今日、9月議会の最終日でした。補正予算等の市長より提案があった議案については全て全会一致で可決されました。
このたび唯一否決されたのが、請願18号、上の丸保育所園児募集停止延長についての請願でした。
この請願には私が賛成討論した以外に、よつ葉の会の穂積議員が反対討論を行いました。
殆どの会派が賛否の理由を示さない中で反対の理由を示したことには評価すべきだと思います。
ただし、反対した理由が上の丸保育所の耐震化工事が出来ない中で新たな園児を迎えることに対する疑問を反対の理由とされていました。
一方で、私は賛成討論の中で、耐震化工事できないとしてきた文化庁の指示について、実際文化庁に電話をして真意を確認したうえで耐震化できないのは文化庁の指示ではないことを明らかにしました。
今回は討論後すぐ採決があったわけですが、反対する理由としていたことが崩れた現在、反対する理由がなくなったわけです。
今すぐ、上の丸保育所の耐震化工事を行い、段階的募集停止をやめて園児の受け入れを再開すべきです。
※記事は神戸新聞9/26三木版の記事です。
以下、請願3件の賛成討論の原稿です。尚、実際の討論では多少違っているところがあることはご了承下さい。
請願第16号、第17号、18号の3件の賛成討論を行います。
はじめに、請願第17号、来年度開園予定の認定緑が丘こども園についての請願についてです。
新しい認定こども園について運営事業者、市、地域、保護者の4者が話し合いをする場が4者の努力により実現しているとお聞きしています。
これからも様々な困難もあるかと思いますが、4者協議によりそれぞれの信頼関係を醸成(じょうせい)する場となることを期待するとともに、今後も4者協議が更に発展することを切に願い本請願に賛成します。
次に、16号議案、市立三木幼稚園、三樹幼稚園、志染保育所存続に関する請願についてです。
三樹幼稚園と志染保育所は6月議会以降、廃園の延期、募集停止時期の延期が行われようとしています。そのような中で、三木幼稚園だけがこれまでの計画通り、平成31年3月に閉園にしようとしています。ただし、総務環境常任委員会での当局の説明では今後1年間を目途に柔軟に対応するとの答弁もございました。
保護者が行政に求めるものはあくまでも保育・教育の「質」の確保であります。それに対して行政が果たそうとしているのは待機児童を解消するための定員の、つまり「量」の確保であります。
当局が「柔軟に考える」と言っているのは定数が不足すると判断した時に三木幼稚園も活用するという話ではないでしょうか。
総務環境常任委員会では、幼保一体化計画が保護者の理解が得られずに進んでおり、本来行政が果たすべき説明責任が果たせていないのではという質問に対しても、当局は保育料の完全無償化によって、就園予測が違っていたことは認めても、保護者への説明責任が果たせていないことについての言及(げんきゅう)はありませんでした。
保護者の皆さんに理解を得るために、今当局がすべきことは、幼稚園の良さを認定子ども園に引き継ぐのに時間がかかることを認めること。幼稚園の良さを認定子ども園に引き継ぐ努力を最大限にすること。保護者とじっくり話し合いをして廃園計画を強硬に進めないこと。この3点を当局が実行することが、幼保一体化計画を成功させることが出来るかどうかの瀬戸際だと思います。
三木幼稚園の廃園延期を求めて本請願に賛成をするものであります。
最後に請願18号、上の丸保育所園児募集停止延長についての請願についてです。待機児童対策として上の丸保育所の活用を求める内容であります。
当局は、段階的に募集を停止しないと、廃園時期に5歳に満たない園児の受け皿がないと言っておられますが、32年頃には園児の数が減少しているから閉園するわけで、受け皿がないのであれば32年以降も継続すべきという話になるのではないでしょうか。
そして、当局は、また5歳に満たない園児がいたまま廃園した場合、保護者の訴えがあれば裁判で負ける可能性があると言われています。請願第16号でも議論しましたが、保護者との信頼関係が築けないから裁判になるわけで、現時点で、裁判を理由とするのは保護者との信頼関係を築くつもりがあるのか疑問を感じるものであります。
次に、史跡指定のため耐震化が出来ない、そのことによって子どもの安全が確保出来ないという理由を当局は言われています。
仮に耐震化出来ないのであれば当局の説明からも子どもの安全が確保できないということになります。そして、今いる他の園児の安全はどのように考えるのかという問題が残ります。平成32年の4年後の受け皿が用意できないのに、今いる園児の受け皿が出来るはずがありません。
では、上の丸保育所を移設するのか。それとも耐震化を行うのか。教育長は上の丸保育所の耐震化は文化庁がペケだと言っていると言われました。
そこで私は文化庁に電話をしました。結論から言いますと、「一概にダメではない」「保育所の耐震化について配慮していく必要がある」「旧三木高校舎と次元が違う」と言われました。
「上の丸保育所は耐震化出来ないと文化庁が言っている」多くの保護者をはじめとした市民、議員、関係職員が教育委員会の発言を信用して来ました。
また一つ、教育委員会の信用を失うことになったのではないでしょうか。教育委員会には分かりやすい、納得できる説明を求めます。
上の丸保育所はすみやかに耐震化を行い、段階的募集停止をやめることを求めて、本請願に賛成を行います。
議員各位におかれましては、請願第16号、請願第17号、請願18号に対して賛同いただきますことをお願いして私の討論を終わります。
あの穂積議員から、『命の大切さは何より優先させなければならない。』との発言があった様ですが、その意味の重さを穂積議員にそのまま返し、彼の過去の言動と照らし合わせ猛省してもらいたいものですね。
さて、三木市は幼保一体化計画で市立の幼稚園や保育所を次々に廃園させ、既存の民間保育園に集約しようとしていますが、これには三木市で生まれ育った一市民として大いに疑問を持ち賛成できかねません。
というのも、行政側(恐らく市長の独断)は少子化による乳幼児数の減少や保育環境の観点と保育への投資放棄から、公立園の廃止を決めているようですが、果たして目の前の現象だけで物事を決めるといった視野の狭い選択で良いのでしょうか?。
私自身の幼稚園の頃を振り返れば、上級生に手を握ってもらい連なって登園した想い出や、降園の際には遠回りし田圃のあぜ道を通り、かえるやバッタを捕まえながら毎日楽しく帰った記憶が今でも残っています。
このような状況は、小学校・中学校の登下校の際にも同様に有り、自然と触れ、まちの風景を焼き付け、四季を皮膚感覚で感じる毎日の繰り返しが、
郷土を思い、生まれ育った町を愛するといった情操教育そのものであった様な気がします。
何故、この様な話をするのかと言えば、私は三木市が好きで、三木市で生まれ育ったので、就職も市内を希望し、三木市から出るといった選択肢が無かったことです。
故郷三木市には良い思い出だけでなく、辛かったり悲しかったりする想い出も勿論有ります。しかしそれを含めても、ふるさと三木は自分の原点になる場所、自己を形成した場所であり、一切が生活の基盤なのです。
その場所に暮らす者には長い歴史と伝統があります。そしてそれらが文化となり日々の生活に採り入れられ人々の軌跡となり自分が生きた証となるのです。
自分の居場所を定められない者や居場所に連続性のない者は、郷土愛の程度が低いと考えます。
生まれ育ち生活をしてきた郷土がある者には、自然と郷土に対する愛着心が湧き、やがては心の故郷としてのまちに感謝し恩返しの心を抱くようになるものです。
三木市から若者世代が流出していると聞きます。人にはそれぞれの事情があろうかとは思いますが、生まれ育った故郷で郷土愛を育んだ人は郷土から離れることは少ないと考えます。
郷土愛を幼いころから育むことで人口流出の打開策が見えて来ると思います。
今、自分達が学び育った保育所や幼稚園が次々と廃園されそうになっていますが、三木市に思い入れがあり郷土愛のある者ならば自分たちの学び舎を、こんなにも簡単に冷血に廃園したり出来ないものです。
また、この様な行政の仕打ちは郷土愛の心を平気で壊し、自分たちの生きた証が蹂躙されるといった住民の心を踏みにじる行為だと思います。
郷土愛といった情操教育を育むべき立場に有るもの自らが、学び舎の活用策を見い出そうともせず短絡的に廃止することの影響力や意味の深さをもっともっと真剣に考えてほしいものです。
学び舎を一つ失くすことが、そこで育った多くの住民の郷土に対する愛を亡くすことに繋がるのです。このことを重々に承知して行政は物事を進めてほしいものです。
最後に、故郷を持っていることは誇りです。郷土愛の無い者は自分の理ばかりにこだわり、その施設や場所に愛着が無いので平気で廃園の裁決をしてしまう。その結果、故郷の拠り所を失い、そこに関わる人心の退廃をも生み出してしまうのです。
人口流出の止まらない三木市の根底には、このように故郷を愛する心を、行政自らが壊していることが元凶の一つと考えます。
郷土愛の育みが地域人材の育成に繋がり、まちづくりの原点である心の安らぎや懐かしみや親しみを生む郷土と幼少児から大人までが深く関わることこそ、今の時代に必要ではないかと考える次第です。