820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

『BEYER』公演情報。

2012-01-31 | アナウンス。
東京に雪降る夜がつづく。
ぼくたちはいま芝居をつくっている。

きら星のような姿勢正しき俳優たちと、
頼もしすぎる心ゆたかなスタッフたちと、
作家シブサワホタルの書きつけた戯曲に耳をすませた。

なくしてしまったすべてのものと対話するように響きをあわせた。



所沢を本拠地に活動されているCASSETTEの公演で、外部演出をさせていただくことになりました。
一月末、池袋のシアターグリーンBASE THEATERで上演します。

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◆CASSETTE Spring 2012
『BEYER』
作:シブサワホタル
演出:波田野淳紘

-日時-
1/27(金)19:30
28(土)13:00/18:00
29(日)13:00/18:00
30(月)19:30
31(火)18:00
※開場は開演の30分前となります。

◇出演
朝廣亮二
川渕かおり(偉伝或/IDEALKINGDOM
真宮立佳
岡大輔
洞口加奈
米津詩穂
柚木綾介
大田怜治
平澤萌花(青山ねりもの協会
並木英
月岡美樹
福原龍彦

◇スタッフ
舞台監督:櫻岡史行(アーティザンステージワークス合同会社)
照明:古川睦子
音響:齋藤瑠美子

◆劇場
シアターグリーンBASE THEATER
※JR「池袋駅」南口改札より地下通路(西武デパート側)39番出口より徒歩約2分。
※各線「池袋駅」東口より地上路で徒歩約6分。

◆チケット
前売・当日共:3,000円(全席自由)
フェスタ割:2,000円
(グリーンフェスタ参加の他公演チケットの半券をご持参いただいた方が対象となります)

◇ご予約はメールにて承っております。
MAIL:byebye_@mail.goo.ne.jp
※[1]お名前、[2]ご希望観劇日時、[3]枚数を明記の上、件名を「チケット予約」にしてお送りください。折り返し確認のメールを返信いたします。
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劇場でお待ちしています。
あなたにお会いできることを祈っています。
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アンゲロプロス、アンゲロプロス、アンゲロプロス。

2012-01-25 | 生活の周辺。
今日から小屋入り。
劇場に着いたとたん、シブサワさんから、アンゲロプロスが亡くなった、と告げられた。
撮影中の事故死だったという。
アンゲロプロスが死んだ。撮影中に、バイクにはねられて。何ということだ。
おそらく〈トリロジア〉の三作目だろう。どこまで撮影は進んだのだろう。
現場はいま、まさに混乱の渦中だろう。誰かが監督を引き継ぐのだろうか。
アンゲロプロスはそれを望むだろうか。現場の人々は。わたしたちは。
あまりにも。何ということだ。アンゲロプロスが死んだ。

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「でも映画は職業ではなく使命なんです。なぜ自分は撮るのか。映画とは何か、何を求め、なぜ撮るのかと自問することが必要です。同時に映画が自分を望んでくれているのかも問うべきでしょう。自分は映画に求められているか。何年も作れず金にもならず困難な暮らしであっても、それでも仕事としてではなく映画に向かっていくこと」
「映画を撮れなかったら死んでしまう。わたしはまじめにそういってます。本当にそう思っているんです」
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どこか、遠い場所のできごととは思えない。
撮影中であったことも、その死とともに知ったというのに。
彼の傍らにいなかったとも思えない。
彼の傍らにいなかったとは思わない。

ぼくはいま芝居をつくっている。本当に?
世界を暴くように、女を愛するように、自らの痛みのもとに、本当に?
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生き行くは楽し。

2012-01-09 | 生活の周辺。
年が暮れる感覚も年が明ける感覚もないままもう一月も中盤。
先送りにしてきたことが多すぎて何も終えられない。



『路上3.11』の本番前、パソコンが急に動かなくなり、音を立てて壊れてしまった。
叩いても、時間を置いても、語りかけても、どうあがいても、動かない。

データのバックアップを取ったのは二年前。
ストレージサービスはよくわからない、面倒くさそう、と敬遠していた。

伝手を頼って、データの復旧をお願いしたところ、「できません」との返答。
呆然とした。書きかけの戯曲、文章の断片がすべて消えた。
いっそすがすがしい、と言えればよいけれど、言えるものか。お腹がきゅうと縮こまる。

映画を観るたびにその感想、あらすじ、創作のヒント、時々の思いつきなど、日記がわりにとっていたメモがあって、返す返すもそれが惜しい。



CASSETTE稽古。
素晴らしい役者、スタッフたちが集まっている。
シブサワさんの渾身の戯曲と向き合っている。格闘を続けている。



クリスマス当日には劇団稽古。
今年上演予定の台本を2ページ、猛烈な勢いで書き散らかした。
読み合わせ、立ち稽古。劇団員に助けられる。つくづくおれは戯曲を書くのがへたくそだと思う。ひどく安易なクリシェ。

皆の持ち寄りでシャンメリー、ドーナツ、チキン、中国のポッキー、ホールケーキ等々の並ぶ稽古場。

なんとまあ、宮脇由佳の手作りケーキ!
とても美味しかった。



正式に発表をしていませんでしたが、2011年、820製作所に新人が二人入りました。
写真左から、音響/文芸スタッフの原みさほ、役者の宮脇由佳。
二人とも作家でもあり、それぞれが唯一無二の、彼女らにしか書けない世界を抱えている。
いずれ、820でもお披露目できるといいのですが。



年末年始には久しぶりの野良猫会。
クリスマス前後に三日連続でキャバクラに通った彼と、夏から秋にかけて自転車で日本縦断をした彼と、「現状打破だよ」と力強くこぶしを掲げるマラソンランナーの彼と、相変わらずな俺と、四人で魚を食べながら。

いつかすべてが終わるということを、肌の裡に実感する年齢になったね。
そうだね。



生き行くは楽しと歌ひ去りながら幕下りたれば湧く涙かも
(近藤芳美)



シヨオン:この世界がわたしの物であったら、世界もお前にやりたい/静かな爐邊ばかりでなく、その上に/光と自由のすべてのまぶしさも/もしお前が欲しければ、お前にやりたい
メリイ:わたしは世界を持って/それをわたしの両手でこなごなに砕いて/そのくづれて行くのを眺めてあなたが微笑ふのを見たい
(『心のゆくところ』W.B.イェイツ/松村みね子訳)



次回公演の、チラシ写真の撮影をしに、劇団員総出で海辺の街へ。
印田彩希子の炎の撮影技術が炸裂した。どうなることだろう。楽しみだ。
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『路上3.11』のこと。

2011-12-22 | アナウンス。
新宿通いの日々。
ティーファクトリーの『路上3.11』に演出部として参加しています。

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『路上3.11(路上4)』
作・演出:川村毅
☆川村毅新作+小林勝也主演<都市を彷徨う男が巻き込まれる悲喜劇一時間一幕>シリーズ

◆2011年12月20日(火)〜23日(金・祝)
 12/20(火)19:30
 12/21(水)15:00/19:30
 12/22(木)15:00/19:30
 12/23(金・祝)14:00/17:00
 ※開場は開演20分前。

◆SPACE雑遊 http://www.zatsuyu.com/

【料金】
前売り3,500円/当日3,800円

☆お問い合わせ・詳細はこちらから→T Factory HP
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十月に戯曲をいただいて一読したとき、川村さんがいつになく真情を吐露しているように感じ、胸打たれた。
いや、作品はいつだって作家の真情が織り込まれその体温が宿っているのだろうけれども、日常が音を立てて裂けたように感じられた「あの日」の、平衡をうしなって、それでもなお倒れまいとするからだの反射のような、足もとの傾斜に思わずふんばりを利かせた息のはずみのような、なにか特別な心の動きの気配が、全編にみなぎっているように感じられた。

決して大げさでなく、たんたんと、とぼけながら、おおまじめに、震災から一か月間のできごとが描かれている。時には「不謹慎」と戯れるように。
舞台を見ながら、あの日々について、もうすでに忘れていることがたくさんあることに気がつく。たった九ヶ月前のことなのに。

取るに足らないささやかなもの、かすかなもの、日々の肌触りを決定しながらやがて風化しほつれ消えゆくもの。
その破片を拾い、記録し、検証し、次代へと手渡していくこともまた、いま、ここに生きている作家の仕事であるのだと。

金曜日が千秋楽。ぜひご覧いただきたい舞台です。
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星をうたう心で。

2011-12-20 | 生活の周辺。
帰宅してテーブルの上の夕刊に目を向けたら「金正日死去」の報が。まじか、そうか、と思いながらめくっていった先の、まったくそれとは関係のない「人生変える詩のことば」と題された記事に、尹東柱(ユン・ドンジュ)という27歳で獄死した詩人の詩が引用されていた。

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序詞

いのち尽きる日まで天を仰ぎ
一点の恥じることもなきを、
木の葉をふるわす風にも
わたしは心いためた。
星をうたう心で
すべての死にゆくものを愛おしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今夜も星が風に身をさらす。

(愛沢革訳)
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すべての死にゆくものを、愛おしまねば。
詩人であることは、激しい胸の傷を、決して癒され得ない場所を、この世界の只中に保持すること。



先週、「ふねをゆらす」の作戦会議のため、下北沢に集結し、カレーを食す。
「ふねをゆらす」はいつもカレーからはじまることになっているんだ。だってカレーが好きだ。おなかいっぱいになってから、小さな喫茶店に移動し、小声でひそひそと古典戯曲の読み合わせ。笑った、笑った。目で読むのとはこんなにも世界が異なってひらけるのか。こんなに笑える芝居だったのか。思いがけない場所へ役者たちに導かれ、感謝。次回は稽古場で、もっと奥まで。



日曜に劇団の忘年会。

少ししか顔を出せなかったのですが、お会いできて嬉しかったです。
またきっと楽しい時間を重ねられますように。

のっちの体調は大丈夫だろうか。忙しいと思うけれど、どうか無理せずに。違うな、嫌でも無理せざるを得ないのだとは思うけれど、たくさん食べて、できるかぎり眠れるように。ご機嫌な音楽を聴いて、心を明るいところに。そして、おれの体調は大丈夫だろうか。鼻水は止まってきたが今度は鼻血だ。たくさん食べて、できる限り眠ること。



ふっくんに私信を。toe、超いいね!
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しょぼくれ。

2011-11-12 | 1の並んだ日に。
しょぼくれている。へっこんでいる。ちょっとこりゃまいったよ。吸血鬼のことを考えている。このあいだ近所の映画館でヘルツォークの『ノスフェラトゥ』を観た。傑作だった。滑稽と悲哀。キンスキー演じる吸血鬼が己の素性を隠しながら血をもとめて呼吸荒く主人公をひたむきに見つめる姿にからだを揺らして笑った。嫌だよ、あんな男と食卓につくのは。映像は詩に満ちていた。説明のつかなさ、夢の論理と飛躍の連続。
世の中には死より恐ろしいものがある、と吸血鬼はつぶやく。そうかもしれない。でもおれはいま死ぬのがこわい。そんなことばかり考える。生きたい。来年は五月に『吸血鬼との共存、あるいはピクニック・クロニクル(仮)』という芝居を上演。死についての芝居だ。だからそれは生を照らすものだ。しょぼくれるときには徹底してしょぼくれよう。中途半端はいけない。かさかさに乾けばいい。塵と化せば種を抱ける。誇り高くへっこめ、と。
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夜明け前後。

2011-10-25 | 生活の周辺。


公演が終わってもうすぐ二週間だし、いつのまにか秋も深まっているのだけど、時間だけが慌ただしく過ぎて、それを遠巻きに眺めている。
何せ今年はまだ夏が来ていないような気がするのだ。

ずっと、読むことを忘れていた。
本を。星を。象徴を。
散文的な心のやり取りを。ある区切られた時間の前後の変化を。
紙の上に印字された平坦な世界から、夜を、祝福を、災厄を、約束を、流れを生みだすこと。

読むことは、わたしとわたし以外とのあいだに、ある種の共犯関係を結ぶこと。
心のなかを具体的なもので満たしたい。冬は譲り渡さない。おれは季節や世界やあんたと喧嘩をしたくない。
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『つばめ/鳥を探す旅の終わり』公演終了しました。

2011-10-19 | ごあいさつ。
『つばめ/鳥を探す旅の終わり』公演終了して一週間が経ちました。
ご来場いただいた皆さま、応援くださった皆さま、本当にありがとうございました。

ずっとやりたかった劇場で、ずっとあたためていた芝居を上演することができました。



当日パンフレットに載せた文章を転載します。

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僕はまだ幽霊を見たことがない。あるいは見ていたとしても気がついたことがない。

祖母のお墓参りに行くと、どういうわけだかほとんど晴れる。そういう日を選んだわけではないのに、気持ちのよい青空が広がっている。
先日、命日を少し過ぎた後に訪れたとき、その日はあいにくの曇り空だった。霊園にたどり着き、水を汲み、階段をのぼり、墓前に線香と花を供えた。手をあわせ、瞳を閉じて、頭の中でわあわあと近況を述べたてた。生きているときにはできなかった。いつも微笑んでいる彼女のそばで、僕はじっと黙っていた。小さな頃の僕をずっと彼女は大事に抱きしめていてくれた。僕たちはよく手をつないだ。背を追いこした頃からあまり話をすることはなくなった。それがいま手を合わせると、すらすらと伝えたいことが言葉になってあふれた。会いたかった。最後の日々、ほとんどぼくは見舞いに行かず、そばにいても、手を握っていても、語りかけることをしなかった。申し訳なさに胸が締めつけられた。頭の中でわあわあと叫んだ。ふいに背中があたたかくなった。視界があかるくなった。雲間が晴れた。熱いほどの陽射しが僕を背から包んだ。墓石に滴る水がきらきらと光っていた。

死者は生きている者が抱きしめなければならない。
そしておそらく、生きている者は死者によって抱きしめられなければならない。

僕はまだ幽霊を見たことがないし、これから先も見ることはないだろう。
そういう力がないのだ。
いま生きているこの胸の痛みに正直でありたいと思う。わたしたち、生きている者の側から、まっすぐに手を伸ばしつづけたいと思う。時折は見当違いな方角に手を差し伸べてしまうにせよ、それが誰のもとにも届かないにせよ、そもそもが、生きるということはそういうことだ。無残であり、滑稽であり、時々は茶番そのものだ。さしあたって、僕にとって。もしかしたらあなたにとっても。

わたしたちは誰も、死者の死を引き受けることはできない。
ただその傍らに立ち、ぼんやりと目を閉じるだけだ。耳をすますだけだ。涙を流すだけだ。語りつづけるだけだ。わたしたちは誰かの生を引き受けることもできない。けれど、愛することができる。茶番を演じあい、笑いあうことができる。願わくは優しい物語を。

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心強いキャスト、スタッフの力に恵まれ、助けられ、僕たちはあたらしい物語の語りかたを試した。
うまくいかなかったことも、こんなこともできるんだという発見も、等しくあった。

僕たちの持てる力はすべて舞台の上に乗り、僕たちの持っていない力はひとつも舞台の上に乗らなかった。
遠い未来からふり返ったとき、あのときのあの芝居が岐路だったな、と確実に思うと思う。集団としても、個人としても。

まだハートの下痢は続いていて、頭はごちゃごちゃとしているけれども。けらけらと笑おう。大丈夫だ。おれ達は生きている。
よろこびを持って次の芝居に臨みます。よろしければまた劇場でお会いしましょう。
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「検閲のない国、ない時代に、優しさごっこの芝居を書いてなんになる。」

2011-10-15 | 生活の周辺。
斎藤憐さんと柳ジョージさんが亡くなったのだと今日知った。おれは書きつづける。
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『つばめ/鳥を探す旅の終わり』公演情報。

2011-10-11 | アナウンス。
◆820製作所第11回本公演
『つばめ/鳥を探す旅の終わり』
作・演出:波田野 淳紘

こどもたちは、四昼夜脱走した後、郊外のスーパーマーケットで、呆気なくつかまった。
砕かれた心をポケットに拾い集めて。この世界を逃走するこどもたちのものがたり。

◇Player
佐々木 覚
加藤 好昭
印田 彩希子

大谷 由梨佳
洞口 加奈
大田 怜治
宮脇 由佳

渡辺 幸司

櫻岡 史行(Polka dots)
福原 龍彦(CASSETTE)    and more
 
◆2011.10.7fri-11tue
SPACE雑遊(都営新宿線「新宿三丁目駅」C5出口目の前、JR「新宿駅」東口より徒歩10分 )
>>>MAP

-公演日程-
7日(金)19:30
8日(土)14:00/19:00
9日(日)14:00/19:00
10日(月・祝)15:00
11日(火)15:00

※開場は開演の30分前、受付開始は45分前。

◆チケット
前売り・当日共/¥3,000
学生/¥2,700(要学生証)

※早割期間は終了いたしました。

◇ご予約は劇団ホームページの「ticket欄」およびメールにて承っております。
 予約フォームへ。
TEL:090-6476-8200
MAIL:info@820-haniwa.com
※メールでのご予約の際は、[1]お名前、[2]希望観劇日、[3]枚数、[4]電話番号を明記の上、件名を「チケット予約」にしてお送りください。
折り返し確認メールを返信いたします。

稽古場ブログ、絶賛行進中!→出演者・関係者による稽古場の記録。
作品ノート

http://820-haniwa.com/

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季節がめぐります。日々は続きます。
いつかの年のはじまりに、ぼく達は「悲劇」を上演するのだ、と宣言するように言いました。

悲しい「できごと」を描くのではなく、「できごと」に対峙する人の姿を、悲しみに打ちのめされても、なお立ちあがり得る人間の姿を、ぼく達の物語のなかに描出したいのだと、大げさな調子で、そう言いました。

自分のなかにそういう力があるのだと知りたくて、何度でも確認したくて、いまも、芝居を作りつづけています。

あなたと、あなたをめぐるすべてのものが、どうか、優しい均衡を取り戻すことを祈ります。



青春の青は、夜明けの青なのだと聞いたことがある。
闇に抱かれ、遠くに星を数えながらまどろんでいた時代から、あたりがゆっくりと明るくなり、からだの内を流れる血がわき立ち、目覚めはじめる頃。

闇に沈んでいた風景は、薄く、けれど深い青に染まりながら、その輪郭を浮き立たせていく。
やがて、青のなかにすっくと立つ自分自身のすがたとかたちが、まるでいま生まれ落ちたかのように、この世界の只中にあることに気がつく。

そのとき、青の向こうへと、考えるより先に足を踏みだす者もいるだろう。
あるいはその場所にうずくまり、だんだんと強まる光からどうにかして身を隠そうとする者もいるだろう。

そのいずれを生きるにせよ、やがて両者は等しく、自らの内にとても大きな「無力」を抱えていることに気がつく。
ぼく達は空を飛べない。それほどに早く走れない。こころを慰める歌を知らず、眠りつづけることもできず、約束を守れない。本当にできることは、数少ない。

わが身の無力さや、そこに欠け落ちたものをまっすぐに見つめることは、胸が引き攣れるような痛みを伴う。
あなたの捧げ持つ無力に、寄り添うことのできないわたしの無力に、激しくこころは引き裂かれる。

けれど、うろたえ、戸惑い、時には怯えながらもなお人が無力を見つめているとき、そこにある強さはなんなのだろう。
奈落の底に突き落とされるような崩壊と破滅を生きているとき、人はどれほどの勇敢さで次の呼吸を待つだろう。

「無力」を反転するとそれは、わたし達が狂おしく必要としている「何か」のかたちを指し示す。
裏表のその両面は、異なる極を示す石と石とに働くふしぎな力のように、奇跡のように、この世界とわたしとを動かしつづける。

夜明けの青をたたえた舞台を作りたいと思う。わたし達の脆さと頼りなさの果てに、優しくかけがえのない光を導きたいと思う。

いま、そこにある「無力」を認め、愛しみ、畏れ、自らの思う仕方でただしく、抱きしめること。
きっと、それが、夜を越えた者の仕事なのだと思う。



日々は続きます。願わくはぼく達の物語が、こころの内の無垢なるものを守ることのできるように。あなたの闇を払うように。悲しみに打ち克つように。
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