私的武術論~書庫(不定期に、まとめて更新)

手裏剣術伝習所 翠月庵主が、ブログ等で掲載した、過去の武術論についてのアーカイブ。

気・剣・体の一致のための、術技としての気合

2008年10月31日 | 武術全般
その昔、まだ空手道が東洋の神秘の武術であると多くの西洋人が考えていた頃のお話。

 とある斯界の師範が、外国人向けの教範を制作した。その際、型の挙動を解説する英文のなかで、気合をいれる所の解説文に、「Kiai!」と記述した。

 その後、その教範で独学をしていた外国人が、お金をためて来日。念願かない、本邦の空手道場に入門とあいなった。

 基本稽古を終え、さっそく型の教習に入った際、師範は型の動きを教えながら、「この挙動の際に、気合を入れなさい」と指導。

 その外国人は分かりましたと答え、型を演武しながら気合を入れる挙動の部分で、力一杯元気にこう叫んだという。

 「キアーイ!!!!!!」

 空手界では割合有名な小話である。



 武術・武道と気合は、切っても切れない関係にある。

 とくに、いわゆる「気合がはいっていない」だとか、「気合が感じられない」などといった抽象論としての気合ではなく、発声=掛け声としての気合は、具体的な術技として、たいへん重要なものだ。

 この点について、空手道や柔道では、あまり具体的な考察が加えられておらず、その結果、気合の効用が、実用的術技として認識されていない感が否めない。

 一方で、現代武道における剣道、また古流武術諸派では、気合=掛け声の効用について、歴史に裏打ちされた深い考察がなされている。

 たとえば戦前の天覧試合で活躍した昭和の大剣士・野間恒は、その著書である『剣道読本』の中で、以下のように掛け声の効用を記している。

1.自分自身の気分を励ます
2.自分自身の力を一箇所に集中せしめ、普通以上の力を出さしめる
3.相手に威力を感じさせる
4.相手の気の起こりを挫く
5.相手を迷わせる
6.相手を誘う
7.相手を苛立たせる
8.相手を驚かせる
9.勝を知らせる

 以上9つの効用は、1.以外はいずれも実用的な「技」であるといえるだろう。また2.の「自分自身の力を一箇所に集中せしめ、普通以上の力を出さしめる」という点については、ウェイトリフティングの際、掛け声の有無に伴う力の出具合の大小の比較などで、科学的にもその効用が認められていることは、すでに広く知られている。

 また、昭和の剣聖として知られた神道無念流の中山博道は、掛け声について以下のように述べている。

    「居合は発声とともに打ち切るものがあるが、通常は無声にてこれをなす。これは、
    腹中之声と言って斯道では大切な心得であるが、最初は何流に於いても発声を
    伴って練習し、刀に自分の打ちが乗ってきた時に初めて無声で練習することが順
    序としてはいい」(『中山博道 剣道口述集』堂本昭彦編著/スキージャーナル刊)

 ここで重要なのは、有声の気合から無声の気合へという階梯の武術的意義である。これを博道師は、「腹中之声」と表現しているわけだ。

 こうした掛け声の重要性は、徒手格闘でも同様である。

 たとえば柳生心眼流の伝書『柳生心眼流兵術甲冑柔小具足取中意位』には、「練習中ニテモ必ズ掛声ヲ為ス可シ」と述べ、特に初心者については有声の掛け声の重要性を指摘している。

 つまり、まず気合=掛け声とはひとつの術技であると認識した上で、初学のうちは気力を尽くした気・剣・体一致の有声の気合を心がけ、中級以上からは、位も念頭に置いた無声の気合を心がけることが大切である。


 ところで、ときおりWEB上の掲示板などで、「剣道や空手は気合といって無意味に声を出すが、ボクサーや総合の選手は打撃の時に声を出さないではないか!」などと、素人が底の浅い批判をしているのを目にする。

 ボクサーは無声の気合=瞬間的な吐気と共に、一連の打撃を加えている。総合の選手も、たとえばタックルの際、間合を一気に詰める瞬間など、ボクサー同様、瞬間的な吐気で無声の気合を入れている。

 ではなぜ有声でないか?

  まず第一にマウスピースをつけていると、発声がたいへんしづらい。これは、実際にマウスピースを咥えて試合や稽古をした者であればごぞんじの通りである。

 またなにより、勝口の理想形としての一打必倒、いわば彼我の攻防における「先」の一打を最重要視する日本武術と異なり、コンビネーションを重視する現代格闘技では、いちいち有声の気合を入れるような拍子(リズム)にはならない。そこでおのずから、気合は無声となるのではないかと、個人的に推察している。


 いずれにしても、平成の武人たるもの、気合=掛け声とは、武術・武道においては単なる景気づけなどではなく、実体をもった技であると理解した上で、日々の稽古に取り組むことが重要であろう。

 ときに、手裏剣術では気合をどう扱うか?

 これについては、いずれ項を改めて述べたいと思う。
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「武張らない」武人 | トップ | 武術家としての不見識~誤解... »
最近の画像もっと見る

あわせて読む