私のベトナム、そしてアジア

ベトナムから始まり、多くのアジアの人々に触れた私の記録・・・

1968年11月14日(土) Qui Nhon

2006-12-19 06:46:04 | Weblog
 車の修理のために、Qui Nhon に来る。日曜日までかかるという。先月の分と合わせて10,000ドンを超えることになるらしい。Anh たちは An Khe で建設中の図書館に必要なセメントや本を入手するために省長を訪ねている。昨夜は蚊の猛攻撃で一睡もできず、頭が重い。重い頭で思う。ベトナム人はよい顔をしている。特に切れ長のスッキリした目がよい。僕はAnhの顔を見ると、さぞかし Le Loi などはこういう顔だったのではなかろうか、などと想像してしまう。


   11月17日(日)

 夕方、ランプを買いに街へ出た。公園を通ると人だかりがしていた。初めは事故だと思ったのだが、傍を通ったので覗いて見ると、暗がりの中に、数人の人が裸に近い格好で、折り重なって横たわっていた。見せしめのためにそこに放置された解放戦線兵士の死体だった。後で聞くと、昨夜の戦闘で、解放軍側に6人、政府軍側に6人の死者があったという。気のせいか、死体は暗がりの中で青く光っているように見えた。

 NVSのアパートの前の小さな雑貨店に立ち寄った時に、そこの親父さんにそのことを話した。「死んだ人間は皆同じじゃないか! 僕はあんなやり方は嫌いだ!」と言ったら、親父さんは頷いて、「6人も・・・、それじゃ臭いな」と言って、鼻をつまんで、顔をしかめた。

 この部屋には今、4人のボーイスカウトの少年たちと、徴兵を控えた3人のNVSの青年たちがいる。彼らはどんな気持ちであの死体を見たのだろうか? この人たちはこれからどうなってゆくのだろうか?死体には既に温かみもなく、血も流れ尽きてしまったろう。もはや人間ではなく、ただの土の塊と同じだ。そして、それだからこそ、かつて人間だった彼ら、僕と同じように泣き、笑い、怒った、それこそ僕自身だった彼らのことが思われるのだ。解放戦線の兵士であれ、僕には彼らが満足して、幸福な気持ちで死んでいったとは思えない。やはり恐怖に震えながら、家族や友人や恋人たちや自分たちの未来に多くの思いを残し、それでも戦わなければならなかったのだろう。

 かつて世界中の強国(そしてそこに住む人々)は自らの植民地を当然としか思わなかった。今、アメリカ人たちは自国の利益のためならば、ベトナムの人々がどれほど苦しもうと、死のうと意に介さない。日本とて同じことだ。この戦禍に苦しむベトナム中に日本製品があふれ、日本政府はアメリカ政府を支持し、ベトナムの人々の上に爆弾を降り注ぐB52爆撃機が沖縄の米軍基地から飛び立つている。

 






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