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> ●地震・津波で壊滅的な影響
> ●原子炉建屋が爆発
> ●住民避難
> ●広範囲に拡散した放射能
> ●被曝の影響
> ●食べ物の汚染も深刻
> ●労働者の被曝
>
> (日本語原文が必要な方は連絡ください)
> 佐藤大介 ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン
> 560-0082豊中市新千里東町 2-4-D3-1106 sdaisuke@rice.ocn.ne.jp
> http://www.japan.NoNukesAsiaForum.org
福島第一原発事故(日本語原文)
日本はヒロシマ・ナガサキの原爆被害を経験したにもかかわらず、原子力発電の建設を進めてきました。原子力発電は、広島原爆と同じ核分裂をゆっくり起こし、その際に発生する熱でお湯を沸かして蒸気をつくり、その蒸気でタービンを回す発電所です。処理できない放射性廃棄物が発生すること、被曝労働が避けられないこと、事故になると大変な被害になることなどから私たち市民は反対してきましたが、54基の原発が動いていました。
そしてその恐れていた大事故が福島第1原発で起きてしまったのです。
ところが、日本政府は信じられないことに、事故後もベトナムへの原発輸出を進めようとしています。ベトナムは2030年までに14基の原発を建設する計画を持っており、これまでロシアと日本が2基づつ作ることが決まっています。日本の計画は、ニントアン省ビンハイに建設し、2021年に稼働させるというものです。
私たちは、日本の原発輸出にも反対しています。ベトナムの市民の皆様にも、原発がどのようなものか知ってほしいと思い、福島原発事故についてベトナム語のWEBページを作りました。
地震・津波で壊滅的な影響
原発が大事故を起こす原因は、小さな機械のトラブルがきっかけだったり、人為ミスがきっかけだったりします。福島原発の事故は地震がきっかけでした。
3月11日、マグニチュード9.0の巨大な「東北地方太平洋沖地震」が起き、太平洋岸が数百キロにわたって甚大な被害が発生しました。家々はまるごと流され、死者・行方不明者は3万人、避難民は17万人におよぶ大震災です。
地震とそれに続く津波によって、北は東通原発から南は東海第二原発まで15の原発が被害を受けました。このうち、福島第一原発では極めて深刻な事故へ至りました。同原発では3基が運転中、3基が定期検査中でした。地震によって原子炉は停止したものの、続く津波が重なって、原子炉の冷却能力がすべて失われてしまいました。
原発はたとえ核分裂を止めることに成功しても、燃料は高熱を発し続けているため、原子炉の冷却は続けなければなりません。通常は送電線を使って外部から電気の供給を受けます。これに失敗する場合も考えて、非常用のディーゼル発電機を装備しています。非常用が立ち上がらない場合も考えてバッテリーで数時間は電力を確保する装置も備えています。ところが津波によってこれらすべてが機能を失ったのでした。
地震の揺れで送電鉄塔が倒れました。これによって外部からの電源が断たれました。また、揺れによって原発の配管類が破損した可能性も指摘されています。地震の揺れが今回の爆発事故にどの程度の影響を与えたのかは、後の詳細な調査を待つしかありません。
(右から上部が骨組みだけの1号炉、パネルが抜け落ちた穴から水蒸気を上げる2号炉、激しく壊れた3号炉と4号炉)
原子炉建屋が爆発
この結果、1号炉、2号炉、3号炉では、それぞれ燃料の一部が溶融し、これによって発生した水素が爆発して建物が激しく破損しました(写真参照)。2号炉は建物の爆発こそ免れましたが、放射能を閉じ込めるための格納容器が破損しました。格納容器とは、原子炉の本体の外側に事故時に放射能を封じ込める目的で設けられている容器です。定期検査中であった4号炉も、3号炉から流れ込んだ水素が爆発し、建屋は激しく損傷しました。
不幸中の幸いは、1,3,4号炉の爆発はいずれも建屋の上部で起きており、2号炉の爆発も小規模だったので、原子炉圧力容器や格納容器そのものが大規模に破裂してしまうことはありませんでした。一番怖いことは、圧力容器が空焚きになって、燃料が下のある水に溶け落ちて水蒸気爆発が起こることでした。その場合は、圧力容器や格納容器が壊れ、今よりももっと破局的な事故に至ったでしょう。余震等をきっかけにそうなってもおかしくない事態でした。
建物の爆発にともなって放射能が環境にまき散らされました。事故は国際的な尺度でレベル7とされました。チェルノブイリ原発事故に次ぐ深刻な放射能汚染事故です。土壌、作物、動植物、そして人間が放出された放射能で汚染されました。さらに悪いことに、建物が大きく破損したことで、放射能の閉じ込め機能は失われています。つまり、事故が収束するまでは放射能が環境へ出続けるということです。
汚染された環境は相当長期間にわたって元に戻れないでしょう。
住民避難
放射能が漏れたらもう逃げるしかありません。地震が起きたのは午後2時46分。東京電力が、外部電源もなくなって原子炉を冷やすことが出来ませんと緊急事態を国に通報したのが、午後4時45分。ところが、国が緊急事態宣言をするのに2時間強かかっています。さらに、国が避難すべきだと3キロ圏内の人に言ったのは、さらに遅い9時23分。翌朝には10キロ圏に避難指示が拡大されました。そうこうしているうちに、水素爆発が起こって、大量の放射能がばら撒かれ、避難指示が20キロに拡大されました。対策は、後手後手になって、住民は混乱の中、被曝しながら避難することになったのです。
避難の対象となる住民は17万7000人に達しています。また、3月15日には、20から30キロメートルの住民に、屋内退避指示が出されました。その後、放射能の放出状況が続いたこと、避難範囲の拡大を求める要望等が相次いだこともあるのでしょう、政府は25日には屋内退避の住民たちに自主避難を促しました。さらに、4月11日には、30キロメートルを超えて風下方向に約50キロ圏までに計画避難区域を設定し、飯舘村の住民を中心に一カ月を目途に避難を呼びかけました。学校の体育館などでの、決して楽ではない避難生活が数カ月続くことになりました。慣れない土地での不便な避難生活を嫌って、「私はお墓に避難します」という遺書を残し、自殺するお年寄りまで出てしまいました。
広範囲に拡散した放射能
福島第一原発から放出された放射能は広範囲に拡散しました。事故で放出された放射能はガスになって飛び散りやすいヨウ素とセシウムが中心でした。放射能には寿命があり、放射能の能力が半分になる期間を半減期と呼んでいます。ヨウ素131の半減期は8日で、比較的短寿命のため今では消えてなくなりました。半減期2年のセシウム134と半減期30年のセシウムの汚染にこれから対処しなければなりません。放出されたセシウムは広島原爆の168倍と政府は試算しています。
放射能の広域な拡散は、風向や地形に大きく依存していることがわかります。また、放射能のガスが流れたときに雨が降っていた地域は、大地が汚染されて、長期間高濃度の汚染が続くことになりました。
一般の住民は原子力施設からの被曝の影響を年間1ミリシーベルト(被曝の単位で、量としては自然界から一年間に受ける被曝の量とほぼ等しい)を限度とすることが法律で決まっていますが、もはやそれを超えるだろう地域が相当広い範囲にわたって出現しました。避難が行われているのは、年間の被曝線量がその20倍と予想される地域に限られています。社会的影響の大きさから、市民の健康が犠牲にされているのです。
大気中のみならず海への汚染水の放流や漏出により、海洋の放射能汚染も始まっています。
被曝の影響
放射能のガスが流れていた時に、ガスから直接被曝する外部被曝は、ガスが通り過ぎればそれでおしまい。しかし、放射能を吸い込んで体の中に取り入れると体の内部から被曝し、体に大きな影響を与えます。特にヨウ素131は寿命が短いけれども、甲状腺に溜まります。甲状腺は、成長ホルモンを作る器官で、子どもに大きな影響をもたらします。チェルノブイリ原発事故の後には甲状腺ガンが子供たちに多発しました。福島の子供たち130人を民間団体が検査したところ、10人の検査値が異常を示し、被曝の影響が否定できないとされています。福島県の36万人の子供たちは、一生涯、国の検査を受け続けることになりました。一方、セシウムは筋肉に蓄積し、心臓病などの原因になると指摘されています。
被曝の影響を心配する子供のストレスは深刻です。嘔吐(おうと)や不眠、倦怠感、頭痛、肩こりなどの症状も出ています。「放射線が怖い。悪い夢を見て、寝た気がしない」と訴えて、精神科や心療内科を受診する住民も増えています。
食べ物の汚染も深刻
環境へ放出された放射能は大気のみならず、土壌やさまざまな食べ物・飲み物の汚染をもたらしています。放射性ヨウ素や放射性セシウムの暫定基準値を定めて、サンプル調査を行い、基準値を超えたものは流通しないように管理しています。
基準値はヨウ素131とセシウム137という二つの放射性物質で管理しています。食べ物ではヨウ素131が2000ベクレル/kg、セシウムが500ベクレル/kgとなっています。また、飲用物ではヨウ素131が300ベクレル/kg(ただし乳児は100ベクレル/kg)、セシウムが200ベクレル/kgとなっています。基準値の食品を食べ続けるとおよそ1年で5ミリシーベルトの被ばくとなります。この値は法律に基づく1年間の被ばく限度の5倍です。基準値は非常に甘いといえます。
事故の影響を受けた地域の農産物や魚介類は、たとえ汚染がなくても影響を心配する消費者が買い控えをするのではないかと販売価格が安く抑えられ、農林水産業は大きな影響を受けています。
労働者の被曝
事故対応にあたった作業員の総数は半年の間に1万5千人を超えています。東京電力の社員はもとより協力会社の社員たち(数はこちらの方が多いでしょう)、消防署員(東京からも出かけたました)、自衛隊員、さらに米軍兵士らが事故対応にあたっているようです。彼らは高い被曝線量下で作業をしています。
放射線業務に従事する労働者の年間被曝限度は50ミリシーベルト、ただし5年間の累積で100ミリシーベルトを超えないように制限されています。そして事故時には一時的に100ミリシーベルトまで容認する仕組みが原子力災害特別措置法で定められています。100ミリシーベルトは急性障害が生じるとされるギリギリの値といえます。
しかし、今回の事故対応では、さらにこれを250ミリシーベルトまで引き上げることを3月15日に政府が決めました。ところがこの引き上げられた基準を超えた作業車が6人も出ています。最も高い人は670ミリシーベルトに達しました。近い将来に、これらの高い被曝をされた労働者に健康影響が出てくることが心配です。
菅前首相の回想録
2010年にベトナムを訪問し、ベトナムへの原発輸出のトップセールスを行った菅前首相は、事故を振り返って次のように述べています。
事故発生直後に、事故の今後のシミュレーションを依頼したところ、原子力委員会の近藤駿介委員長らの「助言チーム」は、二つの炉から放射性物質が大量放出すれば、200キロ圏内で強制退避が必要と見積もった。
「いくつかのところに最悪のシミュレーションを頼んでいた。最悪をちゃんと想定して、そうならないように。200キロで首都圏の一部が入る。250キロといえば、ほとんど首都圏全部だ。3千万人だ。避難というレベルを超えている」
「最悪の状況では国そのものが機能しなくなるかもしれない。そんなリスクをカバーできる安全性とは何か。その答えは原子力に依存しないことだ」
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> ●被曝の影響
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福島第一原発事故(日本語原文)
日本はヒロシマ・ナガサキの原爆被害を経験したにもかかわらず、原子力発電の建設を進めてきました。原子力発電は、広島原爆と同じ核分裂をゆっくり起こし、その際に発生する熱でお湯を沸かして蒸気をつくり、その蒸気でタービンを回す発電所です。処理できない放射性廃棄物が発生すること、被曝労働が避けられないこと、事故になると大変な被害になることなどから私たち市民は反対してきましたが、54基の原発が動いていました。
そしてその恐れていた大事故が福島第1原発で起きてしまったのです。
ところが、日本政府は信じられないことに、事故後もベトナムへの原発輸出を進めようとしています。ベトナムは2030年までに14基の原発を建設する計画を持っており、これまでロシアと日本が2基づつ作ることが決まっています。日本の計画は、ニントアン省ビンハイに建設し、2021年に稼働させるというものです。
私たちは、日本の原発輸出にも反対しています。ベトナムの市民の皆様にも、原発がどのようなものか知ってほしいと思い、福島原発事故についてベトナム語のWEBページを作りました。
地震・津波で壊滅的な影響
原発が大事故を起こす原因は、小さな機械のトラブルがきっかけだったり、人為ミスがきっかけだったりします。福島原発の事故は地震がきっかけでした。
3月11日、マグニチュード9.0の巨大な「東北地方太平洋沖地震」が起き、太平洋岸が数百キロにわたって甚大な被害が発生しました。家々はまるごと流され、死者・行方不明者は3万人、避難民は17万人におよぶ大震災です。
地震とそれに続く津波によって、北は東通原発から南は東海第二原発まで15の原発が被害を受けました。このうち、福島第一原発では極めて深刻な事故へ至りました。同原発では3基が運転中、3基が定期検査中でした。地震によって原子炉は停止したものの、続く津波が重なって、原子炉の冷却能力がすべて失われてしまいました。
原発はたとえ核分裂を止めることに成功しても、燃料は高熱を発し続けているため、原子炉の冷却は続けなければなりません。通常は送電線を使って外部から電気の供給を受けます。これに失敗する場合も考えて、非常用のディーゼル発電機を装備しています。非常用が立ち上がらない場合も考えてバッテリーで数時間は電力を確保する装置も備えています。ところが津波によってこれらすべてが機能を失ったのでした。
地震の揺れで送電鉄塔が倒れました。これによって外部からの電源が断たれました。また、揺れによって原発の配管類が破損した可能性も指摘されています。地震の揺れが今回の爆発事故にどの程度の影響を与えたのかは、後の詳細な調査を待つしかありません。
(右から上部が骨組みだけの1号炉、パネルが抜け落ちた穴から水蒸気を上げる2号炉、激しく壊れた3号炉と4号炉)
原子炉建屋が爆発
この結果、1号炉、2号炉、3号炉では、それぞれ燃料の一部が溶融し、これによって発生した水素が爆発して建物が激しく破損しました(写真参照)。2号炉は建物の爆発こそ免れましたが、放射能を閉じ込めるための格納容器が破損しました。格納容器とは、原子炉の本体の外側に事故時に放射能を封じ込める目的で設けられている容器です。定期検査中であった4号炉も、3号炉から流れ込んだ水素が爆発し、建屋は激しく損傷しました。
不幸中の幸いは、1,3,4号炉の爆発はいずれも建屋の上部で起きており、2号炉の爆発も小規模だったので、原子炉圧力容器や格納容器そのものが大規模に破裂してしまうことはありませんでした。一番怖いことは、圧力容器が空焚きになって、燃料が下のある水に溶け落ちて水蒸気爆発が起こることでした。その場合は、圧力容器や格納容器が壊れ、今よりももっと破局的な事故に至ったでしょう。余震等をきっかけにそうなってもおかしくない事態でした。
建物の爆発にともなって放射能が環境にまき散らされました。事故は国際的な尺度でレベル7とされました。チェルノブイリ原発事故に次ぐ深刻な放射能汚染事故です。土壌、作物、動植物、そして人間が放出された放射能で汚染されました。さらに悪いことに、建物が大きく破損したことで、放射能の閉じ込め機能は失われています。つまり、事故が収束するまでは放射能が環境へ出続けるということです。
汚染された環境は相当長期間にわたって元に戻れないでしょう。
住民避難
放射能が漏れたらもう逃げるしかありません。地震が起きたのは午後2時46分。東京電力が、外部電源もなくなって原子炉を冷やすことが出来ませんと緊急事態を国に通報したのが、午後4時45分。ところが、国が緊急事態宣言をするのに2時間強かかっています。さらに、国が避難すべきだと3キロ圏内の人に言ったのは、さらに遅い9時23分。翌朝には10キロ圏に避難指示が拡大されました。そうこうしているうちに、水素爆発が起こって、大量の放射能がばら撒かれ、避難指示が20キロに拡大されました。対策は、後手後手になって、住民は混乱の中、被曝しながら避難することになったのです。
避難の対象となる住民は17万7000人に達しています。また、3月15日には、20から30キロメートルの住民に、屋内退避指示が出されました。その後、放射能の放出状況が続いたこと、避難範囲の拡大を求める要望等が相次いだこともあるのでしょう、政府は25日には屋内退避の住民たちに自主避難を促しました。さらに、4月11日には、30キロメートルを超えて風下方向に約50キロ圏までに計画避難区域を設定し、飯舘村の住民を中心に一カ月を目途に避難を呼びかけました。学校の体育館などでの、決して楽ではない避難生活が数カ月続くことになりました。慣れない土地での不便な避難生活を嫌って、「私はお墓に避難します」という遺書を残し、自殺するお年寄りまで出てしまいました。
広範囲に拡散した放射能
福島第一原発から放出された放射能は広範囲に拡散しました。事故で放出された放射能はガスになって飛び散りやすいヨウ素とセシウムが中心でした。放射能には寿命があり、放射能の能力が半分になる期間を半減期と呼んでいます。ヨウ素131の半減期は8日で、比較的短寿命のため今では消えてなくなりました。半減期2年のセシウム134と半減期30年のセシウムの汚染にこれから対処しなければなりません。放出されたセシウムは広島原爆の168倍と政府は試算しています。
放射能の広域な拡散は、風向や地形に大きく依存していることがわかります。また、放射能のガスが流れたときに雨が降っていた地域は、大地が汚染されて、長期間高濃度の汚染が続くことになりました。
一般の住民は原子力施設からの被曝の影響を年間1ミリシーベルト(被曝の単位で、量としては自然界から一年間に受ける被曝の量とほぼ等しい)を限度とすることが法律で決まっていますが、もはやそれを超えるだろう地域が相当広い範囲にわたって出現しました。避難が行われているのは、年間の被曝線量がその20倍と予想される地域に限られています。社会的影響の大きさから、市民の健康が犠牲にされているのです。
大気中のみならず海への汚染水の放流や漏出により、海洋の放射能汚染も始まっています。
被曝の影響
放射能のガスが流れていた時に、ガスから直接被曝する外部被曝は、ガスが通り過ぎればそれでおしまい。しかし、放射能を吸い込んで体の中に取り入れると体の内部から被曝し、体に大きな影響を与えます。特にヨウ素131は寿命が短いけれども、甲状腺に溜まります。甲状腺は、成長ホルモンを作る器官で、子どもに大きな影響をもたらします。チェルノブイリ原発事故の後には甲状腺ガンが子供たちに多発しました。福島の子供たち130人を民間団体が検査したところ、10人の検査値が異常を示し、被曝の影響が否定できないとされています。福島県の36万人の子供たちは、一生涯、国の検査を受け続けることになりました。一方、セシウムは筋肉に蓄積し、心臓病などの原因になると指摘されています。
被曝の影響を心配する子供のストレスは深刻です。嘔吐(おうと)や不眠、倦怠感、頭痛、肩こりなどの症状も出ています。「放射線が怖い。悪い夢を見て、寝た気がしない」と訴えて、精神科や心療内科を受診する住民も増えています。
食べ物の汚染も深刻
環境へ放出された放射能は大気のみならず、土壌やさまざまな食べ物・飲み物の汚染をもたらしています。放射性ヨウ素や放射性セシウムの暫定基準値を定めて、サンプル調査を行い、基準値を超えたものは流通しないように管理しています。
基準値はヨウ素131とセシウム137という二つの放射性物質で管理しています。食べ物ではヨウ素131が2000ベクレル/kg、セシウムが500ベクレル/kgとなっています。また、飲用物ではヨウ素131が300ベクレル/kg(ただし乳児は100ベクレル/kg)、セシウムが200ベクレル/kgとなっています。基準値の食品を食べ続けるとおよそ1年で5ミリシーベルトの被ばくとなります。この値は法律に基づく1年間の被ばく限度の5倍です。基準値は非常に甘いといえます。
事故の影響を受けた地域の農産物や魚介類は、たとえ汚染がなくても影響を心配する消費者が買い控えをするのではないかと販売価格が安く抑えられ、農林水産業は大きな影響を受けています。
労働者の被曝
事故対応にあたった作業員の総数は半年の間に1万5千人を超えています。東京電力の社員はもとより協力会社の社員たち(数はこちらの方が多いでしょう)、消防署員(東京からも出かけたました)、自衛隊員、さらに米軍兵士らが事故対応にあたっているようです。彼らは高い被曝線量下で作業をしています。
放射線業務に従事する労働者の年間被曝限度は50ミリシーベルト、ただし5年間の累積で100ミリシーベルトを超えないように制限されています。そして事故時には一時的に100ミリシーベルトまで容認する仕組みが原子力災害特別措置法で定められています。100ミリシーベルトは急性障害が生じるとされるギリギリの値といえます。
しかし、今回の事故対応では、さらにこれを250ミリシーベルトまで引き上げることを3月15日に政府が決めました。ところがこの引き上げられた基準を超えた作業車が6人も出ています。最も高い人は670ミリシーベルトに達しました。近い将来に、これらの高い被曝をされた労働者に健康影響が出てくることが心配です。
菅前首相の回想録
2010年にベトナムを訪問し、ベトナムへの原発輸出のトップセールスを行った菅前首相は、事故を振り返って次のように述べています。
事故発生直後に、事故の今後のシミュレーションを依頼したところ、原子力委員会の近藤駿介委員長らの「助言チーム」は、二つの炉から放射性物質が大量放出すれば、200キロ圏内で強制退避が必要と見積もった。
「いくつかのところに最悪のシミュレーションを頼んでいた。最悪をちゃんと想定して、そうならないように。200キロで首都圏の一部が入る。250キロといえば、ほとんど首都圏全部だ。3千万人だ。避難というレベルを超えている」
「最悪の状況では国そのものが機能しなくなるかもしれない。そんなリスクをカバーできる安全性とは何か。その答えは原子力に依存しないことだ」









