太陽の下を歩ける日まで

躁鬱・不眠・OD・アムカ・過食・拒食・対人恐怖・突発性難聴・眩暈・幻視

逃避から現実の旅2

2017年07月28日 22時33分41秒 | 病み

いろんな思いを抱え高速を黙々と運転していた
一人だからなのか疲労感がひどい
線量計の数値が上がっていく
原発帰宅困難区域の看板が出てくる
〇岡ICを降りると街の様子がおかしいのにすぐ気づいた
避難解除のなったばかりの土地は
ゴーストタウン化し蝉の鳴き声だけで以上に大きく聞こえた
錆びついた建物
伸びきった雑草
黒い袋があちこちに積み上げられ
あちこちに迂回路の看板
けっきょく目的の場所には辿りつけなかった
怖い 本当に怖かった
その地を離れ宿さがしに
本当はいわきまで生き予定だったが
疲労感がはんぱなく隣町の宿に連絡してみた
急な宿泊にもかかわらず雲よく空いていた
夕食は時間的にも用意できないというので
行く途中に新しく出来たであろう
さくらなんとかモールだったか?忘れたが
そこで夕食を買って行った
着いたら皮肉にもツインの部屋で
孤独を突き付けられた感じであった
それに加えここは彼の元職場なのだ
今までの思い出が走馬灯のようにこみ上げてきて
久しぶりにSNSを開いてみた
友達欄に名前がない!!
解除したのだろうと思ったのだが
それもおかしい
ブロックだと気づくのに数分かからなかった
検索ワードにもひっかからない
自分もブロックしようと画面に名前をいれたら瞬時にでてきたではないか!
ブロックされても相手をブロックできるのだから
当たり前と言えば・・・
それを見数秒で堕ちた
谷底に落とされた気分
そこまでされるほど厭がられていたのか?
などの悲観的なこと頭の中でエンドレスリピート
違う、いやそうだ、違う、いやそうだ
否定しては納得してはでトランス状態
おもわず皮肉のメールを送ろうと思ったが
良くも悪くも友達の顔が頭に浮かびコールしていた
出なかったがすぐにかかってきた
実は今、福島にいる
ブロックされた

逃避から現実の旅

2017年07月23日 21時23分27秒 | 小説

このブログにはもう書き込むことはないだろうと思っていました。
残念なことに闇が襲ってきてしまいました。
非常に深い闇です。
逃げ場のない闇です。
どう乗り切るか?れは見当もつきません。
死体となるまでは・・・

この土地に訪れてから早いもので1年4ケ月が経った
長いのか?短いのか?と聞かれるとどちらも当てはまらない
なぜなら現実を受け止めきれず
自分を殺し演じていたからだ

闇をもっているが
悟られないようにこっそり
気にしない気にしない気にしないと言い聞かせて

それは一生一緒にいたいという人に出会ったからだ
何があろうと一緒に添い遂げるつもりだった
だが、その望みは無力にも「ごめんね」の一言で砕かれた
ダイヤより硬い意思だったのに

この出来事があったのは
メンタルがボロボロになり入院中の出来事だ
電話を切った後
平常心を保つことができなくなり
人目も気にせず泣き崩れた
看護師さんが様子を察しすぐにかけつけ
うん、うん、と話を聞いてくれて一緒になって泣いてくれた

「〇〇〇さんは突発的な行動とるから心配で・・・」と一言
その夜は4人部屋で泣けないだろうと配慮してくれて
髪の毛が抜けるほど泣いた
本当に辛かった
いよいよ報いがきたと思った
これまで罪深き人生だった
人としてと思うようなことをやってきた
誰でも逃げるよな
手に負えないと

そう!次の日から一ヶ月、現実逃避が続くことになる
逃避すればするほどドツボに嵌り
明るくしていれば
忘れるさ
時間が解決してくれるさ
つらいのは長い人生の中のほんの一握りの時間
後になって考えれば
なぜあんなに悩んだんだろう?ってきっと思うさ
ポジティブ根性
そんな時間など長くは続かない
ついに張り詰めた糸は切れた

何とかけりをつけて次へ進もう
目覚めて数時間後には
バッグに荷物を詰め込み
福島に向かっていた
近づくにつれ不安感が心の奥底から沸々と湧いてきた
物凄い勢いで現実に引き戻される感じだ
怖い、この土地に足を踏み入れるのが怖い、怖い





集中しすぎて疲れてしまいました。
続きは後日。

皮肉なことに、このブログを書き終わった後のニュースで女子高生が死亡。
遮断機をくぐり列車にはねられる。
私が代わりに死んであげたのに。




心痛

2016年07月07日 22時40分18秒 | 小説

浸潤癌ではなかったにしろ、

どうやら悪い細胞がまだいるらしい。

経過をみるか、全摘するかの2択だった。

全摘ってことは・・・

頭中は不可の文字でいっぱいになった。

血の繋がりのないものが継ぎ、

そして繫がりのない者同士の子。

繫がりのある者が継げばいいとは思うが、

夫婦もまた繫がりなど無いのだから、

繫がりがどうのこうの言っている自分がおかしいのか。

拘りすぎているのか、

時代に取り残されているのか、

両親も回りも繋がりがどうのこうの、

言う人などいない。

だが、、、私は考えてしまうのだ。

私でいいのか?と・・・

母がどれだけの思いで生きてきたかを思うと、

私でいいのか?と・・・

生きてさえすれば今頃、母は幸福感に満ちた人生になっていたのではないかと。

もうOD数え切れないほどしているやつが、

今更、どうのこうの言えるわけもないが、

それでも諦められない。

どうせなら末期だったら良かったのに・・・



忘れない

2016年07月07日 21時19分11秒 | 日記

一時の感情に流されやってしまった。

日を隔てるにつれ罪悪感は大きくなり、

薬の誘惑が襲ってきた。

忘れて飛びたいと・・・切りたいと・・・

逝ってしまいたいと・・・

そして忘れてはいけない記憶となった。

一生涯忘れることはないだろう。

相手が忘れないと何度も言うのだから。

どんなに辛い理由があるにしろ忘れられない。

あの時、術後、極度の疲労からくる怒りだったとしても、

忘れられない。

忘れない。

忘れられない。

忘れない。

忘れられない。



help me

2016年04月21日 22時07分24秒 | 日記

付き合って何ヶ月が経っただろうか

薄々気づいていてはいたが

言葉の暴力

つまり彼はDVだった

先日2泊3日で彼の家に泊まりに行ってきたのだが

2日目のことだった

ネットバンキング登録が上手くいかず

八つ当たりしてきた

通話中だったから

状況が把握できないのだから

協力しようにも何を手伝ったらよいか

わからない状況なのに

怒りを露にし

無事に登録でき電話を切ったあと

誤ってきたのだが

訳のわからない私にたいして

「ごめん」と言ってきたが

本当に私に悪いと思っていないのが感じられたから無視した

私の態度に怒りを露にし

鬼の形相で「無視したのか?それとも聴こえないフリをしたのか?」

と問い詰めた。

私は間髪いれず「無視」したと答えた。

その答えに発狂して大声で怒鳴った。

もうこれ以上一緒にいられない

同じ空気を吸うのも嫌になり

部屋を飛びだし彼から逃れるため

重い荷物を抱え必死で逃げた

彼は追ってきたが3度振り切り逃げたが

捕まってしまった。

酷い脱力感、怒り、PD、精神的にボロボロになった。

もう死にたい気持ちしかなかった。

それから彼に内緒で一緒にいる間、

何回かにわけてODをした。

そのうち記憶もとび

翌日には殆どの記憶が抜けてた

こうでもしないと乗り切れなかった。

よくじつはODしたんで体がだるく

運転が出来ないほどの眠気に襲われ

やっとの思いで自宅に帰ってきた。

夕食もとらず半日以上眠った。



今でも恐怖感は消えない。

気が付いたらバックにカッターを忍ばせていた。

また、同じようなことがあったら切ってしまうだろう。

これがわたしなりの抵抗なのだ。

死ねない私のやり方。

私から別れを切り出すことはできないから。

発作

2016年04月11日 23時37分25秒 | 日記

昨夜、両親と一緒にいた時である。

謂れのない不安感

苛立ち

病気を克服できない焦りから、

涙が溢れ出し

どうにも止めることが出来なかった。

また心配をかけてしまったという罪悪感に苛まれ

アルコールで誤魔化したが

手元にくすりがあれば

間違いなくODをしていたと思う。

いつまで続くのだろう。

もう発症してから5年も経つというのに。


ついに焼きが回ってきた

2016年03月27日 22時13分57秒 | 病み

子宮がん検診ので再検査の通知が届き

専門用語がずらりと並んでいたんで

だいたいの状況はわかっていた。

後、某病院で再検査をし

先日結果を聞いてきた。

予想通りの結果だった。

病名は上皮内癌

異型性・・・軽度・中度・高度

いずれの高度に当てはまり

悪性癌の一歩手前の状態だと言っていたような気がする。

病名を聞いて頭が真っ白になり多少記憶が抜け落ちている。

異型性とはいえ手術が必要で手術してみないと

悪性の可能性は否めない。

予想通りとはいえ

お先真っ暗になるほどショックだった。

年齢的にも難しいとは思っていたが

子供を諦めきれずにいたわたしにとっては

一番病気になりたくない部分だったからだ。

最初に思い浮かんだのは今まで

自分の体を傷つけてきた罰だろ思った。

数え切れないほどのOD

数え切れないほどのアムカ

2度の中絶

煙草に浴びるほど飲んだアルコール

首吊り

もっと辛い病気や難病を抱えた人がいるのに、

こんな事で死にたいと思うなんて情けないと思うが

本当にショックだった。


彼は言う
「ポリープだと思えばいいと」

彼なりの精一杯の慰めの言葉だったのだとおもうし

逆の立場だったら私も、

そう言っていのかもしれない。


なぜに、

これから先のことを見据えて社会復帰しようと思っていた

矢先にこんなことがおこるのか。


もういいよね。そろそろ。

あっちへ逝っても。

死ぬときぐらい自分で決めても。


罪悪

2016年03月24日 02時42分17秒 | 病み

彼は勘が鋭い

故に嘘をつくことはできない。

だが私とは感覚が違う。

病名が違うのだから当たり前のことなのだが

病気に対して理解して欲しいとは思わない。

それは私の問題だから。


しかし心とは裏腹に責めてしまったのだ。

「大丈夫だよ」

とは言ってくれたが

電話を切った後、死んでしまいたいと思った。


前日のことだ

2016年03月23日 23時49分49秒 | 日記

先日、婦人科で検査をしたところ総合病院で精密検査をするように通知がきた。

検査の結果が専門用語だったんで

ネットで調べていたのだが

異型性中度~高度だったんで

心当たりがあったんで

切除術が必要だとは思っていた。

女性にとって特別な場所だから

ショックだった

だが、、、なるようにしからない


私は過去に人工中絶をしたことがある。

好きになった相手が既婚者だったからだ。

それでも産むという選択肢もあったが

当時の状況では中絶するしかなかった。


それはそれは辛かった。

悔やんでも悔やみきれない。







2016年03月19日 22時17分20秒 | 日記

ここ1カ月、自分のことばかりで母の病みに気付いてあげられなかった。

それが発覚したのは先日、被災地(福島)に行ったときのことだった。

日帰りになるか?宿泊になるか?わからず急に思い立って行ったものだから

一人で行くつもりだったのだが、母も行くと言い出した。

案の定、疲れがピークに達し宿泊することにした。

夕食をとり部屋に戻り何気ない話しから始まり、

今の心情を話し出した母。

よくよく聞いてみると、

いつからなのかは聞かなかったが、

かなり軽度のうつ状態になっていたようで、

被災地に行く前日、、、心情を綴った日記を書いていたらしい。

私の想像を絶する辛さが書かれていたのだと思う。

帰宅してから見せると言っていたのだけれども、

見ることはなかったが想像はついた。

本当にごめんなさい。

私はあなたの娘で良かったです。

病み

2016年03月19日 20時55分03秒 | 日記

夕方から謂れの無い不安感が募り、

お薬を服用したが

どうにも落ち着かず

良からぬ事が頭を過ったんで、

そのまま家をとび出し1時間ほど歩いて気を紛らせてきた。

こんなことで落ち着けば歩く必要性などないのだが、

疲労感で眠りにつけるならと思った。

1度も成功せず結局のところODやら浴びるほどアルコールを摂取してしまうのだ。

そして次の日、、、自己嫌悪におちる

正に悪循環のなにものでもないのだ

自分が許せない

腐った心は生まれながら

もう、、、そろそろいいかな

消えても




この二日

2016年02月07日 22時45分07秒 | 病み

死んでいた。


病院に行く前日、

県内とはいえ病院まで2時間ほどかかるので、

わたくしの隣町に一泊したのだが、

目覚めてから彼の体が不調で、

苛々するし機嫌がわるかった。

そして術後の診察のため病院にいった。

経過は順調で再診する必要は無いとのことだった。

だが、一箇所違和感があるんで先生に問うたら、

今後消えていくでしょうと言われて一安心したのも束の間、

起伏の激しい彼は、

ちょっとしたことでも苛立っていた。

さすがのわたしも限界。

でも、ここで互いに苛立っていては、

今までの繰り返しだと思いひたすら耐えた。

が、しかし私は精神疾患を患っている身。

落ち着かせるため通常では一定の時間をあけないと、

飲めない薬を一気に3錠服用した。

3時には帰路に着いたのだが、

自宅に着いてからも彼の態度というか、

親しき仲にも礼儀ありってのもおかしいのかわかりませんが、

せっかくのデートを台無しにするような態度が許せず、

ずっと苛立っていた。

そして夜の電話で話した時のことだった。

終わったことなのに、

昔のことを持ち出され、

電話しなければ良かったとさえ言った。

それから、どんどん気が滅入っていった。

今まで封印していたアルコールに手をつけ、

ODをしアムカしてしまった。

ざっくりと・・・

久しぶりの血は鮮血で美しくさえ思った。

この美血まみれになって死にたかった。

次の日

何故やってしまったのか?と罪悪感に苛まれた。

腕をみてパックリ口をあいた傷口をみて、

1年半、我慢したのはなんだったんだろう。


よく聴くが、

生きるためじゃない。

私にとっては罰だ。

彼には彼の葛藤がある。

わかってやれなかった罰だ。

ごめんなさい。

私は生きる価値のない人間です。







久病

2016年02月06日 23時06分43秒 | 病み

久々に発作がきた。

OD願望が強い。

アムカも・・・・

何も考えず眠りたい。

白鯨

2016年01月25日 22時33分50秒 | 日記

生死を彷徨うとは、

こういうことをいうのだと痛感した。

極限状態での判断力!

諦めない!

自責の念

2015年12月23日 22時41分02秒 | 病み

人と向き合い言うべき時は言わなければ、

ストレスになると感じ言い放ったが、

その後、言い過ぎたと自責の念にかられ、

自分を壊したくなった。

前の私だったら迷わず、

ODしてアムカしていただろう。

だが、、、留まれているのは彼のお陰なのか?

わからない。

今も自傷したい気持ちは治まらない。

自分が怖い。

この先、何十年おなじことを繰り返して生きていくのかと思うと・・・