ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

青山学院大学の女性准教授や欽ちゃんの聖火リレーについて

2008年04月30日 12時16分37秒 | 今日又は最近のニュースより
山口県光市の母子惨殺事件の判決に関する准教授の発言や欽ちゃんの北京五輪の聖火リレーランナーについて、さまざまな非難があったようだ。
私はここ一ヶ月猛烈に多忙・疲弊していたので、ネットですらじっくりとニュースを見ていなかったのであるが、明らかな犯罪や迷惑行為でも無い限り、言いたい奴や行動したい奴はそうさせておけば良い。

発言や行動する自由はあるが、それら対する非難も、例えば武力行使のような行き過ぎた行為で無い限り自由なのだから。

私も発言や行為には憤りや疑問を持ったし、もし大学関係者なら直接抗議しただろう。だが、本当に怖いのは、このような思いを持ちながらも隠し続けることだろう。人間性を疑うような感想を見聞きするのは気分悪いだろうけれども、正直な人には、むしろほっとする。

欽ちゃんのほうだけれども、いろいろしがらみがあるのかもしれないし、チベットに対して熟慮していないのかもしれない。ジャッキー・チェンにも落胆したけれど仕方ないだろう。チャップリン信奉者と聞いていたが、チャップリンの何を信奉しているか私は知らないし、演技・表現だけに心酔しているかもしれない。

一つ言えることは、生涯、他者を欺き続けて立派な人であることは本当に難しいということだ。ほとんどの場合、ぼろを出してしまう。
それができたら、本心はどうあれ、その人は本当に「立派な人」と見なしていい。

死後の世界でどうなるかって?そのようなものが存在するのかどうか知らないが、「後のことは神にお任せしなさい。」と、有神論者には言うしかなかろうよ。
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デジタルカメラ

2008年04月30日 11時33分33秒 | 日常生活
一般用のコンパクトデジタルカメラの国内市場が鈍化しているという。デジタル一眼レフは売り上げが伸びているけれども。

欲を言うならば、コンパクトデジタルカメラの軽さと大きさで一眼レフクラスの画質になれば嬉しい。銀塩一眼クラスの画質までは欲張らないけどデジタル一眼クラスの画質が、レンズ交換無しでコンパクトデジタルカメラより少々大きめの、そうですねぇ、PANASONICのFZシリーズ程度の機器で得られれば嬉しいかも。

しかし、被写体が魅力的な女性か自然の風景に限られる私は、最近、デジタル一眼レフの出番もあまり無い。撮影会もとんとご無沙汰だし、ほんの少しでも追っかけみようかなと思う芸能人もいない。コスプレ大会やショーアップされた展示会もほとんど行ってない。市内で一眼レフを持って撮影したくても今の物騒な世の中では、イベントや祭りでも無い限り、不審人物だと勘違いされてしまう。

だから、コンパクトデジカメで業務用データや時刻表や地図、目的地へ行く為の目印となる建物を簡易記録として撮影する方が多いです。後は突然起こった出来事、いわゆるハプニングの様子を撮るくらい。今は静止画・動画、両方撮れるから便利です。できれば、照明が不足し感度の低い時でも、被写体ぶれ無く撮れれば、なお良いです。

とにかくデジタルカメラだと、それが中位機種の一眼レフならば、連射機能を用いて千単位のショットを平気で撮影するようになり、撮っている時は楽しいけれど、後でじっくりと見る時間がほとんど無くてそのまま放置するばかりで何の為に撮っているのかわからなくなることが多くて、昨日はとうとう保存することさえ忘れていて、前回の撮影を記録メディアから消去してしまう失敗までしてしまいました。しかも、前回何を撮ったのかあまり覚えていないので、確かに自分の失態を悔やみはするのだけれども、痛烈に悔しがるということも無くて、自分の時間の過ごし方を改めて見つめ直す機会になりました。

最近は年度末-年度初の多忙さと日常生活による疲労で、帰宅してからは夕飯→風呂→寝床の定期ルート一直線で、判断力と記憶力が落ちていたことも原因ですが、機器が発達しても、十分な金銭的・時間的余裕が無いと十分に活用することができないですね。

TV番組も、将来の為に録画だけはしているけれど、ほとんど視聴していない。
確かに「番組がつまらない。」とか「長時間のスペシャル番組で内容が薄い。」とか「ニュースや討論・論評番組の捏造・偏向があからさまである。」とか「漫画が原作のドラマばかりで、なおかつ、キャストが事務所の力だけで決まっていてほとんどの場合、原作の魅力をぶち壊している。」という意見もあり、それぞれ頷ける理由であるのだが、各放送局も実験的な番組作りもして努力しているようで、これらの理由だけでなく、より根本的には、時間的・金銭的余裕が無く落ち着いた生活が過ごせないことや、多少それらと関連もあるが楽しみたい時に視聴するライフスタイルが求められるようになってきたことも、低視聴率の大きな要因ではないだろうか。

社会に不安が無く(政治不信・国際不安・金融不安・マスメディア不信・偽装偽計・社会不安などなど)、安定していれば、多少のバカ騒ぎ番組・低能番組・インチキ番組(ニュース・ワイドショー・バラエティ)は容認してくれるし、金銭的・経済的余裕が有れば、熱心なファン・マニアや一途な者以外にも、他者を応援する余裕ができて、お祭り気分で芸能界も活気づき潤うと思うけれども、「社会の木鐸」で、事実を的確に報道しなくてはならない報道機関が、自ら「洗脳機関」に成り下がっていては、自己防衛の為にも恐怖のあまり、安心してテレビなんか見ていられない。

まず、大切なことは視聴者の意見を聞き、取り入れるものはきちんと意見を酌んで実行し(委員会等を組織して聞いたふりをするのではなくて。日本は討論などの対人関係が下手なのかこういう事例が多すぎる。本当は日本人自体、引きこもり的素養があるのだろうか。。)、少しずつ信用を取り戻し、視聴者に安心感を与えることが最も大事なことだろう。あとは速やかにON DEMANDに対応することだ。せっかくの番組資産を自ら生かせないなら、他社に運用を預けるのもいいだろうけれど、せっかくなら、視聴マニアの応援も得られるようにしたらどうだろうか。

デジカメの話に戻るが、これからは簡易記録以外ではあまり使用しなくなるかもね。。ビデオの方は、どうかねぇ、もうデジタル放送になったら不便だから、もう録画もしないだろうね。将来、報道番組でこんな捏造や偏向をしていたという証拠にしてやろうと、意気込んでいたこともあるが、もうどうでも良くなった。
行き着くところまで行かないと眼を覚ますことができないだろうし、眼を覚ました時には手遅れということもあるだろう。

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山口県光市 母子惨殺犯人に死刑判決

2008年04月23日 06時09分43秒 | 今日又は最近のニュースより
さっさと死刑にしないか!と思いしか沸かないこの事件。
裁判長の判決文を読むと、どうみても死刑判決に至るまで最大の貢献をしたのは、被告の大弁護団だったようだ。
安田弁護士は、「本当は死刑推進論者ではないか」と思われるくらいに、荒唐無稽な弁護を繰り返していたが、彼が本当に死刑反対論者であるならば、「アホな味方は手強い敵よりはるかに恐ろしい。」と大いに笑えてしまう。

(続きは後ほど)
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フランス=ナチス? どうしようもないな中国人(漢民族)。

2008年04月20日 03時10分53秒 | 国際情勢
第二次世界大戦中、ナチスドイツに蹂躙されたフランスがナチスとは。。。


・Janne d'arc=prostitute(ジャンヌ=ダルクは売春婦)
・Napoleon=pervert(ナポレオンは変態)
・FRANCE=NAZI(フランスはナチ)
・FREE CORSICA!!!(コルシカを自由に!!!)

これはもう阿鼻叫喚の北京五輪、必至ですな。
中国人は元来、極めて現実的で政治的な手腕に長けているという認識があったのだけれども、民族至上主義的な仮面共産主義の下に行われてきた愚民化(愛国無罪・小皇帝扱い)ですっかりダメになってしまったようだ。
中国共産党の賢明な人達は、内心は大慌てじゃなかろうか。。。

http://www.daylife.com/photo/06nP184duwgjN
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新年度

2008年04月12日 09時34分20秒 | 日常生活
遂に理化学的業務とは完全に無縁となり、事務とマネージメント業務だけになった。こうなってしまうと、とんでもトラブルを頻発していた島津製作所の分析機器も懐かしくなってくるから不思議だ。
ガスにしても液にしても、クロマトグラフィーの分析機器は性能のことはいざ知らず、ユーザーインターフェイスや付属のソフトウェアはWaters製などの欧米製の方が優れていたと思う。
日本製自家用車、例えばTOYOTAなどは、以前利用する人の立場に立って内装や装備が作られていたというけれど、大量生産品以外になるとそのような配慮が無くなってしまうということはよく聞いていた。しかし、東芝のDVDレコーダーのように、性能は良いのだが、使用法が難解だとか次世代機種になるとボタンの配置をガラリと変更してしまうというように、家電製品ですら、インターフェイスが悪くなっているような気がする。
簡易なビデオデッキのインターフェイスを利用して、DVDレコーダーの操作ができるような、敢えて名付けるならば、インターフェイス改良機器・インターフェイス変換機器みたいなものは作れないだろうか。PCを介してその中のソフトウェアを利用するという方式でも良い。

(以下2008/04/13追記)
一応、島津製作所の名誉の為に付記しておくと、現在は基盤交換(Ver.UP)を無償にてしていただいたので、快調に動作しているようだ。まあ、それまでに、私も仲介業者にいろいろな苦情や提言を行ってきたのである。どの程度、島津に伝わっているかどうかは私にはわからないけれども、少しずつ改善されてきてはいるようだ。
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相談

2008年04月11日 07時09分12秒 | 妄想
催眠や水質検査の話で語ったことだが、人に相談しているように見えて、実は話を聞いていない人っているよね。自分の考えを持っていて半ば固定化されているけれど、自分の考えに賛成・同意してもらいたいのか、多少他人からの突っ込みがほしいだけなのか知らないけれど、「それならば、わさわざ人に尋ねてくるな。」と言いたくなることもある。

自分の迷い、しかも自分の妄想・幻想を他人の意見や事実提供を参考にして修正する気もないくせに、他人を巻き込んで時間を無駄に浪費させるな、と言いたい。。
だが、それが人間の弱さなのかもしれぬ。

結局は自分で考えて決断して行動するしかない。
その際、他人に相談する時は、尊重して相手の話もちゃんと聞こうよ。
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久々に催眠の話 その4

2008年04月08日 00時25分30秒 | 過大な期待(催眠など)
現在でも現役で頑張っておられるH先生のことを、結局のところ私がどう思っているか、ということですが、掲載内容を消去しないということは認めていると考えていただいて差し支えありません。あくまでも当時の感想でありますが、そういうことです。
(独自療法を提唱し催眠を捨てたO先生やとっくの昔にサイトを閉じてしまったEさん・Pさんについては語ることができません。またC.P氏については方向性・ポリシーを認めています。M氏については現在わかりませんので、やはり語ることができません。語るにはかなりの年月が経過して諸々の事情が変わってしまいました。。。)

心理学の専門家からは批判もありそうですが、私個人としてはその思いを揺らぐことはできません。
いろいろ理由はありますが
●催眠のかけ方や教育に主眼を置いていること
●何でもかんでも治るなど言っていないこと
●ジレンマに悩み、できることならば「辞めたい」と過去に吐露していたこと
(私の推察だが、効能と限界を知っているのだがどうにも他人に伝わらないのではなかろうか)
が主な理由です。

私は仕事柄、食品(いわゆる健康食品を含む)・薬・医療機器についても、効能を過大に謳って宣伝している事例を見ていますから、許容範囲に見えてしまうのかもしれません。明らかに人体に害をなすものや妄想で社会に多大な悪影響を与えるものは容認できませんが、依頼者が勝手に幻想を持つ場合を含め、幻想を満足させてやる程度は仕方ないのかな、と思ってしまいます。もちろん、催眠がまるっきり幻想という訳ではなく、あくまでも効能が過大に評価されすぎていることが問題なんですけれども。

本当ならば、厳密に規制して、幻想なしの完全リアルな効能を謳うことしかできなくすれば良いのかもしれませんが、それは、なんとも味気なくてつまらない社会になってしまうかも、とも思ってしまいます。
考えが未だまとまっていないのですが、自分の経験ではこのような結論になります。

催眠など誰も見向きもしなくなるような代替が出てこないと、現状を変えることはできないかもしれません。否定的なことを言っても、信じない人もいるんだから。

今日で、催眠について振り返るのは最後です。
私の時は毎日こうしている間に無くなっていきます。他にしたいこともありますので、申し訳ありませんが、これで私の最終結論とさせていただきます。どう思われても結構です。あなたは自分で決断してください。自分が信頼する人の意見を従うというのも結構ですが、"自分が信頼できる人"を決めるという決断が必要になりますので、どうしても自分が決断する過程が必要となりますよ。

お互いに人生踏ん張っていきましょう!(私は挫折するかもしれないが、君は踏ん張ってくれたまえ。はっはっは。)
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久々に催眠の話 その3

2008年04月06日 02時45分55秒 | 過大な期待(催眠など)
さて、前回書けなかったことを補足しておこう。

正直言って、今でも"催眠"に過大な期待を持っている人がいるのに驚いている。
しかし、そう言うことは私がずっと昔にかなり痛い目にあったことやそれなりの経験をしているから、わかること・言えることなのであり、心理学の専門家が同様な事を言えるのも、大学に入るだけの基礎学力を有し専門的な勉強をして研究に携わっているからであろう。

他分野の仕事に携わっている人達や、(年齢を問わず)人生経験の浅い人達はわからなくて当然なのである。

それならば、催眠を生業(なりわい)としている人達が、大衆に明確に伝えてあげれば良いではないか、とか、医者や心理学等の専門家が、催眠の有効性と限界や代替技術?を教えてあげれば良いではないか、と思われるだろう。

私が取り組んだ時はも今よりもっと酷い状況だったが、今はネットでも良質な情報を提供してくれる人達も増えて、ずいぶんましになった。

生業としてやっている人にそれは無理。
芸能では、自分の米櫃を燃やすような致命的行為である。
療法では、可能な限りそれらを実行している人もいるけれど、説得不可能(過大な期待や妄想に固執している)な場合もあれば、多少依頼者の幻想を利用しなくてはならない場合もあれば、ある意味「詐欺」と割り切って仕事しなければならない場合もある(一部?の健康食品・医療機器みたいなもの)。

今は音信不通のO先生などは、依頼者に「催眠は無意味」と伝えても、「どうして催眠をやってくれないのか?」と怒り出した人もおられた、と書いていた。

そして、もっと良い方法があればとっくの昔に淘汰されていてもおかしくないので、久々に昔を振り返る前には、(催眠は)もう衰退しているのでは思っていたのだが、未だに隆盛しているようだ。

こういう現状だと、医師を含めた専門家は、自分の業務や研究も忙しいのだろうが、啓発不足であり、有効な代替を提供できていないのではないか、と思う。
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久々に催眠の話 その2

2008年04月05日 00時43分32秒 | 過大な期待(催眠など)
昔を振り返るということで、ネットで「催眠」関連のサイトを巡回した。
O先生やH先生には大変お世話になったことを以前書きましたが、M氏やC.P氏にも非常に楽しい体験をさせてもらった。今でも有り難く思っている。
台湾に渡って療法師を目指していたEさんは今でも元気でいるだろうか。

その有用性については個々人で異なり、また、経験を積むことによって様々な事が解ってくるので、幻滅したこともあったが、総じて言えば、有意義な体験だった。

私の結論はとっくの昔に出ている。
●療法としては、それのみでは、大いに不足もしくは無意味
●芸能としても、理解・経験が進めば楽しめなくなる
●自己啓発には使える部分もありそう。但し、催眠(誘導)の被験者、被施術者が持っていない能力は出てこないので、別途、自己研鑽が必要である。
●性的快楽を楽しむには非常に有効である。但し、元々被験者、被施術者が持っていないものは出てこない、又は、消失してしまうことに特に催眠誘導を試みる者は注意すべきである。嫌な者を無理矢理好きにさせることはできない。

これで終わり。

一番精力的に試したのが今から8年前になり、徐々に離れ始めたのはそれから1~2年後だった。
やってみなければわからないこともある。そうとしか言いようがない。

お金と時間を無駄にしたくなければ、まず、信頼できる人の意見を聞くべきである。資金が潤沢ならば、いろいろと試してみてもよかろう。
物事に取り組むにあたっては、目的を明確にすべきである。そして、自分の期待が過大なものかどうかも審査すべき。
信頼できる人の意見を聞いて、「取り組まない」・「関わらない」と判断するのは
所詮、それだけの目的でしかなかったのだから賢明な判断である。

他人の意見をあっさりと聞き入れてしまう人は、逆に正反対の意見を言う別の信頼できる人が現れたら、あっさりと最初の判断を翻してしまう可能性も強く、どうにも頼りない。
そういう人は一度、軽く痛い目にあってみても良いかもしれぬ。
宣伝が誇大というよりも、自分の期待が大きすぎる場合も多々見受けられる。

全く催眠とは関係無いが、自分も昨年度限りで研究どころか検査ともオサラバとなった。水質検査をしていた時に、とある検査依頼者が「おいしい水かどうか知りたい」「この水が安全かどうか知りたい」と熱心に問うのに閉口した経験がある。

「そのようなことはわかりません。」「あくまでも、検査した項目について、定められた基準内に検査結果が収まるか判定するだけなのです。」と懇切丁寧に説明してもダメだった。水質検査とは「おいしい水」「安全」かどうか判定する為に実施するものと勝手に思いこんでしまって、いかなる説明も受け付けないのである。
検査項目数も多くすればするほど、「安全」である確率は高くなるが、とても、一般的な住民が依頼できるような金額でなくなってしまう(51項目で20万前後?)。

「おいしい」「安全」か完全に判定する。そんなことは人間にはできないのである。可能な限り手を尽くすだけである。

こんなこと言ったら、水質検査を受ける人激減するかもね。。。
しかし、何も調べないのは一番危険だよ。
とにかく、自分が過大な期待・妄想を持っていないか、審査してほしい。
まあ、こんなこと書いても、できない人はできないだろうな。。。。。

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