にーん!♪(^ω^)
今日は午後3時半に起きて、
ごはんを食べながらニコニコで
はるしげバイオを最終回まで見て、
それからはるしげドラクエを見ながら
パンを買いに行って豚のように食い漁り、
PCに取り込んである音楽をランダム演奏しながら
先日買った砂原糖子さんの新刊を読んでいたら
今にいたります。
R-1の敗者復活戦もみたな!
もう中学生がすごく可愛らしくてすきです。癒されます。一家に一台欲しいです。
個人的にナオユキさんという人がもう一回みたいなーという
感じだったんですが、敗退されて残念だったなーと思います。
友近って、芸やるとそんなにどっかんどっかん笑いとれないのに
トーク回しで結構番組レビュラーとか勝ち取ってて
すごい芸人さんだなって思ったりもしました。
中山功太さんは、前の時報ネタの方が
わかりやすくてよかったな。キャラも好きだった。
スーツの無表情な感じからくる日常感のギャップがよかったんだとおもう。
ゆってぃは、「ワカチコワカチコ!」だけが先走って有名に
なりすぎて、その名声に振り回されてる感じだった。
会場の女子が一緒になって「ワカチコワカチコ〜!」って
声出してたのは、正直芸の邪魔でしかないんじゃないかとおもう。
自分が知ってて面白いからって声出しちゃうのは子供と同じだよな。
でも、その流れも意外と取り込んでさばけてるゆってぃは
実はなかなか手腕があるのか?とかおもった。
僕イケメンよりは場を仕切るとか、空気読むみたいなのうまいのかもしれん。
なんか二人は私の中で同じくくりだったけど。
友近と柳沢はネタの傾向似てるって本人達含め
言われてるみたいだけど、
私はどちらかというと柳沢のネタの方が
ずっと見ていたい、また見たいって思う。
多分柳沢がネタにする人の方がベタで、身近な人だからだろう。
歳も近いし、面白いと思う感覚も彼女の方が近いのを感じる。
友近のネタにする人は、結構コアというか、
ネタに織り交ぜてくる笑いも、昭和世代の懐かしネタとか、
知らないと笑えない系の素材が大きい気がする。
友近さんは、普通に演技してる時の方が好きだ。
変に面白い感じのことしようと、演技の間に入れてくる
ダンスとかの動きが逆に邪魔に思えてしまう。
私が多分彼女の笑いのチャンネルに合わせきれていないんだろうな、と思います。
結構私笑いのチャンネル合わせられない芸人さん多いよ。
だから人生を楽しむ能力というか、お笑いとして二流だろうと思う。
私の周りはすごい面白い人がいるんだけど、
その面白さを私の話術では
全然伝え切れてないのがくやしい。
実物はほんとに面白いのに!まじ腹がちぎれるくらい笑わせてもらえるのに!
私の知っている天才達は、希少動物のように、
なかなか巣から出てきてくれない人が多いっす。
あと、人見知りを結構して、慣れてない人に会うの怖がる人が。
でも確かに私も対人恐怖が強くて
ひきこもって世の中への憎悪とそれに伴う
二次元への崇拝によって生きていた頃の日記は、
エンターテイナーとして割と一流に近かったと思う。
昨今の私は心が穏やかになって芸人として堕落したなーと思う。
今でも充分情緒不安定なのは認めてるんだけど、
なんというか、とんがった部分が少なくなってしまって、
芸人として堕落したなって。(2回目)
常に笑いをとって生きていきたいんだよ。
私の言動で笑ってもらえると嬉しいし。
逆に笑いをもらってばっかりでいると、
ギブされてばっかりで申し訳なくなって死にたくなるから。
自分からたくさん幸せにできる人間でありたいと思う。
その一環として今、超愛情受け取りキャンペーンを
開催したいとは思っているんですがね!
なかなか素直になれませんがね!
あ、そうだ今朝置きぬけにNHKっぽい名言を思いついたので発表します。
「赤ちゃんにとっての一番のご馳走は、お母さんの愛情なんですよ。」
道徳的でしょ? でもほんとにそう思ってるからさ私は。
「愛情」と名前をつけただけの母親自身の歪んだ自己愛やコンプレックスの
押し付けではなく、
赤ちゃんを不安にさせない、赤ちゃんが欲しいと思っている愛情くらいは、
コンプレックスとかは置いておいてあげられるよう頑張ろうぜ、っていう話。
私もきっと子供産んだらこんなきれいごと実現するの
すごく難しいとは思うけど、
目標としては忘れないでいたいなって思う。
大変だから助け合うのよねえ。
どんなに弱くてもいいから、最低限「助けて」って
自分で言えるくらいには自分が強くなってから子供産まなきゃ、
なにより生まれてくる子が寒くて泣いちゃうと思うよ。
とは言え、どんな家庭であっても
子供は子供でがんばって生きようとしてくれるし、
風邪をひきやすい子はどんなに幸せでも風邪をひくけどね。
可能性として、寒いところに放置していくよりは、
せめて毛布にくるんで抱っこしてあげていた方が、
風邪をひく確率は下がるじゃないですか。
完璧にはできないけど、できることをしよう、って感じで、
全部やろうとして、一個できないのがあったから
もう全部できない、じゃなくて、
できないところはもうしょうがないから別のところはせめて
足りなくないようにがんばってあげれば、
きっと通じるって私は性善説の信望者ですわりと。
境界性だから1か100で考えがちなのは
まさに私なんだけどな^^
くそ真面目っこはどうも白黒思考でアカンです。
0点よりは1点にしようってがんばんなきゃだめっす。
あー、白黒思考だけど、私コンプレックスの場所以外は
割と「ダメだこりゃ」な場所でもあがく人かもしれない。
テストでわかんなくても空欄のこさずでたらめ書く方だったよ。
ゲームでパーティ5人中4人が死んでも逆転考える方だったよ。
逆境燃えるパターンも私は多いのな。
超自信がない、自分でも「できるはずがねえっす」って思ってる
団体コミュニケーションに関する部分だけは
挫折すると挫折したままもうやーめたってするけど、
それ以外でできなそうって思うと「じゃあ越えてギャフンといわせる」
的な、とってもパワータイプ乙な感情がムクムクします。
私コミュ力超自信ねえっすと思ってるけど、
対人能力はそんなに低い方じゃねえと思ってるっす。
そこは自信ないわけじゃないっす。
実際に友達とドイヒーな関係しか築けなかったわけじゃないし、
タイマンなら割と誰とでも話せる気がする。
苦手なのはぁー、「みんなでやろうよ」団体の、
なんというか、なぁなぁ精神っつうか「和」の絶対法律みたいな、
「競争なんかやめようよ、みんななかよしなんだからッ☆」的な、
「とりあえずみんなで行動しようよ」的な、
合理性とかそういうのがまったく無視された団体でのコミュニケーション?
だと思う。多分。
最初から「仲良くなる」前提を作られるのが苦手で、
同じ職場で働くからといって、
必ずしも溶け込まなきゃいけないかぁ?みたいな。
いや和を乱したいとかじゃなく、むしろあればある方がいいんですけど私も。
うーん、説明が難しいんだけど、
私は基本的に害を加えられなければ敵にするつもりはないので。
そんな「仲良くしようねッ☆」とか約束されなくても
普通には仲良くするつもりというか、そんな感じで生きてるんです。
仲良くなれるなら誰とでも仲良くなっときたいわねー、みたいな、そんな感覚で。
だから義務みたいに毎日一緒にご飯食べるとか、
相手の予定に合わせて云々かんぬんするとかっていうのは、
ちょっと苦手に思う部分が大きくて。
確かにはじめはそういう場があったほうが
話のきっかけにもなるし、
同じ時間をたくさん過ごした方が相互理解につながるのは
わかるんだけど。
「みんなで食べる」っていうのを約束にしてしまうと、
食べられなかった場合に自動的に疎外感を感じるシステムになってしまうという
マイナス面があると思っていて。
そもそも教室がある学校という組織の中でも
常に特定の「グループ」を強固に設立するのが
あんまり好きではなかったのもそういうところがあって。
やれ裏切りだの仲間外れだの言うのも、
最初からグループなんか作るからそんなことになるんじゃねえの?っていう。
ああ……だから私性別神話含めた言語社会が超嫌いなのかも。
「女」でいたいと願うのも、
決定不可能性をもち続けることで、逆に「なんにでもなれる」
細胞万能性を保ち続けたいからなんだろうな。
思わぬところで過去と現在の自分がつながった。
それからここまで書いてて思ったのは、
結局私マイペース人間なのかもな。っていうこと。
難しく分析すると上記のような感情も確かに働いているんだけども、
もっと一般にわかりやすい答えを用意するとしたら、
それは「自分のペース崩されるのがイヤだから」だな、と思った。
バイト先で昼飯一緒に食うのがいやなのも、
私側の「金がないから昼飯安くしたい」っていうニーズを
何よりも重視した結果だったからだなって思う。
つまりあれですね、
私人間関係で自分が無理するのきらいなんですね。
相手にも無理させたくないし。
お互いに縛りあわなきゃ一緒にいられない関係なら、離れていいんじゃない? っていう。
逆に今は離れてもいつかまたくっつくかもしれないんだから、
そんな躍起になってくっつこうとしねったって…と思ってしまうわけですね。
究極的には所有しなくても、関係できたことがあれば
それで満足してしまえるというか。
まじ私女子脳だな。びっくりするわ。
だから、浮気も(実際に自分の身に起こったらフィルターでどう思うかわからないけど、
今現在の気持ちとしては)別にいいんじゃねえのかって思う。
ただ、私が怒るとしたら、それは誰かを一番とするという「約束」を
破ったことそれのみで、
心が二人やそれ以上の人に向かっていたり、
或いは別の方角に固定されてしまったりするのは、
責めるべきことではないと思う。だって自分だってそうだし。
だからただ自分がした約束を破ったことだけちゃんと謝りなさい、ってね。
そもそも、約束破るなら約束なんてしなきゃいいって心底思うよ。
「結婚」とか「彼氏彼女」の概念が嫌いなのは、
そこに約束が必要になる関係だからだと思う。
少なくとも今のマジョリティや法律が支持する意味においては。
「一番」なんかきめられっこないのに、無理して「一番」って約束する。
だから後で無理が生じて約束を破らざるをえなくなる。
「一番」なんか決めなくていいし、「一人」にも決めなくていい。
決めたっていいけど、それは個人の好みの問題だから、
当人同士が納得してからそれを約束したらいいと思うよ。
世の中が一夫一婦制の流れを「正当」だなんて宗教をつくるから、
自己主張強くない人がみんなそれを周りにも押し付けだす。
100人中99人が正当だと言ったって、
1人が間違ってるだなんて私は思わない。
個人の中で真実なら、それはその人の世界では真実なんだし、
99人の中の真実も1人と同じく、勝手にそう思い込んでるだけの
個人の好みに過ぎないと思う。
たまたま自分の感覚が多数派に属していたからといって、
それは少数派の人の感覚を否定する理由にはならねーから!
私はもし世界中が156を嫌ったって彼のこと嫌いにはなれないし、
世界中が一斉に昼飯食う決まりつくったって自分の食いたい時に食うと思う。
「まわりに合わせる」ことは悪いことではないし、
できないよりはできた方がまだいいと思うけど、
それと同時に「自分にやさしくする」こともできなきゃ
自分にも周りにもよくねーんじゃねえかなっていつも思ってるよ!
「自分にやさしく」に偏りすぎてももちろん痛い人になるけどな。
ただ、自分に優しくしすぎて害をなす人は、
その問題点が他者からも見えやすく、「悪いよ」って
指摘してもらえやすくなるけど、
「まわりに合わせる」に偏りすぎた痛い人は、
目に見えて害をなすわけじゃないから、「いい人」「やさしい」とか
問題点うやむやになってる場合が超多いと思う。
そして自分の病理に気づくのが遅れる。
「あなたを愛しているからやった」の呪縛に気づかなくちゃいけない。
あまりにも周りに合わせて自分の主張なくしてる人は、
やさしいんじゃなくて、自分を守るという高い自己愛のために
他人を巻き込んでるだけだよ。
その意味で、表面だってナルシズムに耽溺して害をなす人と
なんら変わりはないと思う。
やさしい子は責めちゃいけない、
恩がある人の罪は見逃す、
そんな暗黙の了解いらなくね?
結局自分が加害者や悪者にされたくないから
問題を見ないふりしてるだけだよ。
そういう生き方すんならそれはそれでいいと思うけど(私も大概害のある生き方だから)、
自分がそういう歪んだことしてるってことは
きちんと把握してなくちゃいけない。
若いうちは多少恥ずかしいことしちゃうのはしょうがないと思うけど、
4050になってもまだ自分の歪みを直視できない人はやっぱり痛いっす。
もうね、20代30代は好きにやればいいと思うけどね。
一番体力ある時期だしね、
多少チソコやマソコが暴走するのも仕方ないと思うよ。
ただ、個人的に私はそういうのの相手するの疲れていやなので、
できるだけ自分の疑問点くらいは自分で喋れるようになってから来てね!
「わかんないとこがわかんない」とか、義務教育の間だけにしてね!
自分が飼ってる怪物の形くらい、
自分の魂元くらい自分で把握してね!
って最近超思うよ!特に飼い犬の犬種理解できない人種にな!
今日は午後3時半に起きて、
ごはんを食べながらニコニコで
はるしげバイオを最終回まで見て、
それからはるしげドラクエを見ながら
パンを買いに行って豚のように食い漁り、
PCに取り込んである音楽をランダム演奏しながら
先日買った砂原糖子さんの新刊を読んでいたら
今にいたります。
R-1の敗者復活戦もみたな!
もう中学生がすごく可愛らしくてすきです。癒されます。一家に一台欲しいです。
個人的にナオユキさんという人がもう一回みたいなーという
感じだったんですが、敗退されて残念だったなーと思います。
友近って、芸やるとそんなにどっかんどっかん笑いとれないのに
トーク回しで結構番組レビュラーとか勝ち取ってて
すごい芸人さんだなって思ったりもしました。
中山功太さんは、前の時報ネタの方が
わかりやすくてよかったな。キャラも好きだった。
スーツの無表情な感じからくる日常感のギャップがよかったんだとおもう。
ゆってぃは、「ワカチコワカチコ!」だけが先走って有名に
なりすぎて、その名声に振り回されてる感じだった。
会場の女子が一緒になって「ワカチコワカチコ〜!」って
声出してたのは、正直芸の邪魔でしかないんじゃないかとおもう。
自分が知ってて面白いからって声出しちゃうのは子供と同じだよな。
でも、その流れも意外と取り込んでさばけてるゆってぃは
実はなかなか手腕があるのか?とかおもった。
僕イケメンよりは場を仕切るとか、空気読むみたいなのうまいのかもしれん。
なんか二人は私の中で同じくくりだったけど。
友近と柳沢はネタの傾向似てるって本人達含め
言われてるみたいだけど、
私はどちらかというと柳沢のネタの方が
ずっと見ていたい、また見たいって思う。
多分柳沢がネタにする人の方がベタで、身近な人だからだろう。
歳も近いし、面白いと思う感覚も彼女の方が近いのを感じる。
友近のネタにする人は、結構コアというか、
ネタに織り交ぜてくる笑いも、昭和世代の懐かしネタとか、
知らないと笑えない系の素材が大きい気がする。
友近さんは、普通に演技してる時の方が好きだ。
変に面白い感じのことしようと、演技の間に入れてくる
ダンスとかの動きが逆に邪魔に思えてしまう。
私が多分彼女の笑いのチャンネルに合わせきれていないんだろうな、と思います。
結構私笑いのチャンネル合わせられない芸人さん多いよ。
だから人生を楽しむ能力というか、お笑いとして二流だろうと思う。
私の周りはすごい面白い人がいるんだけど、
その面白さを私の話術では
全然伝え切れてないのがくやしい。
実物はほんとに面白いのに!まじ腹がちぎれるくらい笑わせてもらえるのに!
私の知っている天才達は、希少動物のように、
なかなか巣から出てきてくれない人が多いっす。
あと、人見知りを結構して、慣れてない人に会うの怖がる人が。
でも確かに私も対人恐怖が強くて
ひきこもって世の中への憎悪とそれに伴う
二次元への崇拝によって生きていた頃の日記は、
エンターテイナーとして割と一流に近かったと思う。
昨今の私は心が穏やかになって芸人として堕落したなーと思う。
今でも充分情緒不安定なのは認めてるんだけど、
なんというか、とんがった部分が少なくなってしまって、
芸人として堕落したなって。(2回目)
常に笑いをとって生きていきたいんだよ。
私の言動で笑ってもらえると嬉しいし。
逆に笑いをもらってばっかりでいると、
ギブされてばっかりで申し訳なくなって死にたくなるから。
自分からたくさん幸せにできる人間でありたいと思う。
その一環として今、超愛情受け取りキャンペーンを
開催したいとは思っているんですがね!
なかなか素直になれませんがね!
あ、そうだ今朝置きぬけにNHKっぽい名言を思いついたので発表します。
「赤ちゃんにとっての一番のご馳走は、お母さんの愛情なんですよ。」
道徳的でしょ? でもほんとにそう思ってるからさ私は。
「愛情」と名前をつけただけの母親自身の歪んだ自己愛やコンプレックスの
押し付けではなく、
赤ちゃんを不安にさせない、赤ちゃんが欲しいと思っている愛情くらいは、
コンプレックスとかは置いておいてあげられるよう頑張ろうぜ、っていう話。
私もきっと子供産んだらこんなきれいごと実現するの
すごく難しいとは思うけど、
目標としては忘れないでいたいなって思う。
大変だから助け合うのよねえ。
どんなに弱くてもいいから、最低限「助けて」って
自分で言えるくらいには自分が強くなってから子供産まなきゃ、
なにより生まれてくる子が寒くて泣いちゃうと思うよ。
とは言え、どんな家庭であっても
子供は子供でがんばって生きようとしてくれるし、
風邪をひきやすい子はどんなに幸せでも風邪をひくけどね。
可能性として、寒いところに放置していくよりは、
せめて毛布にくるんで抱っこしてあげていた方が、
風邪をひく確率は下がるじゃないですか。
完璧にはできないけど、できることをしよう、って感じで、
全部やろうとして、一個できないのがあったから
もう全部できない、じゃなくて、
できないところはもうしょうがないから別のところはせめて
足りなくないようにがんばってあげれば、
きっと通じるって私は性善説の信望者ですわりと。
境界性だから1か100で考えがちなのは
まさに私なんだけどな^^
くそ真面目っこはどうも白黒思考でアカンです。
0点よりは1点にしようってがんばんなきゃだめっす。
あー、白黒思考だけど、私コンプレックスの場所以外は
割と「ダメだこりゃ」な場所でもあがく人かもしれない。
テストでわかんなくても空欄のこさずでたらめ書く方だったよ。
ゲームでパーティ5人中4人が死んでも逆転考える方だったよ。
逆境燃えるパターンも私は多いのな。
超自信がない、自分でも「できるはずがねえっす」って思ってる
団体コミュニケーションに関する部分だけは
挫折すると挫折したままもうやーめたってするけど、
それ以外でできなそうって思うと「じゃあ越えてギャフンといわせる」
的な、とってもパワータイプ乙な感情がムクムクします。
私コミュ力超自信ねえっすと思ってるけど、
対人能力はそんなに低い方じゃねえと思ってるっす。
そこは自信ないわけじゃないっす。
実際に友達とドイヒーな関係しか築けなかったわけじゃないし、
タイマンなら割と誰とでも話せる気がする。
苦手なのはぁー、「みんなでやろうよ」団体の、
なんというか、なぁなぁ精神っつうか「和」の絶対法律みたいな、
「競争なんかやめようよ、みんななかよしなんだからッ☆」的な、
「とりあえずみんなで行動しようよ」的な、
合理性とかそういうのがまったく無視された団体でのコミュニケーション?
だと思う。多分。
最初から「仲良くなる」前提を作られるのが苦手で、
同じ職場で働くからといって、
必ずしも溶け込まなきゃいけないかぁ?みたいな。
いや和を乱したいとかじゃなく、むしろあればある方がいいんですけど私も。
うーん、説明が難しいんだけど、
私は基本的に害を加えられなければ敵にするつもりはないので。
そんな「仲良くしようねッ☆」とか約束されなくても
普通には仲良くするつもりというか、そんな感じで生きてるんです。
仲良くなれるなら誰とでも仲良くなっときたいわねー、みたいな、そんな感覚で。
だから義務みたいに毎日一緒にご飯食べるとか、
相手の予定に合わせて云々かんぬんするとかっていうのは、
ちょっと苦手に思う部分が大きくて。
確かにはじめはそういう場があったほうが
話のきっかけにもなるし、
同じ時間をたくさん過ごした方が相互理解につながるのは
わかるんだけど。
「みんなで食べる」っていうのを約束にしてしまうと、
食べられなかった場合に自動的に疎外感を感じるシステムになってしまうという
マイナス面があると思っていて。
そもそも教室がある学校という組織の中でも
常に特定の「グループ」を強固に設立するのが
あんまり好きではなかったのもそういうところがあって。
やれ裏切りだの仲間外れだの言うのも、
最初からグループなんか作るからそんなことになるんじゃねえの?っていう。
ああ……だから私性別神話含めた言語社会が超嫌いなのかも。
「女」でいたいと願うのも、
決定不可能性をもち続けることで、逆に「なんにでもなれる」
細胞万能性を保ち続けたいからなんだろうな。
思わぬところで過去と現在の自分がつながった。
それからここまで書いてて思ったのは、
結局私マイペース人間なのかもな。っていうこと。
難しく分析すると上記のような感情も確かに働いているんだけども、
もっと一般にわかりやすい答えを用意するとしたら、
それは「自分のペース崩されるのがイヤだから」だな、と思った。
バイト先で昼飯一緒に食うのがいやなのも、
私側の「金がないから昼飯安くしたい」っていうニーズを
何よりも重視した結果だったからだなって思う。
つまりあれですね、
私人間関係で自分が無理するのきらいなんですね。
相手にも無理させたくないし。
お互いに縛りあわなきゃ一緒にいられない関係なら、離れていいんじゃない? っていう。
逆に今は離れてもいつかまたくっつくかもしれないんだから、
そんな躍起になってくっつこうとしねったって…と思ってしまうわけですね。
究極的には所有しなくても、関係できたことがあれば
それで満足してしまえるというか。
まじ私女子脳だな。びっくりするわ。
だから、浮気も(実際に自分の身に起こったらフィルターでどう思うかわからないけど、
今現在の気持ちとしては)別にいいんじゃねえのかって思う。
ただ、私が怒るとしたら、それは誰かを一番とするという「約束」を
破ったことそれのみで、
心が二人やそれ以上の人に向かっていたり、
或いは別の方角に固定されてしまったりするのは、
責めるべきことではないと思う。だって自分だってそうだし。
だからただ自分がした約束を破ったことだけちゃんと謝りなさい、ってね。
そもそも、約束破るなら約束なんてしなきゃいいって心底思うよ。
「結婚」とか「彼氏彼女」の概念が嫌いなのは、
そこに約束が必要になる関係だからだと思う。
少なくとも今のマジョリティや法律が支持する意味においては。
「一番」なんかきめられっこないのに、無理して「一番」って約束する。
だから後で無理が生じて約束を破らざるをえなくなる。
「一番」なんか決めなくていいし、「一人」にも決めなくていい。
決めたっていいけど、それは個人の好みの問題だから、
当人同士が納得してからそれを約束したらいいと思うよ。
世の中が一夫一婦制の流れを「正当」だなんて宗教をつくるから、
自己主張強くない人がみんなそれを周りにも押し付けだす。
100人中99人が正当だと言ったって、
1人が間違ってるだなんて私は思わない。
個人の中で真実なら、それはその人の世界では真実なんだし、
99人の中の真実も1人と同じく、勝手にそう思い込んでるだけの
個人の好みに過ぎないと思う。
たまたま自分の感覚が多数派に属していたからといって、
それは少数派の人の感覚を否定する理由にはならねーから!
私はもし世界中が156を嫌ったって彼のこと嫌いにはなれないし、
世界中が一斉に昼飯食う決まりつくったって自分の食いたい時に食うと思う。
「まわりに合わせる」ことは悪いことではないし、
できないよりはできた方がまだいいと思うけど、
それと同時に「自分にやさしくする」こともできなきゃ
自分にも周りにもよくねーんじゃねえかなっていつも思ってるよ!
「自分にやさしく」に偏りすぎてももちろん痛い人になるけどな。
ただ、自分に優しくしすぎて害をなす人は、
その問題点が他者からも見えやすく、「悪いよ」って
指摘してもらえやすくなるけど、
「まわりに合わせる」に偏りすぎた痛い人は、
目に見えて害をなすわけじゃないから、「いい人」「やさしい」とか
問題点うやむやになってる場合が超多いと思う。
そして自分の病理に気づくのが遅れる。
「あなたを愛しているからやった」の呪縛に気づかなくちゃいけない。
あまりにも周りに合わせて自分の主張なくしてる人は、
やさしいんじゃなくて、自分を守るという高い自己愛のために
他人を巻き込んでるだけだよ。
その意味で、表面だってナルシズムに耽溺して害をなす人と
なんら変わりはないと思う。
やさしい子は責めちゃいけない、
恩がある人の罪は見逃す、
そんな暗黙の了解いらなくね?
結局自分が加害者や悪者にされたくないから
問題を見ないふりしてるだけだよ。
そういう生き方すんならそれはそれでいいと思うけど(私も大概害のある生き方だから)、
自分がそういう歪んだことしてるってことは
きちんと把握してなくちゃいけない。
若いうちは多少恥ずかしいことしちゃうのはしょうがないと思うけど、
4050になってもまだ自分の歪みを直視できない人はやっぱり痛いっす。
もうね、20代30代は好きにやればいいと思うけどね。
一番体力ある時期だしね、
多少チソコやマソコが暴走するのも仕方ないと思うよ。
ただ、個人的に私はそういうのの相手するの疲れていやなので、
できるだけ自分の疑問点くらいは自分で喋れるようになってから来てね!
「わかんないとこがわかんない」とか、義務教育の間だけにしてね!
自分が飼ってる怪物の形くらい、
自分の魂元くらい自分で把握してね!
って最近超思うよ!特に飼い犬の犬種理解できない人種にな!










