太陽が見てるから

プロレス話を中心に日々思う事を書き留めます。

10・9

2017-10-09 20:25:30 | プロレス
今日は10月9日月曜日。10月9日月曜日といえば、多くのプロレスファンが1995年の「新日本vsUインター全面対決」東京ドーム決戦を思い返すのではないでしょうか。
私的には…新日本プロレスにも好きな選手は何人かいましたが、Uインターが大阪に来るたびに観に行ってたので、シリアスな戦いの信頼度という点でUインターに勝ってほしい気持ちでいました。
当時はUインターの内部事情的な興味が薄いこともあり、ただ戦いを待ち望み、観に行きたいと思いました。
ですが、観戦には行けず。当時の私の仕事はカレンダー通りの休日でした。日曜日と10月10日体育の日の祝日に挟まった月曜日は多くのお客様で忙しくなる事が予想されるので休む訳にはいきません。今は体育の日は10月第二月曜日になりましたが、当時はまだ。
全8試合すべて対抗戦だった1995年10・9東京ドーム。新日本とUインターには1992年の高田×蝶野問題や1994年の1億円トーナメント問題で対立関係であり続けたからこそ”対抗戦”として盛り上がった。だからこれ以上の”対抗戦”は今後の…少なくとも今現在の日本プロレス界ではないだろう、良くも悪くも。

↓削除されていればすみません。
高田延彦 vs 武藤敬司 10・9 入場

高田が入場前に気合の声を張りあげたのはあの北尾戦でもそうだった。高田はただ戦争に勝つことを目指して向かう…と当時は思っていました。今にして考えると、高田の本当の心はどうだったのか…?それでも試合が始まるとリングで放つ蹴りやグラウンドで強さを印象づけた高田。だが武藤は蹴りに押されつつも”あの一瞬”で逆転。誰もが記憶に残る一瞬を契機に攻勢となった武藤が足4の字で勝利…。戦いのシリアスさ、技術の追求ではUインターが勝ると思いつつも、武藤は強いと言わざるを得ない試合だった。

この2日後のUインター大阪大会を観戦しました。高田は足のダメージで欠場。松葉杖で支えられながらお詫びの挨拶をしましたが、場内からは”敗軍の将”となった高田に容赦ないブーイングの嵐…。たまらず「うるさいお前ら!!」と叫んだ高田の体も心中も痛々しく感じました…。そしてUインターは翌1996年末に団体の幕を下ろしました。
人生にたらればはないけれど、あの時、高田が勝っていたら…と考える時があります。プロレス界の”彩”が今とは違っていたかも知れません。それに満足して観ているのでしょうか。

日本にプロレスが根付いて50年以上経ちますが、新日本vsUインター10・9東京ドーム全面対決ほど、刺激的な存亡をかけた戦い模様はないのではないでしょうか!?その再現は、どこもできないほどに。
だけど局地的でもいいから、全面対決でなくてもいいから、イデオロギーの違いが滲む対抗戦は時折見たいと思っています。「スタンド弱いね!」「蹴りは俺の方が早いっスよ」培った技術と精神とプライドの激突が、見たい時あります。

それにしても…あの時の武藤敬司、派手なガウンとIWGPベルト、そしてテーマ曲「トライアンフ」が最高にはまっていました!これ以上の”華”なんてないと今でも思う。この華を誰かが超えて欲しいもんです!

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