私のベトナム、そしてアジア

ベトナムから始まり、多くのアジアの人々に触れた私の記録・・・

1969年1月17日(金) Qui Nhon

2006-12-24 13:31:40 | Weblog
 Qui Nhon は蒸し暑かった。無力であることの無念さが僕の思いを過激にするのだろうか。戦争のもたらす悲惨な状況、人々の悲しみ、貧困に喘ぐ人々、それらを知りながら、何もできず、手をこまねいている僕。僕は無実ではあり得ないだろう。

 僕が全ての悪の責任を引き受けなくてはならないということはない筈だ。しかし、何処までを、僕はしなければいけないのだろう? 何をしなければならないのだろう? ベトナム人である彼らはこのような悩みを悩む必要はない。彼らには彼らの具体的な悩みと仕事があるのだから。しかし、僕の仕事は何だ? 多分、と僕は考える。多分、全てのあり得る責任を感じることが、僕の仕事なのだ。そうして無力な自分を責める・・・。

 蒸発、僕はその気持ちを理解できるような気がする。雲・・・くらげ・・・。

   1月19日(日) Qui Nhon

 自分が何者かであると考えるのは、僕をいらだたせる。僕は何者でもなく、僕は僕であり、その他には何もない。世界中の悪の責任を、どうして僕が引き受け得よう。僕は耐え切れず、戦車に轢きつぶされた豚のようになってしまう。しかし・・・

 科学の発達は人類に生活の快適さをもたらした。同時に、武器の発達をもたらし、核戦争による人類滅亡の恐怖と、現実に行われた、また行われている大量虐殺や不平等をもたらした。人間たちの快適といわれる生活は、人間の虐殺に象徴される悲惨さや恐怖の上に成り立っている、あるいは少なくとも並存していることは間違いない。科学の発展がなかったと仮定すれば、人類は病気や飢餓などによる悲惨はずっと激しかったろうが、その罪は遥かに軽かったろう。快適な生活を送っている人間たちには、この同じ世界で苦しんでいる人々に対する責任と義務がある。


 













ジャンル:
ウェブログ
キーワード
快適な生活 ベトナム人
コメント (0) |  トラックバック (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア
« 1969年1月15日 A... | トップ | 1969年1月21日(... »

コメント

コメントはありません。

コメントを投稿

 ※ 
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL

あわせて読む