大戦時ユダヤ人数多救いたる旧日領事館に桜ほころぶ
(in Kaunas, Lithuania) まさとし
第二次大戦当時、Lithuania の首都は Kaunas に
置かれていた。1940年7月、日本領事館前に人垣が
できた。ナチスの迫害を逃れ、日本を通過して米国
に活路を見出そうとするユダヤ人たちの群れだった。
領事代理だった杉原千畝(ちうね)氏は、ビザ発給の
許可を求めて日本に何度も打電したが、断られた。
日本はナチスドイツと同盟を結んでいたからだった。
義を見てせざるは勇なきなり――杉原氏は決断した。
本国の指示に背き、独断で1,600ものビザを発給した。
その結果、6,000人を超えるユダヤ人の命が救われた。
このような日本人の先輩を持てたことに、われわれは
誇りを抱いてよい。
(in Kaunas, Lithuania) まさとし
第二次大戦当時、Lithuania の首都は Kaunas に
置かれていた。1940年7月、日本領事館前に人垣が
できた。ナチスの迫害を逃れ、日本を通過して米国
に活路を見出そうとするユダヤ人たちの群れだった。
領事代理だった杉原千畝(ちうね)氏は、ビザ発給の
許可を求めて日本に何度も打電したが、断られた。
日本はナチスドイツと同盟を結んでいたからだった。
義を見てせざるは勇なきなり――杉原氏は決断した。
本国の指示に背き、独断で1,600ものビザを発給した。
その結果、6,000人を超えるユダヤ人の命が救われた。
このような日本人の先輩を持てたことに、われわれは
誇りを抱いてよい。