私のベトナム、そしてアジア

ベトナムから始まり、多くのアジアの人々に触れた私の記録・・・

1968年11月3日(日)  An Khe

2006-11-30 04:58:37 | Weblog
 夜10時半頃から、町の方でマシンガンと迫撃砲の音。Anhに「近いな?」と言うと、「District Chief のオフィスだ」と答えた。この近さではそうかもしれない。しかしあの辺りには随分多くの人が住んでいる筈だ。こんなに矢鱈にぶっ放して大丈夫なのだろうか? あるいは、迫撃砲の音は別の方角のものかもしれないが、それでも発射音が明確に聞き取れるくらいに近い。

 Tuong によると、アメリカ政府はNguyen Van Thieu と Nguyen Cao Ky を放り出したそうだ。ラジオでそう言っていたらしい。次に誰が出て来るのかまだわからないが、アメリカ政府の傀儡である以上は、誰が出ても同じだろう。それでもこの2日ばかり、NVSのスタッフたちの言葉からは平和が近づいて来るような期待が感じられる。しかし、本当の平和はまだまだ先のことらしい。


   11月4日(月)

 昨日のTuongの話は、僕の聞き方がまずかったためで、アメリカ政府はそうするかも知れない、いやするであろう、というだけのことだったようだ。Thieu & Ky政権は当分安泰ということか・・・。

 明朝7時に出発ということになった。彼らの話では、5日ほどかけてDa Nang まで往復するということだけれど、Anhの準備など周到で、北ベトナムかカンボジアにでも行くのではないかと、僕はふと疑った。北ベトナムなら行って見たい。早くもIVSの規則違反だが、彼らの嬉しそうな様子を見ると、これでよいのだ。僕にとっては、一緒に働いている奉仕の青年たちだが、同時にやはり戦争の下のベトナム人なのだ。彼らと喜びを共にしないで、どうして共に暮らせよう、と合理化する。

 町はいつもと変わらなかった。昨夜の銃撃戦も、結果的には何も起こらなかった。僕らが作っている図書館は、床のコンクリートを除いてほぼ完成した。僕は最初の主柱を立てる時と砂運び、ペンキ塗り、後片付けくらいしか役に立たなかった。あとは本。Anhは、150冊程は既にあると言う。先日、Hien が運んできたもののことか。















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アメリカ政府 北ベトナム ベトナム人 マシンガン そうかもしれない
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