風の向くまま 気の向くまま

その名の通り、日々思いついたことをそのまま書き連ねたブログです。

9月12日(月)のつぶやき

2011-09-13 01:03:43 | Weblog
06:45 from goo
鉢呂発言 #goo_buraijin http://t.co/rB5R2A4
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鉢呂発言

2011-09-12 06:27:38 | 時事問題
久々のブログ更新だが、先日の鉢呂発言について一言申し述べたい。

正直、今回の件に関する私の第一印象は、新任の大臣に対する不平、不満よりも、マスコミに対する違和感であった。
どうしてこうも都合良く、新内閣が発足すると問題発言や不祥事が飛び出すものか。
民主党やその代議士に対する怒りや不信感を前提にせず、冷静に考えてみれば割とすぐわかる。

それはマスコミが新内閣が発足するたびに、視聴率や部数増と言った目的のために、庶民の注目を集めそうなネタを集めているからに過ぎない。
それはもはや悪を正すというマスコミ本来の目的は一切なく、彼らの売上があがるかどうかという経済至上主義の身勝手な論理でしかない。

今回の記事がいかにいい加減かについてはこちらのブログに詳しいが、
鉢呂発言でのマスコミ報道に抗議する
最近のマスコミ報道は一事が万事、このようなものだと類推する。
にもかかわらずそうしたあてにならないマスコミ報道の尻馬に乗って国民が大騒ぎするようではこの国もたかが知れている。

もちろん鉢呂発言が問題ないと言っているのではない。
それよりもすべて新閣僚をクビにして視聴率や部数を稼ぐために利用されていること、そしてことのなんたるかを理解せずに尻馬に乗る国民の方がより問題だと言っているのだ。

正直、今回程度のことで大臣をコロコロ変えるべきではないと思っている。発言に腹の立つ人も多かろうが、それ以上に大臣をいちいち変えることによるロスの方が大きい。とりあえず任期いっぱいやらせた上で、辞めたあとでその大臣がどうだったか評価すればよい。

いい加減、新内閣が発足するたびに大臣に適切かどうかだとか任命責任がどうだとか、そんなことはもう聞き飽きた。
とにかく、これからは、マスコミ報道が信用できるものか一度しっかりと冷静に判断した上で、怒りをぶちまけて欲しい。
でなければこの国はマスコミに踊らされるばかりで一歩も前進できない。
結果、景気も上がらずあなたの給料も上がらず、上がるのはマスコミ関係者の給料ばかりですよ。みなさん。


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4月11日(月)のつぶやき

2011-04-12 01:02:29 | Weblog
15:13 from HootSuite
石原都知事が「民主党は未熟だ」と発言したとか何とか。私に言わせれば「そんなもの当たり前だバカモノ!」。そんなことは百も承知で汚濁にまみれた自民党よりマシだと思って投票したんだ。つまりは自ら政治を育てることの出来ない我々が「お前らは未熟だ」と言われているようなものだ。
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4月3日(日)のつぶやき

2011-04-04 01:02:33 | Weblog
23:28 from HootSuite
100億はただただ立派と賞賛するほかないが、それだけあるなら会社でも興して被災者の方々を雇用してあげることはできんのかな。素人考えですみません。
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3月29日(火)のつぶやき

2011-03-30 01:02:16 | Weblog
06:19 from goo
恐怖心を煽る手法の限界。 #goo_buraijin http://blog.goo.ne.jp/buraijin/e/ab1c7844df54ea14030114ba6fa31259
23:41 from goo
緊急の事態のときこそ非難ではなくフォローを。 #goo_buraijin http://blog.goo.ne.jp/buraijin/e/23b1f0a1a978ab6dcb450043f30f089c
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緊急の事態のときこそ非難ではなくフォローを。

2011-03-29 23:22:48 | 時事問題
避難区域を拡大し、乳幼児を抱える世帯の避難を促すのであれば、やみくもに政府や東電に文句を言ったり要望したりするだけでなく、何かしら実のある行動をした方が早いのではないか。
あれがけしからん、これが気に食わん、あれをしろ、これをしろと非難して国や自治体、企業が動くなら苦労はない。「竜馬がゆく」の中の薩長連合のくだりではないが、「理」よりも「利」である。

某携帯電話の経営者も避難区域の拡大と周辺住民の避難を勧めているようであるが、その行動力を買っていればこそ、叫ぶだけでなくぜひともさらなる一歩を踏み出して欲しい。
あくまで例えだが(所詮アイディアなので現実的かどうかはさておく)、全社員の給与を10%カットしてでも東京や大阪、福岡などで避難世帯を受け入れ、なおかつ各世帯一人を臨時社員として雇い入れ、給与を支払うとか。
避難を訴えるだけでなく、被災地以外の我々がワークシェアしつつ、避難民の最低限の生活を保持するようにする。生活が立ち行かなければ避難しようにもできない家庭も多いに違いないからだ。

正直、私は国や政府というのは国民を映す鏡でしかないと思っている。我々がこの程度であれば、国や政府もその程度なのだ。政治家や官僚は全てが万能の天才ではない。まるで神のようになんでもできると期待しない方がいい。できない部分は市民たる我々の知恵で補わなければならない。
ただただ政府に避難させろと叫ぶだけでなく、政府が動かないのであれば動かざるを得ないように逆にフォローしてやればよい。

リーダーが動かないというのならば、それを動かすのは決して正論や直球だけではないはずだ。どのような手があるのか。あの手この手を引き続き考えていきたい。
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恐怖心を煽る手法の限界。

2011-03-29 06:09:27 | 時事問題
原発問題について思うことを備忘録的に…。

危機感を煽るジャーナリストやそれに類する人たちはおそらく、まずは避難区域を拡大し、中でも乳幼児や子供達を絶対的に安全な区域に非難させることを第一の目的にしているように思える。それはおそらく正しい。

しかし残念なことに、正確とも言えない情報でただただ恐怖感を煽る手法では、一般市民はおそらく政府や自治体にそうした施策を働きかけることはしないだろう。ただ怖れ、萎縮するだけだ。そして悲しいかなそれはいずれ無関心へと向かっていく。

正確な情報でリスクを正しく伝え、政府や電力会社の人間さえも(今は)敵に回すことなく味方を増やし、確実に目的を達成できる手法が求められる。

それが何なのか、今も考えている…。
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3月28日(月)のつぶやき

2011-03-29 01:02:12 | Weblog
07:05 from goo
原発批判と責任の所在。 #goo_buraijin http://bit.ly/iiwVwO
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原発批判と責任の所在。

2011-03-28 06:13:25 | 時事問題
原発問題は残念ながら、人々の強い願いと裏腹に未だ目立った進展がない。
そのために不安が不安を呼び、専門家でもない人間が(一流の経済人やジャーナリスト、アーティストであっても)浅薄な知識でいたずらに不安を煽っているケースが目立つように思う。それは果たして原発問題を解決する上で好ましい状況なのだろうか。

原発事故が起こって以来、私の中でくすぶっている思いがある。
立場から言えば、私も原発そのものには反対だ。あんなに多くの人々が悲しい思いをするようなものならない方がいい。そんなことは普通に人の痛みがわかる人間なら当たり前に思うことだ。
それなのに、なぜか今、原発そのものに反対し、政府や東電の対応をなじり、不安を煽るがごとき情報を垂れ流す人々に対して違和感、嫌悪感がぬぐい去れない。

今、このタイミングで言うことか、という思いもある(今だからこそという意見もあろう)。
とにかく危険を煽る人々の、原子力に対する知識や危険性への認識は果たして正確なのか?という思いもある(政府や専門機関、東電やメディアが真実を隠蔽しているのだ、という意見があることももちろん知っている)。
そしてあれやこれやと考えて、ようやく違和感のもとに行き着いた。
つまりはそう言った人々には批判ばかりで反省がないのである。悪いのは自分以外の誰かであって、自分は被害者である、と。

私は原発事故や原発政策に関して第一義的には政府や電力会社に責任があると思っている。それによって暴利をむさぼってきた悪党もいるだろう。それはぜひともこれから追求して欲しいものだ。
しかしである。
程度の差こそあれ、電気を使う我々にも等しく今回の事故に対する責任があるのではないか?今までも原発の危険性を知りながら放置してきた責任。金と引き替えに好きなだけ電気を使い、贅沢をむさぼり尽くしてきた報いが、今、原発問題として発露しているのではないか。

その責任は我々一般人はもとより、携帯会社の社長や批判一辺倒のジャーナリストやミュージシャン、文化人全てに等しくあるものだ。批判は結構。現政権のみならず原発政策を推進してきた過去の政権や自治体、そして電力会社の過ちをどんどん追求して批判して欲しい。しかしその場合、自分たちにも万分の一かの責任があることを自覚し、そのことに触れ贖罪すべきではないのか。
これまで、煌々とした灯りの中で経済活動をしているジャーナリストやミュージシャンが、「今、我々は原子力によって生まれた電気を使っています。罪深いことです。」と訴えているのを聞いたことがない(探せばあるのかも知れないが、言い続けなければ意味がない)。
にも関わらずこうしたことが起こったときにだけ「ほれ見ろ」と言わんばかりに悪者を仕立てて(実際に悪者であっても)、正義の味方ぶって批判「だけ」する人々にどうしても共感が持てない。
せっかく正しいことを言っていてもしていても、そのことに説得力がないのだ。

どうやらそれこそが私の感じている「違和感」らしい。

本当の意味で責任の所在を明らかにし、原発の危険性を訴え、いずれ原発の廃止に持って行きたいなら、批判する際には自分たちも加害者なのだと言うことを忘れないことだと思う。
その前提に立たなければ市民が彼らの真の味方になることはない気がする。原発をいずれ廃止するなら国民の半数以上を味方につけなければならない。そのためにはファナティックに、ヒステリックに不安を煽るばかりでなく、よりいっそう謙虚に、冷静に、問題を見つめる視点が求められるように思う。

今は一日も早い事故の解決を祈るばかりだが、無事(もはや無事はないのだが…)事態が収束した暁には私も自らのこれまでの責任を受け止め、今後何をすべきか考え行動していくつもりだ。それは単に今より不便な生活を受け入れることなのか、他にも何かあるのか、謙虚に、冷静に考えていきたい。



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3月19日(土)のつぶやき

2011-03-20 01:02:22 | Weblog
13:36 from goo
危機に際して #goo_buraijin http://blog.goo.ne.jp/buraijin/e/f81fe54e25870b3b6fe23975b71249f7
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