君、マンボたまふことなかれ

ジャズじゃ、ロックじゃ、サルサじゃ、ソウルじゃ、ファンクじゃ、歌謡曲じゃ、ジャージャー。

画像で紹介。『Our Latin Thing』。音が聴こえるべ?

2006-08-10 23:41:06 | Salsa / New York Latin
『Our Latin Thing』(1972)

サルサというジャンルが正に出来上がった、その頃。
1971年の8月26日、木曜日。
チーター(Cheetah)というクラブで行われたライヴ。
コレが、大衆音楽を代表する凄い作品となりました。

えぇ、早い話ですね、金字塔です。
恐ろしいコトに、全てのポピュラー音楽の中での金字塔、デス。
サルサの、じゃないです。
しかも、ポップ音楽には珍しく映像作品での金字塔登攀達成です。
オメデトウございます。
どもども。こりゃ、ども。

演奏を行い、作品を作り上げたのはファニア・オールスターズ(Fania All Stars)。
ファニア、というレーベルに所属するニューヨークの若きラテン・アーティスト達が、元々は会社の宣伝の為に結集したのであろう企画バンド、ファニア・オールスターズ。
企画バンドだって言うのにコレが有り得ないエネルギーを放出しました。
ポピュラー・ミュージック史上に於ける最大の奇蹟の一つ。

ホント、奇蹟です。
ロックでもジャズでも、ヒップホップでも、大衆音楽が好きなら絶対に死ぬ前に知っておくべき作品です。
作品?
いや、コレはドキュメントかもしれませんね。
リアリティがあります。

で、この作品は、一般的にはファニア・オールスターズの作品と言ってイイでしょうが、正式には「ファニア・オールスターズとスペイン語を話すニューヨークの人々(The Fania All Stars And The Spanish Speaking People Of New York City)」とクレジットされています。
こういうクレジットをしたファニアというレーベルは実にエライと思う。
理由は観れば分かります。

では今回は、作品の流れに沿って画像中心にお送りします。
行きますぜ。

まずはココから。




ココが、サルサを生み育てた誇り高きラテン・ピープル達の街。
コドモ達が集まってパーカッションを叩いている。
しっかし、ゴミだらけ。
これは、一体ドコなのか?
パンチ佐藤を生んだ川崎市高津区か?
恐らくそうではナイ。

正解はニューヨーク。

中でもエル・バリオとかイースト・ハーレムとか言われた地区にはプエルト・リコを初めとした、カリブからの移民が集中したそうな。
この画像がそのエル・バリオで撮影されたものなのかは、残念ながらワタシには分からん。

で、そういう土地で生活している人々が愛した音楽がサルサ。
その、サルサが最もエネルギーを放っていた時のライヴがこのライヴ。

以後、文章少な目で行きます。

リハ風景。

メガネでアフロはコンガのレイ・バレット。左はティンバレスのオレステス・ヴィラトー。

ライヴ、スタート。




ファニア・オールスターズの親分。

レーベルの副社長でもあるジョニー・パチェーコ。


名シンガー。ピート“エル・コンデ”ロドリゲス。


ベルベット・ヴォイス。チェオ・フェリシアーノ。


音楽的頭脳。ロベルト・ロドリゲス。


ラテンにトチ狂ってしまったユダヤ人ピアニスト。硬派ラリー・ハーロウ。


天才ダンサー兼ボンゴ奏者、ロベルト・ロエーナ。


最高のトロンボーン・プレイヤー、バリー・ロジャース。


サルサが生んだ大スター。ウィリー・コローン。


レイナルド・ホルヘとウィリー・コローン。熱い。


ビューティフル・アレンジャー。ボビー・ヴァレンティン。


凄過ぎる。ティンバレスのオレステス・ヴィラトー。


若き(当時)カリスマ・シンガー。イスマエル・ミランダ。


正にサルサの巨人。レイ・バレット。


ヴォイス・オブ・サルサ。エクトル・ラヴォー。


そして、このライヴ映像のもう一つのミドコロ。
踊るオーディエンス達。




カッコ良過ぎる。

野外ライヴシーンでのオーディエンス。




こちらもカッコ良過ぎ。

も一度、言っておきますが、コレがサルサを生んだ高津区。
モトイ、エル・バリオ。




このジャケット。↓忘れずに。ね。


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コメント (4)
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