おばば院生,その後

主婦から40代で大学院入学・博士取得。非常勤日本語教師を掛け持ちしてきた凡人母院生。縁あって大学の先生に。

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質的研究と量的研究

2016-06-01 21:32:22 | Weblog
何をいまさらのタイトルですね。


そして今更またウヴェ・フリックの『質的研究入門 人間の科学のための方法論』を読み始めました。

今日は6月1日。採用活動解禁です。息子その2は内々定を第一希望の会社からいただき,もう就職活動はしないそうです。

そうです。息子その2ももうM2。残りの日々は研究に費やすそうです。

そして,

彼は,量研の人です。

統計にたけた彼がうらやましくもあり,「使える」と思ったり,でも議論はかみ合わないだろうなと思う,ちょっとさびしい母でした。
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50代になって

2016-04-23 11:14:15 | Weblog
最近,自分がすぐあきらめ思考に入ってしまう傾向があることに気が付いた。

何もしたいことがない,という無気力のせいだと思っていたが,そうではないのではないか。

「したい」「やりたい」と思うと同時に,「でも自分はたいしたことはできない」と思ってしまう。

だから何もしないわけではないけどだらだらと無気力にことにあたる。

自分の思いの弱さだと原因付けていたが,または年齢のせいにしていたが,そうではないように思う。

自信のなさが原因なのではないか。

やりたいから首を突っ込む。
でも「自分には大したことはできないから」と手を抜く。
こんな態度では逆にまわりに迷惑をかけるだけだ。
自分から首を突っ込む。
だったらしっかり頭働かせて,首も背中もしゃんと伸ばして,やっていきましょう。

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春休みが終わりに近づく

2016-03-11 00:49:46 | Weblog
雑務の連続の春休みから抜け出して明日から5泊のホテル泊まりをする。

学会と研究会の連荘で東京2泊のあと松本に移って3泊。

とりあえず非日常なので楽しみである。

が,発表の準備が全くできていない現状をどう把握したものか。

楽しみなんて言っている場合ではおそらくないのである。

が,ちょっとうれしいのは本当です。


これが終わったらいよいよ春休みも終焉。
怒涛の新学期。
ああ,何も準備できてない。
それどころか新学期までに終わらすはずの項目作成が全くできてないのにいいのか私。


今日はもう3月11日。



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おいしかったと思う物

2016-03-09 20:34:44 | Weblog

おにぎり。

しかし,すべてのおにぎりではない。
私はおにぎりが上手ではない。
子ども3人子育てすると,膨大な数のおにぎりを握る。たぶん,すごい数だ。
しかし,一向におにぎり作りは上達しなかった。

おいしくないのだ


おいしかったおにぎり。

その1:大学生のときのワンゲルの春合宿の際にたち寄った,釧路駅前の炉端焼き屋のおにぎり。
メンバーで駅にシュラフで泊まったのだが,夜,空腹で先輩と凍てついた道をつられるようにふらふらと炉端焼きの店に入り,所持金で買えるおにぎり1個ずつ注文した。それが,本当においしかった。あつあつであった。
できればその隣で焼かれていたきんきが食べたかった。その姿が今も瞼に。

その2:以前の向かいの奥さんのおにぎり。
同じ主婦でもまったくレベルの違うおにぎりであった。
絶品であった。
残念ながら引っ越されてしまったので今となってはもう味わえない。
向かいの家のおいしいおにぎりを食べて育った子どもとうちの全くおいしくない簡便性のみのおにぎりを食べざるを得なかったうちの子と。
かわいそうなもんである。

義母のおにぎりは年季の感じられるまったき三角で,まったくの相似形のおにぎりが次々に作り出されていく。
実は,食べたことはない。
食べてもおいしいとかんじるかどうかは微妙だ。


それにしても主婦歴25年以上。なぜ全く上手にならないのだろう。


パソコンのキーボード打つのは上手だよ。


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おいしいと思うもの

2016-03-09 01:51:30 | Weblog
おいしいなあ,と思う物(感じる物)

六花亭のレーズンバターサンド
舟和の芋羊羹

マンゴー

気取りなしで,「おいしいなあ」と思う。


ここ2年ほどの恒例の長期休暇のお仕事:多義語の辞書の項目作成。

気取りなしで,「おもしろい」

あと20日で春休みも終わってしまう。なぜか今年の春休みはひじょうに忙しく,休みがない。
毎日せっせと学校に行って雑務をこなしている。もっと辞書に没頭できたらよいのになあと思う。
あと少しの間だけど,たのしいなあ・・・


ただいま深夜2時。
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また一年が終わる

2016-02-15 14:48:57 | Weblog
昨日博士の研究計画発表会を無事終え,やっと今年度も春休みに入りました(気持ち的に)。
たなぼたでもらったこの仕事,まずはこの一年は新たに同僚にほんとにいい先生を迎えることができて,楽しく仕事をすることができたことに感謝。
人の縁で生かしてもらってるなあ・・・

さらに仕事内容では,博士の院生指導まで加わって,大変だけれどもやらないよりやったほうがいいに決まってる。たとえ肩こりで寝込んでも・・・
これを通してまた人の縁も復活したり拡大したり。ありがたいです。


そんなわけで
来年度は今よりさらに一歩踏み出すつもりでがんばります。
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東京の人は地方在住者の気持ちがわからないだろうと思うとき

2015-12-29 15:46:30 | Weblog
ライフストーリーを勉強する会に入っている。
場所はもちろん東京だ。
東京は確かに日本の真ん中で便利ないいとこだが,地方に住んでいる者はそうそうたびたび行ける場所ではないことに気づかない東京の人は多い。
例えばここと東京は距離にして1000キロ近く。飛行機だと確かに1時間半で着くがそのために掛かる費用を儲けるのにかかる時間を考えると恐ろしいことになる。

そんなわけで首記の勉強会,メインの定例会以外の「発表の準備でちょっと集まろ」みたいなのには残念ながら参加できない。
こうしていろいろなことから遠ざかってしまうのは本当にかなしい。という地方在住者の気持ちは東京の人にはわかりづらいに違いない。

と,かねがね思っていたのだが,しかしこのたび,
そんな私のために(もあって),メンバーの方が「集まろ」の話を録音してくださってサイボウズにアップしてくださった。
冬休みにはいり,ようやく時間ができ,それを聞くことができた。
メンバーの方たちは実は勉強しなくていいその道のバリバリの方たちなので,聞いているだけで勉強になり,かつeavesdroppingみたいで「えっ!そうなの?」とかリアクションしてしまうくらいの特ダネ感があった。
のだが,
それもあるのだが,
メンバーの方たちは話し合いの場所が都心から少し離れたさる駅のコーヒーショップゆえ,「バックの雑音が多くて聞きにくいかも」と心配してくださっていたのだが,

なによりの,そのバックの音が私の郷愁を誘うのであった。

バックミュージックのサンタはパパとか(クリスマスイブに行われた)
その系のコーヒーショップ特有の店員さんの「~ですねー」の声とか
駅のアナウンスとか
人込みの音とか


そういった音音が東京を運んできて,分析の焦点とか相互構築性とかがいつのまにかバックへと…。

こんな感慨,東京の人にはわからないだろうな。

今年までその系のコーヒーショップがなかったことで有名な県で生まれ育ち,
東京では100メートルおきにあるんじゃないかってくらいあるその系のコーヒーショップが県内に3つしかない県に住んでいることが,私の自己肯定感の低さの原因にあると思う。
例えば大学受験のとき東京に出てしまっていれば(挑戦していれば行けたはず),もっと「一皮むけてた」気がする。

未完の行為ではないけれど,いまだに「一度は東京に住んでみたいな」と真面目に思ってしまったりする。
もっとちゃんと年を重ねたいものだ。。。



何が言いたいんだ的記事になってしまったぞ。
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クリスマスイブのぼやき

2015-12-24 17:58:13 | Weblog


ぼやかせてください。

今日はクリスマスイブです。
子どもが家にいたころは最大のイベントでもちろん家で全力で過ごしました。
夫婦二人になってどうでもいいのですがでもやはり押さえておかねばと思っていたのですが,卒論指導真っただ中で,とても間に合わないネパールのSさんの指導の約束をしかたなくこの夜に入れたのでした。
そのため,昨日の休日に前倒しで鳥焼いてケーキ食べて。
彼女はヒンズー教徒だからクリスマスは関係なく,ここはひとつ彼女に合わせようと。


なのに,
なのに,
研究室にやってきた彼女,
この1週間まったく何もしていないと放言した上に,今日はクリスマスだから帰ると。

「Sさん,ヒンズー教徒でしょ?」
「でもネパール人で集まってパーティーをします」


仏教徒のくせにクリスマスを大事にする日本人も確かに変だから言えた義理じゃないって言われればそうだが(Sさんは実はいい人だから私に面と向かってはそんなことは言わないけど),ヒンズー教徒,そんなことでいいのかっと,言いたくなってしまったのでした。

世のキリスト教徒以外の皆さん。
他の宗教の行事を利用して騒ぐのはやめましょう。
通常通り勉強も仕事もしましょうよお。

でも実はこれって平和共存の体現なんでしょうね。。。


今日私はなんとしよう・・・

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会話分析

2015-12-22 21:27:59 | Weblog
またまたほぼ日でこんな文章に出会った。


 「親父と息子が、同じ映画を観に行ったとする。
 その映画の内容について、
 したかったらさんざん論争をするのもいいさ。
 知識だの感性だのを総動員して語り合うこともできる。
 しかし、たとえばね、
 「たまに親子で映画館に行くってのは、いいもんだな」
 なんてセリフは、あんまり利口そうじゃないけれど、
 とてもなにか根源的なところを語ってるような気がする。
 知性も教養もいらないかもしれないし、
 どんな情報も含んでない会話だとしても、
 ずいぶん大事なことが言えているように、ぼくは思う。
 そっちを、もっと大事にしたいよね、と。
 こんなふうな話もしたのだった。」
 http://www.1101.com/home.html


自己表現。
よりうまく日本語で自己を表現できるような日本語教育を目指しているわけだけれども,本当は人間のコミュニケーションについての私の考えは上のようなものなのでした。まさに。
じゃなぜそうなのに「よりうまく日本語表現できる」ことを目指すのかというと,
おそらくそれは職業のせいだと思います。
日本語教師という。

私の目指す日本語教育実践って,ほんとのところどんなものなのか,矛盾してるよねって,胸に手を当てて考えてみなければならんなあと。
それから,昨日の記事ではライフストーリーの深いところがわかったみたいな書き方をしてしまったが,ライフストーリーへの向き合い方もまだまだ言語を超えられていないなあと,ライフストーリーをずっとやってる方とやり取りする機会があって身につまされました。まだまだまだだ・・・

私はほんとは沈黙は金雄弁は銀派なのだ。

引用のような日本語がやりとりされるような日本語実践の場ってどうかな。
学生はきっと「効果がない」って言うよな・・・
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ライフストーリー

2015-12-20 13:52:53 | Weblog
誘われて,『日本語教育学としてのライフストーリー』という本の書評を書いてみた。
書評を書かねばと思って読むのとそうでないのでは大きく違い,何というか,書評を書くために読んでいると一つ一つの文章に応答しながら読んでいて,読みがぐんと深くなることがわかった。
筆者の方に書評を送ったところ「よくそこを見抜きましたね」とホメてもらったのだが,もし普通に読んでいたら絶対行き着かなかっただろう。

しかし,それを抜きにしても,この本はおもしろい。というか読む価値のある本だと思う。
その中で特に今,頭に残っているのが中山さんの章。混沌として語れなかった自分の外国語学習体験が「私の物語」というまとまったストーリーとして語れたことの弊害(ということばは中山さんは使っていないが)について。

「その反面,「私の物語」以外の可能性は閉ざされてしまったという感覚がある。「私の物語」のみが,筆者の外国語学習のストーリーだとは思わない。他のストーリーを語る可能性もあったのに,それが消えてしまった。」(p.181)

世の中にはいわゆる「口から生まれてきたような」話の上手い人がいるが,私も含めておそらく多くの人にとって自分の思うことを言葉で話すのはとても難しい。しかしもっとこわいのは,話にしたことで他にもあったはずの内容がなかったことになる危険性だ。
実はこの引用がふと浮かんできたのは,さっき「ほぼ日」を読んでいて次の一文に出会ったとき。


「吉本隆明さんが『真贋』という本のなかで、
 「無意識のうちの答えが決まっている価値判断は、
 無意識のうちに人の心を強制します。
 明るいからいい、暗いからだめだ
 という単純な価値判断を持っていると、
 そう思えない自分、そうではない自分を
 追いつめる結果になってしまうからです」
 と言っています。」(http://www.1101.com/home.html)

つながりがないようでつながっている内容のように思うんだよね。
自己表現自己表現,私を語ろう私を語ろう,という風潮の中で,しのびよる危うさ,みたいな。


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