ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

家で看取りたい(+長男の単独介護日記)の巻

2017年07月21日 05時05分00秒 | 日記


昨日は朝から晩まで立川で講習を受けました。

耐震偽装から設計事務所に所属している建築士は3年ごとに定期講習を受けなければならなくなったのです。

最近は建築も分野ごとに専門家が進み私の時代あたりまでが個人で街の設計事務所として成り立っていたのだなとつくづく思います。

今年の12月には事務所登録の更新(5年間)講習も更新もここまでにしようかなと思います。

時代は変わりました。


建築士が単独で店をはってやれる時代は終わっています。





それにしても終日の講習は疲れます。


お昼は教室で自作のサンドイッチをモゴモゴ食べて届いたばかりの痰の吸引のテキストを見ましたがまったくの他人にするのならあまり考えないのでしょうが身内にやるのはきついです。

苦しそうにするし、なんだかいじめているみたいに感じてしまいます。

でもやらなければもっときつくなるのですから仕方ありません。







今日は予定通り退院するか少し伸ばすかの説明がある予定です。

医療の素人の私が見てもかなり厳しい状態であることは解ります。

出来れば自宅で看取ることが出来れば一番良いのですが・・・・・・・。


人間いつどこで終わるのかはその時まで解りません。


今はほとんどの人が病院ですけど、私は無理な延命はしないで、終末が近づいたら体も衰え、意識レベルも下がり、食べたり飲んだりしなくなり、自然に枯れるように終わるのが一番幸せだと思っています。

意識も無く、食べることも飲むことも出来ず、ただ心臓が動いている状態で生きていると言えるでしょうか?

でも本人は別として家族はそれでもいてくれることがうれしいと言う人もいるでしょう、親せきなどで直接介護していない人が なんでやれる事はすべてやらないのだ と追求する人もいるかも知れません。

いろんな気持ちが戦います。


本人の気持ちを考える事と周りの人の気持ち、難しいですね。


母ともよく話していたのですけど、延命は望んでいませんでしたし、私も自分に置き換えてもそれは望みません。


さて、そういう状態ですけど今日は介護ベッドの搬入、その後午後病院に行きます。






いろんな本に自宅で看取るなら救急車を呼んではいけないとあります。

救急は何とか助けようとするのが仕事ですから。


畳の上で死にたい、昔よく言われましたけど今は死語ですね。


孤独死もこれから増えますが、自然な死に方として案外悪くないのかも知れません。









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