性同一性障害者としてキリスト教会に

アンパン娘の目から見たキリスト教会。

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死に方の選択 生き方の選択

2017-02-13 09:35:14 | 日記
今日は勤務は休みなので、昨日に続いての投稿です。

近年は終活といって、まだ比較的元気な内に、ボケない内に自分の”死”の準備をする方も多くいるようです。わたしもそんな内の一人です。

人生も60年を超える頃になると、特に持病など無くとも”死 ”を意識してきました。
死はわたしたちにとって、実は身近なことなんだと思っています。
わたしたちは自分のことを”人間、人類 ”と特別視して、他の動物、植物とは異なる存在と思いがちなのではないでしょうか…でも実際は他の生命と変わることはなく、地球という星の上で誕生と消滅のサイクルを繰り返しているだけと自身はとらえています。

生きることは何なのか…わたしは昔々テレビで観た鮭の遡上と産卵、親鮭の死、そして新しい命の誕生…そのシーンを思い出すのです。(採卵、養殖は別です。出産した雌は廃棄されることもあるので)
親鮭から受精卵に、そして稚魚に受け継がれる生命の情報-DNA…
延々と続く生命のサイクル 種の存続条件が満たされる限り続くサイクル

まだ二十代だった頃、様々な壁にぶつかり生きる意味、生きている意味を問わずにはいられない時期がありました。そんな時期にこの番組を観たのです。排卵を終えて力尽き清流の流れに身を任せてボロボロになりながら下流に押し流され、あるものは熊や猛禽類の餌になり、あるものは川底の石に鱗を削られ死んでゆく…

出産(排卵、受精)の為に厳しい流れを遡上しなければ広い海洋でまだ生きていられたかもしれないのに。
それでも鮭たちは、ある時期がくるとみんな生まれた川を目指して上っていく。

その時、自分でもぞっとするほど、生きる、生きていく意味が判ったような気がしました。
子孫を残す、種を残す…それこそが生まれてきた意味、生きていく意味だと。
これは差別的なことを言っているのではありません。テレビやネット等で産む自由、産まない自由、あるいは産めない者の人権等々、人間社会のことだけを当てはめ攻撃する人がいますが、ここで言っているのは生き物社会全般を、命という観点から書いています。

(1)生物として見れば種を残す機能がある内は”生きている意味 ”は担保されているといえる。
(2)また群れの維持に加わり、機能すればそれもまた同様と思います。

わたしは既に(1)には該当しませんし、(2)に関しても自分自身で”はてな? ”です。
社会、群れの”動力 ”から少しづつ”負荷 ”へと変わりつつある自分を感じています。
正直、社会の負荷のまま生き続けたくないですし、まして自分自身を制御できなくなる”ボケ ”にまで自分の存在を承認できません。 そこで”死の準備 ”の始まりです。

”死の準備 ”といっても首吊り用のロープを梁に掛けておく訳ではありません。
ロープを準備しておく位…でしょうか。

今のところこれが自身の生き方の選択であり、また死に方の選択でもあります。
このページを読んでくださった方の選択はいかがでしょうか…
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