*持つべきものは、箸と茶碗*

ほんのちょっと温かみと優しさと微笑みを お届けできたらいいなぁと思います

カラスと木瓜の花 (21)

2009年02月01日 | カラスと木瓜の花
 知らないあいだに伯母ちゃまになっていた。
 父から連絡があった次の日の夕暮れ。来年が数日後にせまった年の瀬の夕暮れ。ちょうどその頃、携帯は義弟からの速報メールをそっと受け取ったのだろう。たぶん私が、映画プリティウーマンを連想させるカップルの接客に徹していた頃。
 長い長い陣痛をのり越えた妹と、予定日より少し遅れながらも元気に誕生した甥っ子に逢えたのは、その翌日のことだった。病院へでかける際、一緒に行こうかとモトさんに声をかけたけれど、用意されていた分厚い祝儀袋を差しだされ、静かに断られた。

 大晦日、せっかくの連休初日も、これといって予定がなかった。モトさんと神田くんと、帰るところ(故郷)がもうないと言っていたうさぎちゃんと、本宅のこたつで飲んだくれながら年を越した。
 神田くんはずっと焼酎ロック片手に、憲法ぎっしりの書物を広げ眺めていた。うさぎちゃんと何度も茶々を入れてやった。神田くんの集中力はたまに途切れ、彼的憲法ランキングだとか、小学生の頃に六法全書の読書感想文を書き注目をあびただとか淡々と語り、私たちを失笑させた。
 富岡八幡の除夜の鐘をそこに感じても、新しい年が始まるという実感は全く湧かなかった。情けない夜だった。私にだけ懐こうとしないカラスに向きになって疲れて白けた。過去の男たちとの年越しを回想し嘆いた。眠る前も、祖父を案じて始めた生活をふり返り、ため息を三回ついた。

 元旦の朝、人には言えない非常な夢の途中でぼんやり目が覚めた。
 昼間は皆で初詣にでかけた。もちろんカラスも一緒に。肩にカラスを乗せ散歩をするじいさんを見かけたら幸運がくる、そんな都市伝説があると近所のコンビニの店内で女子高生が話しているのを盗み聞きしたことがあった。まさにその姿のモトさんと並んで歩くと、多数の視線をあび弾くことを強いられた。奇妙な一行のおでましに自然と道があいた。私はきっと渋い表情をしていたかもしれないけれど、内心愉快だった。都市伝説効果なのか、引いたおみくじは大吉だった。
 夕方、本宅に来客があった。モトさんの顔をみに立ち寄ったふうだった。玄関先でその人を見て直感した。以前、大崎に逢いに来た女性だと。巻き髪と紫色のブーツに見覚えがあった。その女性は丁寧に年始の挨拶をしてから、私に手土産を渡し、今度はモトさんに「大崎、くんからの」と封筒を押しつけ、また来ますと爽やかに帰っていった。若く見積もって四十代後半の印象ながら、とても端麗で愛嬌もある人だった。
 私は居間に戻るなり、下手に推理した彼女と大崎の関係、疑問を年越しメンバーにぶつけた。うさぎちゃんが何か言いかけたのに、横から神田くんが余計なことを喋るなと言わんばかりに咳ばらいをしたので、くちを結んでしまった。その後だった。

「あれは、わしの昔のコレだ」
 急にくちを開いたモトさんが小指を立て、軽く言った。




 つづく

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カラスと木瓜の花 (20)

2008年11月30日 | カラスと木瓜の花
 なんなら教えましょうか。と上からものを言う神田くんに、朝から軽い苛立ちを覚えた。 
 ったく、かわいくないよね。などと言い返したものなら、知ってます、と減らずぐちを叩かれるのは判っている。だから、おとなしく首を横に振るだけにした。
 この頃、この子の言いぐさが気に入らない。ふつう、浜っこと聴けば、横浜を連想するじゃないか。以前、神田くんが自分の出身地をまわりくどく表現したせいで、誤解を招いたのに。誰もヨコハマだなんて言ってないじゃないですか、とこちらがあげつらわれる筋合いもないのに。終いに彼は意気揚々と日本三大砂丘も知らないんですか? と、眼鏡を外した爽やかな流し目で私を見下ろした。もう少しで、知りませんけど何か? とクチから出るところだった。
 私の持つカップからコーヒーが馨る。屁理屈に振りまわされても、毎朝座っているだけでこうして美味しいコーヒーが出てくるのだし、と鳩時計をぼんやり眺め気持ちを落ちつかせた。

 この東大生は確かに賢い。いつも熱心に読んでいる本はというと、小説やエッセイとかいう類いのものではなく、殆どが法律に関する気難しいものばかり。現在、法学部の四回生。来春からは院生になるそうで、「司法試験には受かると思いますけど先のことは判りません」と強気に語る。そうかと思えば、誰かがリビングにいると必ず部屋から出てくる。寂しがり屋のくせに、省エネですと言い張る。私には彼の生意気度が日に日に向上しているように思える。もしも留年でもしたなら、厭味な慰め文句の一つや二つかけてあげられるのに。
 ただ、時々、モトさんと重なって見える時があり、憎めないというのが正直な気持ちだ。それに彼はコーヒーを淹れるのが巧い。なんだかんだ言って神田くんは使える子だ。

 なんだ神田……緩くにんまりしてしまった私を神田くんが気味悪そうに見た気がして、我に返った。
 神田くんが新たにコーヒーを淹れ始めたので、
「私は、もういいよ」
 と声をかけた。すると、彼は、
「大崎さんの、です」
 きっぱりと澄まし顔で答えた。また可愛くない言いぐさだった。それよりも反応すべきことがあった。いるの大崎? と私は思わず問い返していた。大崎の稀な帰宅は戸惑いを招く。不意にまだ化粧をしていないことに意識がいき、少し気持ちが慌てた。
 神田くんの鋭い視線を感じた。一瞬、自分の心の声が漏れたのではと焦った。
「まだ大丈夫ですよ、これから大崎さん起こしに行きますから。でも、すっぴんでも綺麗ですよ」
 神田くんは冷静に私へ言葉を投げた後、左顔だけで笑った。
 明らかに神田くんから心を読まれている。私は動揺して腰をあげた。と同時に携帯が鳴った。久しぶりに父の着信音が鳴った。

 妹が産気づいたという知らせだった。




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カラスと木瓜の花 (19)

2008年10月17日 | カラスと木瓜の花
 運び屋、と奴は答えた。
 正確には「いわくつきの運び屋」と涼しい顔で言った。私の質問に対する大崎の、恐らくふざけた回答だった。答えたあと、視線は新聞へ向けたまま、少しだけ頬を緩め鼻でふんと笑った。
 私は食卓椅子へ腰かける間際、
「なーんだ、イメージ通りかぁ。つまんない奴」
 皮肉ってみた。すると、大崎の漆黒の大きな瞳がゆっくりこちらへ動いた。そして、すぐに新聞へ戻った。どきりとした。なぜだろう、やはりこいつの瞳に弱い。
「ほんとにトゲがあるんだな?」
 と大崎の呟きが聴こえたので、「は?」と大袈裟に反応してみたけれど、チラ見と同時に「いやっ」と返されると、学習能力のない私はまた固まってしまい、大崎の視線が離れてからも少しのあいだ、彼を見ていた。

 私は知っている。こいつは、モトさんの前では屈託ない笑顔をつくる。笑うと目が細くなって口角があがり、とても愛らしい顔になる。私に見せてくれることは当分なさそうだ。それにしても、多少まつげが長いくらいでごく普通の顔立ちなのに、なぜ瞳は印象深いのだろうか。そういえば、グレーのコンタクトレンズには飽きたのだろうか。また見てみたい気もする。
 そんなことを考えていた。

 ふと食卓の端に置かれた大崎のカップに気づいた。湯気のあがらないコーヒーがほんの少し残っていた。足そうかと声をかけると、大崎は「いや」と短く言った。それきり会話も話題もなかった。
 私はキッチンからティーバッグと自分のカップを運び、電気ポットのお湯を注いだ。
 しばらくして、ソファーの肘かけに乗せてあった大崎の携帯が震えた。画面を確認した大崎は軽く舌打ちし、ソファーから腰をあげ、そっけない声で電話にでた。テラスまで移動し外を覗き見てから、面倒くさそうに玄関のほうへと消え、薄着のまま外へでて行ったようだった。忙しい運び屋だ。
 淹れたての紅茶にくちを付けようとしたけれど、まだ熱かった。一旦、それを食卓に置いてから、先程の大崎を真似るようにテラスへ移動し、こっそり外を覗いた。わずかに見える門扉の陰で、大崎が女性と向き合っているのが判った。
 なんだ女か――胸のうちで呟きながらカップを取りに戻り、再びテラス越しに眺めた。ちょうど大崎が女にしがみつかれ、頬にキスをされるところだった。すぐに二人は離れたけれど、見せつけられた私は軽い目眩を覚えた。遠くからでも年配の女であることが窺える。下手したら人妻かもしれない。
「趣味、悪っ」無意識の呟きが漏れたついでに、今度は意識的に二人へモザイクをかけた。
 大崎が、近づいてはいけないものに思えた。
 視線を手前におくと、先日モトさんが念入りに手入れしていた木瓜の木が映った。すっかり葉が落ち、丸裸で物悲しい雰囲気を漂わせていた。
 私は木瓜の棘を気にかけながら、美味くも不味くもない紅茶を啜った。




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カラスと木瓜の花 (18)

2008年10月13日 | カラスと木瓜の花
 師走に入って間もなく、うさぎちゃんは二十歳になった。
 彼女には意表を突かれまくりだ。実年齢よりずいぶん艶っぽく見えることは間違いないとして、生年月日を知ったときは驚いた。私の予想よりはるかに若かった。ついこの間まで未成年だったわけだから。
 上野 潔(うえの いさぎ)、うさぎちゃんの氏名だ。
「うえのいさぎ、を縮めて『うさぎ』なんです」
 うさぎちゃんが滑舌よく説明してくれた。それは、モトさんと六本木デートをした翌日のことだった。彼女がはにかみながら見せてくれた保険証に、私がきちんと確認しようとしなかった彼女の氏名、生年月日、そして性別のところに男という文字が記してあった。全く動揺しなかったと言えば嘘になる。けれど、ありのままのうさぎちゃんを受け入れる覚悟はできた。というより最初から性別も年齢も気にする必要なんてない。これまで通りでいいと痛感しながら、うさぎちゃんの少し不運な生い立ちや現在の思い、未来への希望に耳を傾けた。前から気づいていた時々語尾がなまるくせは、雪深い町で生まれ育った証なのだと、そのときに判った。

 私は、これまで当てずっぽうの本能を信じていた。それでいて洞察力に欠け、そのうえ先入観はかなり強い。そして意外と受け身。だから、いつもいつも人づきあいは手探りのまま終わる。そんな自分にようやく気づけた瞬間、頭にモトさんの笑いかけた顔が浮かんだ。そこから少しずつ私の自己概念が変化しはじめた。

 変化しにくいものもある。それは、昨日あらためて感じた大崎との微妙な距離感だ。
 昨日はというと、本宅にて祖母の十三回忌が執り行われた。といっても坊さんのお経を聴き、焼香をし、祖母との想い出やそれとは全く関係のないどうでもいいようなことを幾つか回想しているうちに、いつの間にか終わった。私の両親、臨月の妹、叔母三人が集まったけれど、法要が終わるとさっさと片づけをし、連れ立って本宅を後にした。
 私は少しのあいだだけモトさんの相手をし、別宅に戻った。そこに滅多に姿を拝むことのできない大崎がいた。リビングで新聞を広げていた。英字のものだった。眺めているだけのようにも、ちゃんと理解しているようにも見えた。時々小さな相槌を打ったり、せつない視線で文字を追ったりしていた。私は、しばらくその姿に見とれていた。初めて逢った時のように。
 実はまだ大崎と会話をしたことがなかった。一度、試みようとして、すぐに断念した。こいつは、いつも風のようにすり抜けていく。目にとどく範囲にいること自体が奇跡的だった。
「いたの?」
 私は白々しく冷たく声にだした。
「おまえこそ」
 大崎が喋った。なぜか拍子抜けしてしまった。低くめの優しい声だったけれど、『おまえ』が気に入らなかった。とりあえず、今がチャンスとばかりに感情を織りまぜ攻撃的に訊いた、彼の職業を。




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カラスと木瓜の花 (17)

2008年09月06日 | カラスと木瓜の花
 正直、モトさんと六本木が結びつかなかった。
 タクシーを降り導かれた場所は、モトさんのイメージから随分かけ離れていた。店の前で一瞬、足が止まる。外観だけは知っていた建物を軽く見あげた。モトさんにこんな趣味があったとは驚きだ。
 店に入るとモトさんは、ここでも常連の風格をに漂わせた。お待ちしておりました、と親しげな店員が見晴らしのいい席へと通してくれた。前方に舞台があり、席はほぼ埋まっている。
「よく来るの?」
 私が興味津々に店内を見回しながら質問すると、モトさんは「たまにだ」と軽めの口調で答えた。そして、さっきの続きだと話を切りだした。私はタクシーのなかでの話題を思い起こし、耳をかたむけた。モトさんは言葉を探しながら、今後のために住人三人をもっと理解して欲しいと、じわりじわり私に訴えてきた。けれど、私にはいまいちピンと来ない。
 そこへ、豪勢な食事が運ばれてきた。小洒落たシャンパンまでテーブルに置かれた。寿司屋を早々に切りあげたのも、これのためだったのだろうか。

 程なくして客席の照明が落ち、舞台が光り輝くと、ニューハーフショーが開幕した。
 煌びやかに登場した”彼女たち”へ、あちこちで「きれい」と歓声があがる。私も思わず同じ言葉を放った。すると、
「人ってもんは見た目で判断しちゃいけねぇ」
 モトさんが私に向かい微笑した。私も微笑しながら、変幻自在に舞うダンサーたちの美しさに圧倒魅了されていた。
 ショーが中盤にさしかかった頃、モトさんが中央のダンサーを指さした。私は念入りに確認し、目を疑った。えー!? の後に続く言葉が見つからない。薄々気づいていた、そんな状況でも全くない。ただただ驚き、あんぐり口を開けていた。モトさんは、そういうことだ、と頷いた。
 ダンサー紹介が決定打だった。

 閉幕すると観客が一斉に帰り支度をはじめた。けれど、モトさんはゆったりと腰を据えている。横で私は人々の動きを静かに眺めていた。そこへ一人のダンサーが、こっそり駆け寄ってきた。セクシーな赤いドレス姿だ。
 彼女は私と目が合うと、ごめんなさいと穏やかに言った。そして、
「びっくりしました? えん子さん」
 と、うさぎちゃんが、はにかんだ。私はまだ少し戸惑っていた。この数ヵ月、私が接してきたうさぎちゃんから、女性に成りきっているというようなわざとらしさなど微塵も感じなかった。確かに長身であり、ハスキーな声に男性だったなごりはある――今ようやく”鈍感”の意味が解った。
 私は干渉しない生活に甘え、住人それぞれの本来の姿を無視して暮らしていた。もしかしたら、うさぎちゃんは心苦しかったのかもしれない。モトさんは勿論のこと、神田くんやあの大崎ですら、ありのままの彼女を受け入れていることも判った。人ってもんは見た目で判断しちゃいけねぇ、のだ。つまり別宅の住人には、まだまだ何か複雑な素性があるのかもしれないと直感した。
 デートは私の何かを変えた。




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カラスと木瓜の花 (16)

2008年08月24日 | カラスと木瓜の花
 たった今、青山の交差点で派手に罵り合い、私は男の車を降りた。信号待ちのわずかな間に起きた、車内での交際一年分の口論だった。原因は双方にある。潮時だったのだと、治まらない腹の虫に語りかけてみる。秋の風が頬をかすめた。
 私は地下に潜り、電車に乗った。貴重な休日の真昼間に荒立った気持ちでいる自分を虚しく思いながら、地下鉄に揺られた。

 門前仲町にも同じ秋の風が吹いていた。駅から表にでて小路に入ると、はるか前方にカラスを肩に乗せたモトさんの姿を見つけた。日課の散歩帰りだろう。声をかけても届かない距離を私は小走りで縮めた。逸早く私の気配に気づいたのはカラスだった。カァと短く鳴いた。初めて声を聞く。この子は左羽根を傷めていて飛ぶことができない。鳴くことはできたのだと安心した。
 追いついた私にモトさんは「何かあったのか?」と眉間を寄せた。浮かない表情を隠すのを忘れていた。私は「ちょっとね」と返事をし笑顔をつくった。
 リビングにたどり着くと脱力し、ソファーに沈んだ。男のことを考えまいと必死になった。うさぎちゃんはまだ部屋で寝ているのだろうか。神田くんの大きなスニーカーは玄関にはなかった。だから学校だろう。ここへ来て四ヵ月が過ぎ、昨日のことだった、神田くんが東大生だと知ったのは。私が疑いの眼差しで「東京の、大学の、略じゃなくて?」と訊くと、神田くんは「僕が東大生だと不満ですか」と生意気に答えた……。

 いつの間にか眠っていた、うさぎちゃんの呼び声で目が覚めた。
「モトさんが」とテラスを指していた。そこにモトさんの姿があった。寝ぼけ眼で近くへ行くと、
「今から、わしとデートでもしねーか?」
 モトさんらしからぬ台詞がふわりと舞った。私はまだぼんやりしている頭で、うん、と返事を導きだした。
「綺麗にして準備ができたら来い」と言い、モトさんは本宅へ帰って行った。
 言われた通り化粧を直し一新して本宅へ出向くと、モトさんは光沢のある晴れやかな鶯色の着物姿で出てきた。一段と粋だ。二人で門をでるとタクシーが待機していた。陽はすっかり落ちているけれど、まだ夕方と呼べる時間帯だ。

 モトさんに連れられ日本橋の寿司屋に入った。なじみの店らしかった。モトさんはビールとつまみ程度の刺身を注文してから、私に住人とはどうだと話を振ってきた。若い二人のことは妹と弟のようだと答えた。台風の夜でさえ家を空ける大崎のことは、よく解らないとしか答えようがなかった。運ばれてきたビールで乾杯をした後、
「もしわしに何かあった時、苑子の力が必要になるかもしれん」
 モトさんが意味深に言った。詳細は後でと話を切られたこともあり、複雑な思いが私の胸を駆けた。
 暫し語りながら軽く胃を満たした。モトさんは時間を気にしながら「もう一軒いいか?」と私を誘った。今夜の主要はそこにありそうだ。
 寿司屋をでると、すぐタクシーに乗り込んだ。モトさんは運転手に「六本木へ」と告げた。




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カラスと木瓜の花 (15)

2008年08月20日 | カラスと木瓜の花
 真夜中のベランダにでた、缶ビールを手に。
 妹からたっぷりと幸せを分けてもらった筈なのに、心がひとりでに沈んでいく感覚がある。ベッドに横になっても眠れなかった。ふいに曖昧な付き合いをしている男へ電話をかけてみたけれど、電波の届かないところにいらっしゃるようだった。くだらないと思いながら、自分の幸せと呼べる場所を頭のなかで探した。すぐに見当たらない気がしてきて考えるのをやめた。
 眼下では中庭の木瓜の木が月明かりに照らされ、ぼんやり浮かびあがっている。風は生温い。
「えん子さん?」
 うさぎちゃんが自分の部屋からベランダにでてきた。
「おかえり」
 少し前、うさぎちゃんが仕事から帰ってきたのは気づいていた。反射的にビールを勧めると、うさぎちゃんはアルコールはまだ勉強中なのでと笑いスマートに断った。こういう言い回しは好きだ。
「妹さんの結婚式どうでした?」
「凄く、いい結婚式だったよ」
 凄く、を強調して私は答えた。
「えん子さんは……結婚しないんですか?」
 数時間前、何度も私にあてられた同じことをうさぎちゃんが訊いてきた。けれど、彼女の言葉には哀れみや慰めが込められているようには感じなかった。それでも、うーん、と唸って言葉に詰まった。私は恋愛の仕方が間違っている、そう頭には浮かんだけれど、声にはならなかった。
「えん子さんにはモトさんみたいな味方がいて羨ましいです」
「モトさん?」
「自慢の孫だって、よく、えん子さんの小さいころの写真を見せてもらってました。実際逢ってみて、素敵な人だなあって思いました。私もえん子さんみたいな女性になれたらいいな」
 うさぎちゃんは私の表情を窺いながら、月明かりのなかで微笑んだ。私は全く予期せぬ二つの告白に面食らった。半信半疑でもあった。
 気を許した私はろくでもない恋愛観を語り、叔母から「まだ本気で人を好きになったことがないのね」と明言され、少しだけ腑に落ちなかったことを打ち明けた。すると、うさぎちゃんは叔母の台詞を否定してから、「平和な人には解りませんよね」と言った。そして、
「人を好きになるには強い愛が必要ですから、どんな恋愛でも」
 遠くの雲を見つめながら、穏やかに言葉を放った。なんだかとても奥深い言葉に聞こえた。若いのに難しい恋愛でもしているのだろうか。
「そうね。好きだから好きになり過ぎちゃいけない、とかね」
 私は自分に言い聞かすよう漏らした。また沈んでいく感覚に襲われていた。うさぎちゃんはベランダの柵に肘をつき、まんまるの月を見つめていた。
「やっぱり、えん子さんは私の理想です。選ばれた女性ですよ、特殊な恋愛ができるのは」
 うさぎちゃんが大人っぽい横顔で言った。なぜか私の瞼の奥からは涙が溶けだすようにあふれた。
 本当はずっと泣きたくて、泣ける場所を探していたのかもしれない。




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カラスと木瓜の花 (14)

2008年08月18日 | カラスと木瓜の花
 パイプオルガンの幻想的で優美な調べが大聖堂いっぱいに満ちていく。やわらかく私の心にも染み渡りかけたころ、ゆるやかに扉が開いた。早くも視界が滲んでくるのを感じる。なぜ花嫁というのは、こんなにも美しく満ち足りて映るのだろう。身内なら尚更ひいき目で思う。ボリュームのあるベルラインの真っ白なドレスをまとった妹が輝きを放つ。父と共に、大理石のヴァージンロードを一歩踏みだした。参列者に祝福され、妹が照れた微笑みを返す。穏やかな優しさに包まれている。無意識のうちに私の頬には安堵の涙が伝っていた。母も感涙していた。もうひとり、隣でぐすぐす言っていたのはモトさんだった。涙を拭っていた。私はそれを見てまた涙した。いつもは家のなかでも着物で過ごしている人が、わざわざモーニング姿で参列した。しかも自前だ。その正装がまた涙を誘った。
 潤む視界の違う角度の先では、迎える新郎がすっと歩みでた。その姿もまた優雅に映る。そこへ”ふたり”がゆっくりとやって来た。新郎と父が何か小さく言葉を交わし一礼した。父の手が静かに妹の背中を押すのを私は感慨深く目にした。
 長くのびるドレスの裾を揺らめかしながら、新婦は新郎の腕にしっかり手を添えて、聖壇へと進んだ。

 妹が選んだ式場は、実家近くのゲストハウスだった。チャペルに続き、披露宴会場も質のいい洗練された空間で、仲間うちだけの小規模な宴の場にも適し、満足いく雰囲気が保たれている。そう言えば、夏期の挙式は割引もありお得だ、と妹がメールの一文で歓んでいた。来賓もまた違う意味で得をした気分を味わえているのではないかという気がする。
 モトさんは久々に逢ったであろう四人の実娘たちにも、相変らず無愛想だ。私は親戚に囲まれた環境のなかで、自分がたったの一ヵ月あまりで、すっかりモトさん側の人間になっていることに気づいた。むしろ、モトさんを味方につけているようで、どこか心強い。
 新郎新婦の友人による余興が始まると、そっちのけで叔父叔母たちがまちまちに、私のいるテーブルへやってきた。うちの両親と語らった後は一様に私にも声をかけてきた。苑子ちゃんはいい人いないの? 予定はあるの? と。心の準備はできていた。けれど、正直、鬱陶しい。返事には言葉を選ぼうと時間をかけていると、
「こいつぁ何だ?」
 という声が割り込んできた。その主は、隣で洋食三昧の食事を全く拒むこともなく賞味していたモトさんだった。きつめの口調で料理の食材を私に訊ねてきた。モトさんの箸先を眺めると、明らかに訊くまでもない食材が目に映る。私はうっすら笑った。すると、モトさんは知らん顔で人参をぱくりと頬張った。判っていた、質問攻めに遭っていた私を助けてくれただけだということは。私は叔父叔母への返事をしないまま、やり過ごした。
 
 披露宴は短期間で準備したとは思えないほど、たくさんの感動と余韻を与えてくれた。妹の笑顔は最高だった。果たして、姉の慶びと祝福は届いただろうか。




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カラスと木瓜の花 (13)

2008年08月12日 | カラスと木瓜の花
 私は鈍感なのだ、そうだ。
 変わっているとはよく言われるけれど、鈍感だと言われたのは初めてだ。この家の内情をよく知る冷静な読書家が言うのだから、まんざら間違いでもないのだろう。
 もともと面倒なことが苦手な私だ。愛想を振りまいたり、他人と必要以上に関わったりするのは、仕事中だけで充分だ。神田くんの発言の理由を問いただす気力はなく、帰りにコンビニで買ってきた惣菜と新発売の缶ビールを食卓の上に並べ、自分の席に腰をおろした。間がいいのか悪いのか、鳩時計が一回鳴く。時計の針は午後十時半をさしている。今夜は既に鳩が十回鳴いた後に帰宅したことになる、などと無駄に思考回路を使ってみる。そこへ、二階から大崎と、少し遅れてうさぎちゃんが下りてきた。
 大崎はリビングの様子を窺うこともなく、自分の部屋のほうへ歩いて行った。陰気でありながら程好い魅力をもつ彼の容姿は、苦手な部類ではない。けれど、この手の男にこれほどまで無視されたことはない。少しむかつく。
 うさぎちゃんは、わりと元気そうな笑みを浮かべ私に軽く手を振ると、バスルームのほうへ行った。

 しばらくしてリビングに現れたうさぎちゃんは、「いーもの、見っけ」かすれ声で言い、悪戯っ子の表情をみせた。
「洗濯機の底から救出しました」
 と、うさぎちゃんが食卓の上に、あるものを置いた。数は三つ、というか三つが連なっている。小さな四角いパッケージの中身が丸く透けている。私は眼を細めつつ、躊躇もなくそれに手を伸ばした。うさぎちゃんがにんまりして私を見る。それは洗濯されてしまったらしき未使用の避妊具だった。
「それ、僕のです」
 と、いきなり神田くんの声が低く響いた。無表情であさっり言い放った様子だ。私も私で、ビールを啜りながら反応乏しく、”それ”を持ち主のほうへと移動させた。神田くんは「すみません」と軽く謝り受け取ると、何事もなかったかのように本に向かった。私も、そのままおとなしく晩酌を続けた。うさぎちゃんは、いつの間にか私の隣の席に座り、錠剤を飲んでいた。顔色も良くにこにこしているので、具合を訊くのは止めておいた。私の好む静かな時間が流れる。
 程なくして神田くんが、
「これって、まだ使えるんですかね?」
 と、本から視線をずらすことなく、まるで文章を音読するような感覚で、呑気な発言をした。一応、片手で避妊具を私たちに翳している。
「使ってみれば?」
 今度は、うさぎちゃんが能天気な返しをしてくれた。納得したように神田くんが頷き、ぶつをポケットにしまった。ここに居たら、こんなことが淡々と起こるのか。思っていたより結構おもしろいと秘かに思った。遠慮も言い訳も、変な気遣いもいらないこの環境は、私には素晴らしく心地のいいものに感じた。
 鈍感に暮らすのも悪くない。




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カラスと木瓜の花 (12)

2008年08月10日 | カラスと木瓜の花
 都内でも夏祭りや花火大会が行われはじめた。夏本番だ。妹の結婚式も再来週に迫った。

 別宅の一員となり早くも一週間が経とうとしている。最初の三日間は仕事へ出かける前、モトさんの顔を見に本宅へ寄ったけれど、その後はモトさんとも別宅の若者とも、殆ど話す時間すらなくすれ違っている。あのグレーの瞳をした大崎という男の姿は四日目に目視した。本宅の前でモトさんと話しているところを遠目で見ただけだ。第一、第二印象とも、普通に会社勤めをしているような外見には見えなかった。
 その大崎が今、職場から真っ直ぐ帰宅しリビングに入ったばかりの私の先にいる。何を血迷ったのか、やっと逢えた、そんな気持ちが湧く。心のなかで軽く否定する。期待外れにもグレーの瞳はしていない。黒目の割合が多い、最近どこかで見たような目だと頭をかすめる。すぐに判った。カラスの目だ。
 大崎は私の視野のなかで、冷蔵庫から王冠タイプのミネラルウォーターの瓶を取りだし、持っていたライターで器用に詮を抜いた。そして、一気に飲みほした。私の視線を感じたのか、カラスの目がこちらを向いた。一瞬ドキッとして、白々しく目を逸らした。
 この家には大小二つの冷蔵庫がある。大きいほうには食材が豊富に詰めてある。一扉の小さいほうは飲料専用で、ビールや炭酸飲料、うさぎちゃんの好みらしき、今まさに大崎が飲んでいたミネラルウォーターが大量に冷やしてある。勝手に飲んでいいとは聴いていない。私は再度、大崎を睨みながら視野に入れた。大崎はまた冷蔵庫から新しい瓶を取りだしていた。そして、それを持ちリビングから真っ直ぐ伸びる階段をあがって行った。なぜ二階に? 私は固まっていた。
 お帰りなさい、不意をつくように後方から声をかけられ身震いした。声の主は、いつもの如く読書に没頭していたと思われる神田くんだった。ソファーで銅像化していた彼に全く気づいていなかった。私は二つの動揺に、ため息をついた。
「大崎さんと逢うの初めてですか?」と、神田くんは冷静に私へ問いかけた後、うさぎちゃんが体調を崩し寝込んでいると話した。
「うさぎちゃん何か食べた? 何か作ったほうがいい?」
 料理の不得手な私がくち走る台詞じゃないと思いながら、一応言葉にしてみた。神田くんは、大丈夫だと言ってましたと軽快に言い、本に向き直った。
「あの二人って、デキてんの?」
 私は二階を指し、心の声をぼそりと表にだした。すると、神田くんは私を深く見つめ、ゆっくり一度だけ大袈裟な瞬きをし、「まさか」と首を振った。懲りずに「神田くんが気づいてないだけじゃないの?」毒つくと、神田くんは、
「えん子さんこそ気づいてないんですね」
 と静かに言った。理解できず首をかしげると、神田くんは「いや、なんでもないです」小さく言った。私は思わず、私には関係ないか、と呟いた。
 視界の下のほうで、神田くんが本から目を離さず、「えん子さんって意外と鈍感ですよね」と呟き返し、にやりとした。




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