこした頃からあまり話をすることはなくなった。それがいま手を合わせると、すらすらと伝えたいことが言葉になってあふれた。会いたかった。最後の日々、ほとんどぼくは見舞いに行かず、そばにいても、手を握っていても、語りかけることをしなかった。申し訳なさに胸が締めつけられた。頭の中でわあわあと叫んだ。ふいに背中があたたかくなった。視界があかるくなった。雲間が晴れた。熱いほどの陽射しが僕を背から包んだ。墓石に滴る水がきらきらと光っていた。
死者は生きている者が抱きしめなければならない。
そしておそらく、生きている者は死者によって抱きしめられなければならない。
僕はまだ幽霊を見たことがないし、これから先も見ることはないだろう。
そういう力がないのだ。
いま生きているこの胸の痛みに正直でありたいと思う。わたしたち、生きている者の側から、まっすぐに手を伸ばしつづけたいと思う。時折は見当違いな方角に手を差し伸べてしまうにせよ、それが誰のもとにも届かないにせよ、そもそもが、生きるということはそういうことだ。無残であり、滑稽であり、時々は茶番そのものだ。さしあたって、僕にとって。もしかしたらあなたにとっても。
わたしたちは誰も、死者の死を引き受けることはできない。
ただその傍らに立ち、ぼんやりと目を閉じるだけだ。耳をすますだけだ。涙を流すだけだ。語りつづけるだけだ。わたしたちは誰かの生を引き受けることもできない。けれど、愛することができる。茶番を演じあい、笑いあうことができる。願わくは優しい物語を。
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心強いキャスト、スタッフの力に恵まれ、助けられ、僕たちはあたらしい物語の語りかたを試した。
うまくいかなかったことも、こんなこともできるんだという発見も、等しくあった。
僕たちの持てる力はすべて舞台の上に乗り、僕たちの持っていない力はひとつも舞台の上に乗らなかった。
遠い未来からふり返ったとき、あのときのあの芝居が岐路だったな、と確実に思うと思う。集団としても、個人としても。
まだハートの下痢は続いていて、頭はごちゃごちゃとしているけれども。けらけらと笑おう。大丈夫だ。おれ達は生きている。
よろこびを持って次の芝居に臨みます。よろしければまた劇場でお会いしましょう。
ご来場いただいた皆さま、応援くださった皆さま、本当にありがとうございました。
ずっとやりたかった劇場で、ずっとあたためていた芝居を上演することができました。
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当日パンフレットに載せた文章を転載します。
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僕はまだ幽霊を見たことがない。あるいは見ていたとしても気がついたことがない。
祖母のお墓参りに行くと、どういうわけだかほとんど晴れる。そういう日を選んだわけではないのに、気持ちのよい青空が広がっている。
先日、命日を少し過ぎた後に訪れたとき、その日はあいにくの曇り空だった。霊園にたどり着き、水を汲み、階段をのぼり、墓前に線香と花を供えた。手をあわせ、瞳を閉じて、頭の中でわあわあと近況を述べたてた。生きているときにはできなかった。いつも微笑んでいる彼女のそばで、僕はじっと黙っていた。小さな頃の僕をずっと彼女は大事に抱きしめていてくれた。僕たちはよく手をつないだ。背を追いこした頃からあまり話をすることはなくなった。それがいま手を合わせると、すらすらと伝えたいことが言葉になってあふれた。会いたかった。最後の日々、ほとんどぼくは見舞いに行かず、そばにいても、手を握っていても、語りかけることをしなかった。申し訳なさに胸が締めつけられた。頭の中でわあわあと叫んだ。ふいに背中があたたかくなった。視界があかるくなった。雲間が晴れた。熱いほどの陽射しが僕を背から包んだ。墓石に滴る水がきらきらと光っていた。
死者は生きている者が抱きしめなければならない。
そしておそらく、生きている者は死者によって抱きしめられなければならない。
僕はまだ幽霊を見たことがないし、これから先も見ることはないだろう。
そういう力がないのだ。
いま生きているこの胸の痛みに正直でありたいと思う。わたしたち、生きている者の側から、まっすぐに手を伸ばしつづけたいと思う。時折は見当違いな方角に手を差し伸べてしまうにせよ、それが誰のもとにも届かないにせよ、そもそもが、生きるということはそういうことだ。無残であり、滑稽であり、時々は茶番そのものだ。さしあたって、僕にとって。もしかしたらあなたにとっても。
わたしたちは誰も、死者の死を引き受けることはできない。
ただその傍らに立ち、ぼんやりと目を閉じるだけだ。耳をすますだけだ。涙を流すだけだ。語りつづけるだけだ。わたしたちは誰かの生を引き受けることもできない。けれど、愛することができる。茶番を演じあい、笑いあうことができる。願わくは優しい物語を。
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心強いキャスト、スタッフの力に恵まれ、助けられ、僕たちはあたらしい物語の語りかたを試した。
うまくいかなかったことも、こんなこともできるんだという発見も、等しくあった。
僕たちの持てる力はすべて舞台の上に乗り、僕たちの持っていない力はひとつも舞台の上に乗らなかった。
遠い未来からふり返ったとき、あのときのあの芝居が岐路だったな、と確実に思うと思う。集団としても、個人としても。
まだハートの下痢は続いていて、頭はごちゃごちゃとしているけれども。けらけらと笑おう。大丈夫だ。おれ達は生きている。
よろこびを持って次の芝居に臨みます。よろしければまた劇場でお会いしましょう。
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