日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

日大豊山水泳部の歴史 6

2017-10-15 15:57:21 | トピックス

 昭和54(1979)年のインターハイ優勝祝賀会の写真です。

優勝メンバーの主軸となった選手は、当時3年生の堀江直行氏である。

100m背泳ぎ優勝、200m背泳ぎ第2位、400mメドレリレーで優勝し、総合優勝に大きく貢献した。

堀江氏は小学生の頃から音羽スイミングクラブに所属しており、日大豊山中学時代には100m・200m背泳ぎで優勝し、高校では主将を務めた。

育友会新聞『ぶざん』第29号に書かれた井上先生の記事によると、実力的には素晴らしい3年生だったが、統率力・責任感という意味ではもう一つといった中で抜群のリーダーシップを発揮したのが堀江氏だったということである。

明るく、ファイトのある態度はどれほどチームに勇気をもたらせたか、はかりしれないという素晴らしい主将であった。

堀江氏は現在でも奥様とともに合宿所生徒の食事会を催して下さり、水泳部を応援して頂いている。

堀江氏と同学年の高岡忠博氏の活躍も目を見張るものがある。

高岡氏は在学中の3年間、個人メドレーで優勝し続けた選手である。

高岡氏の泳ぎを見ると背中がぞくぞくするという井上先生の話があるが、それほど素晴らしい才能を持つ選手であった。

日大豊山水泳部の歴史でも3年間優勝というのは、駒崎氏と高岡氏、そして平成9年度卒の森隆弘氏しかいない。

また記事によると、当時はマネージャーとしてチームを支えた6名の生徒が一致協力して練習指導にあたっていたということであり、まさに「縁の下の力もち」であった。

最近はマネージャーのなり手がおらず、せいぜいチームに一人という状況であることを考えると羨ましい限りである。

優勝の陰には、水泳部OB会、学校長をはじめとする教職員の方々などの御協力などがあり感謝しているという井上先生の言葉があるが、それは当時から現在に至るまでかわっておらず、今の水泳部を支えている大きな力となっている。

井上先生就任以来初のインターハイ総合優勝は、学校と水泳部OB会、そして顧問・コーチの指導力、選手とマネージャーという水泳部のチーム力が生んだ総合優勝であった。

若かりし頃(20代)の井上先生。

第6回終わり

竹村知洋

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