現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ジャンプ!(2)

2016-11-11 17:05:19 | 作品
 十月にはいって、最初の日曜日の朝。昨日までふっていた雨は、すっかりあがっていた。
 勇気が一階の食堂へおりていくと、珍しく秀樹にいさんが先に起きていた。もう朝食は食べ終わったらしく、大きなコップにたっぷりいれたミルクを飲みながら、コミックスを読んでいる。
「おはよう」
 勇気があいさつしても、にいさんはブスッとした顔をしていた。どうやら今朝は、不機嫌そうだ。さわらぬ神にたたりなしで、勇気は洗面所へ直行することにした。
 しばらくして、勇気はハブラシをくわえたまま、洗面所からブラブラ戻ってきた。
「1、9、4、1」
 にいさんが、コミックスから目をあげずにボソリといった。
「えっ?」
 勇気には、なんのことだかわからなかった。
「だから、鍵の番号は1941だって、いってるんだよ」
「なんの?」
「にぶいやつだなあ。おれの自転車のだよ」
「えーっ!」
「来年の三月までだぞ。おれ、受験で忙しいから、おまえに貸してやるっていってるんだよ。でも、ちょっとでもこわしたりしたら、ウェスタンラリアートだからな」
 勇気は、黙ってうなずいた。
でも、おさえようとしても、自然と顔がニコニコしちゃう。
 にいさんは、残っていたミルクを一気に飲み干すと、コミックスを小脇に抱えて立ち上がった。今日もこれから受験勉強に励むのだろう。
「サンキュー」
 勇気は、階段をあがっていくにいさんの背中に向かって、あわててお礼をいった。
「ばーか」
 にいさんはちょっと手をあげただけで、ふりかえらずに二階へあがっていってしまった。
(あにきったら、照れてるのかな)
と、勇気は思った。
 勇気は口をすすぐと、すぐに洗面所の外へ飛び出していった。そのまま食堂は素通りして、玄関へと急いで行く。
「あら、ユウちゃん、朝ごはんは?」
 うしろから、かあさんの声がしている。
「ううん、後で」
 ユウキはそういって、玄関に急いだ。今は、朝ごはんなどにかまっていられなかった。
 カーポートへ行って、自転車の黒いカバーをはずした。中からは、にいさんのモトクロス用自転車が姿を現した。
自転車の鍵の番号を、「1941」に合わせようとする。
(うーん!)
 気がはやっているので、なかなか番号が合わなくてもどかしかった。
「……、4、……、1と」
 ようやく鍵がはずれた。
 勇気は鍵とカバーを玄関に置くと、カーポートから飛び出した。家の前の歩道に出ると、勇気はすぐに自転車にまたがった。
 ゆっくりとペダルをふみはじめると、いかにも軽々と進んでいく。幅広のタイヤが道路にピタッとして、こぐ力を確実に伝えてくれる。
 まず家のまわりをグルッとまわって、軽く足ならしをすませた。それから、まっすぐに例の空き地へ向かった。いつも、和宏たちに置き去りにされているところだ。
 勇気は少しもためらわずに、自転車を空き地へつっこんでいった。
 昨日までの雨のせいか、土が水をふくんでいてペダルが重い。
 ザザザッ。
 自転車は、力強く雑草をなぎたおして進んでいく。草についていた水滴が、左右に大きくはじきとばされる。
 いよいよ、次の区画との段差にさしかかった。勇気の心臓は、さすがにドキドキしている。
 ジャンプ!
 着地のとき、すこしバランスをくずした。
 でも、なんとか足をつかずに、もちこたえられた。
「やったあ!」
 勇気は、大声でさけんでいた。そして、ハヤブサのように鋭く空を横切る自分の姿が、見えたような気がした。
(そうだ、「ツバサ」とよぼう)
 勇気は、こうして自分だけの名前を自転車につけた。
 その後も、勇気は空き地を走り回り、段差でジャンプを繰り返した。
 しばらく乗り回すうちに、もとから自分の物だったように「ツバサ」を自由にあやつられるようになっていた。
 家へ帰ってから、勇気は、「ツバサ」についた泥を、ぞうきんでていねいにぬぐい始めた。
すっかりはらペコだったけれど、ゆっくりとねんいりに「ツバサ」をふいていく。さらに、かわいたきれでよくみがいた。
 「ツバサ」は、すっかり、ピカピカになった。ようやく満足して、勇気はカバーをかけた。
 にいさんが怖いから、きれいに掃除をしたんじゃない。勇気にそうさせずにはいられなくするほどの魅力が、「ツバサ」にはあったのだ。

 その日の昼過ぎだった。
 ピンポーン。
 玄関のインターフォンがなった。
 いつものように、太一がよびにやってきたのだ。今日も、和宏たちはオグリ公園で「サイクルサッカー」をやるという。
「よお」
 すぐに出てきた勇気が、自分のではなく「ツバサ」に乗ったので、太一はすごくびっくりしていた。
「どうしたの? おにいさんにもらったの?」
 太一がたずねたので、
「うん、まあね」
と、にいさんから借りているだけだということは黙っていた。
 太一は、すごくうらやましそうな顔をして「ツバサ」をみつめている。
 勇気は、そんな太一が、少し気の毒になってきた。
 太一は、勇気と違って早生まれだった。だから、次の誕生日に買ってもらうとしても、まだ半年ちかくも待たなければならない。
 それに、太一はひとりっ子だ。勇気のように、にいさんから借りるわけにもいかなかった。
 オグリ公園には、すでに和宏たちが集まっていた。
「ユウ、中古でもやっぱりモトクロスはいいだろう」
 勇気が「ツバサ」に乗っているのを見て、和宏が馬鹿にするようにいうと、他のメンバーたちはいっせいに笑った。
 いつもの勇気なら、すぐに何かをいいかえすところだ。
 でも、今日はようやく「ツバサ」が手にはいった日なので、和宏のいやみもおおめにみることにした。
「これで、モトクロスじゃないのは、誰かさんだけだよな」
 哲也がそういったので、太一は顔を赤くしてうつむいてしまった。
 今日もみんなは、「サイクルサッカー」を始めた。試合が始まっても、太一はあいかわらず元気がなかった。やっぱり、自分だけモトクロス用自転車を持っていないことを、かなり気にしているらしい。
 でも、勇気は、そんな太一にかまっていられなかった。ようやく、モトクロス用自転車で「サイクルサッカー」をやれるのだ。今日こそは、和宏をやっつけてやりたかった。
 ゲームが始まった。勇気は、積極的にボールを奪いにいった。ゲームの主導権を取ろうとしたのだ。
 でも、そう簡単にはいかなかった。
 たしかに「ツバサ」は、和宏たちの自転車に少しもひけをとらなかった。いやむしろ、モトクロス用自転車としては、ランクが少し上のタイプなのだ。
 でも、かんじんの勇気が、まだ「ツバサ」をうまく乗りこなせていなかった。車輪やフレームの大きさは、今までの自転車とあまり変わらなかった。
 でも、ハンドルやギアの比率がぜんぜん違う。だから、まだうまくコントロールができないのだ。ボールをキックしたり、他の自転車とぶつかったりすると、まだどうしても大きくバランスをくずしてしまう。まだまだ、練習が足りなかった。
(猛練習して、早く上達しなくっちゃ)
 あっさりと和宏にボールを奪われてしまったとき、勇気はくちびるをかみながらそう思っていた。

 その日の帰りに、例の空き地に通りかかったとき、和宏がいつものように叫んだ。
「それ行け!」
 みんなわれさきにと、空き地へつっこんでいく。今日は、勇気も遅れずにみんなについていった。
 ジャンプ!
(やったあ!)
 他のメンバーに、負けずにうまく飛べた。
 でも、次の瞬間、ハッとしてうしろを振り返った。
一人だけ取り残されてしまった太一は、まだこちらをみつめている。いつかの勇気のようだ。うっかりして、太一のことを忘れていたのだ。
(太一のところへ戻ってやろうか?)
 勇気は迷ってしまって、その場にたちどまっていた。
「おーい、ユウ、早く来いよ」
 遠くから和宏がどなっていた。
「ああ」
 太一に悪いなと思いながらも、つい和宏たちの後を追ってしまっていた。
 少し行ってからもう一度振り返ると、もう太一の姿は見えなくなっていた。

 十月の最後の土曜日だった。
放課後に家へ帰ろうとしたとき、校門の前で和宏によびとめられた。いつもの他のメンバーも、もう集まっている。
「ユウ、明日、ハイキングランドへ行かないか?」
「ハイキングランド?」
「ああ」
 ハイキングランドは、勇気たちの家から五キロほどのところにある遊園地だった。
「今、こづかいがピンチなんだよな」
 勇気がそういうと、和宏はニヤッと笑いながら義政に向かっていった。
「おいっ」
「うん」
 義政は、ジャンパーのポケットから分厚いチケットの束を取り出した。
「すげえ!」
 義政のおとうさんが、知り合いからもらったとかで、ゆうに二十枚以上はある。
「あそこには、自転車のモトクロス場があるんだぜ」
 和宏は、得意そうにみんなに説明している。
 ハイキングランドへは、勇気も行ったことがある。山の斜面を利用した広大な敷地の遊園地だ。フィールドアスレチックやバーベキュー、それにいろいろな乗り物や施設が点在していた。特に、山のまわりをぐるりと一周する長距離のゴーカートと、山の頂上にあってすごくながめのよい観覧車が売り物になっていた。
 そこに、自転車のモトクロスレース場があったかどうかは、勇気の記憶にはなかった。もしかすると、最近になってできたのかもしれない。
 和宏は、ハイキングランドのパンフレットをひろげて、モトクロスレース場の位置をみんなにしめしている。
 そのとき、掃除当番だった太一が、一人だけ遅れてやってきた。
「太一、おまえも、ハイキングランドへモトクロスをやりに行かないか?」
 勇気が、すぐに声をかけた。
「馬鹿、太一はモトクロスを持ってないじゃん」
 和宏がいじわるくいった。
「あっ、そうか」
 勇気は、あわてて太一の顔を見た。
 太一は、少しうつむいて黙っていた。
「だいじょうぶだよ、レンタルもあるから」
 義政がとりなすようにいってくれたので、勇気は少しホッとした。
 和宏たちの太一への「仲間はずれ」は、その後も続いていた。
 でも、強力なライバルである勇気とは違って、和宏は太一にそれほど関心がないようだ。だから、勇気に対してのようには、「仲間はずれ」は徹底していなかった。
あれほど熱心だった「サイクルサッカー」も、いつのまにかやらなくなっていた。これは、勇気のモトクロス用自転車の腕前があがったせいもある。勇気を痛めつけられなければ、せっかくの「サイクルサッカー」も意味がないのだ。
 勇気たちは、また野球やサッカーをやるようになった。こんな時は、太一も他の子たちと同じようにプレーできるので、勇気はホッとしていた。
ただ、ときどき気まぐれに、例の空き地のところで太一を置き去りにすることがあった。
「キャッホー」
 歓声をあげながら、和宏を先頭に空き地に突っ込んでいく。そんなとき、勇気も、つい一緒に和宏たちについていってしまっていた。
太一は、いつも恨めしそうにみんなを見送っていた。勇気は、いつも太一にすまないと思うのだが、どうしても一緒にその場に残ることができなかった。そして、共犯者としての気持ちがあるせいか、和宏に対してやめるようにいうことさえできなくなっていた。そのことも、勇気を屈服させたようで、和宏はひそかに満足していたのかもしれない。

 ハイキングランドのモトクロス場は、一周が約八百メートル。赤茶けたがけにかこまれたコースで、段差や急なのぼりくだりが連続している。ところどころに、丸太でつくられた障害物や水たまりまでが用意されていた。
 ハイキングランドの入場料さえはらえば、このコースは無料で使えた。
 でも、安全のために、ヘルメットとひざあてを必ずつけなければならない。これらは、ここでも有料で借りられた。太一は、さらにモトクロス用自転車も借りることになった。
 車でついてきた義政のおとうさんは、みんなの荷物をあずかると、芝生の上にレジャーシートをしいて横になった。昼寝でもしながら、待っているもりなのだろう。
 慣れない水たまりや坂道、それにヘアピンカーブなどになやまされながら、勇気たちは練習を続けていた。
 その中で、和宏だけはけっこううまく乗りこなしている。どうやら、前にもこのコースへ来たことがあるらしい。
和宏は今日も、上下おそろいのジーンズで、ばっちりきめている。ジーンズの上着には、大きなバッチやワッペンをいくつもつけていた。
 オフロードはもちろん、モトクロス用自転車にも不慣れな太一は、でこぼこ道を走るだけでも大変だった。ほとんど十メートルごとに、足をついてしまっている。
 午前中の練習で、勇気はようやくあまり足をつけないでも一周まわれるようになってきた。他のみんなも、かなり慣れてきたようだ。太一も、まっすぐなところだけは、なんとか足をつかずに走れるようになっていた。
 家から持ってきたお弁当は、ハイキングランドの中央にある広々とした芝生の上で食べた。すっかり汗をかいた体に、吹いてくる風が気持ち良かった。いつもよりかなり激しい運動をしたので、みんなすごい食欲だ。勇気は、おにぎりを五つも食べたのに足りなくて、太一の分を少し分けてもらった。
 食べ終わったとき、和宏がみんなに提案した。
「昼っからは、レースをやろうぜ」
「レース?」
「うん、みんなで、同時にコースを走るんだ」
「いいな、やろう、やろう」
 和宏にはなんでもしたがう哲也が、すぐに賛成した。
「まだ、あぶなくないかな?」
 いつも慎重な義政は、首をかしげている。
「だいじょうぶだよ。でも、誰かさんだけは、見てるだけにしたほうがいいけどね」
 そう和宏がいったので、みんなは太一の方を振り返った。
「できるよ。ぼくもレースをやる」
 太一は、むきになっていいかえした。
「ほーら、太一だって、やるっていってるんだぜ」
 和宏がだめをおすようにいったので、もうだれも反対できなくなった。

 レースは、初めから勇気と和宏の一騎打ちだった。二人はみんなを大きく引き離して、障害を次々に突破していった。
 カーブや段差などでは、やはりモトクロス用自転車の腕前にまさる和宏が、リードしている。
 でも、勇気は、サッカーできたえた脚力にものをいわせて、直線コースでなんとか追いついていた。
 勇気がならびかけるたびに、和宏は横目でジロリとにらみつけてくる。勇気も負けずににらみかえした。
 二人は車体を接するようにして、最終コーナーを曲がっていった。
 あと五十メートル。勇気は「ツバサ」のペダルに、一段と力を込めた。
 しかし、残念ながら、和宏の自転車がわずかに前へでたところでゴールインした。
 二人はくたびれきって、しばらく話もできなかった。
「勝ったぞ」
 やっと和宏がいった。
「もう一回やろう」
 勇気もいいかえした。
「よーし」
 和宏は自転車から体をおこすと、勇気をにらみつけた。しばらく忘れていた勇気へのライバル意識が、完全によみがえってきたらしい。
 ようやく、他の仲間たちも、ゴールインしてきた。みんなも全力を出し切ったようで、ゴール地点でハアハアしている。
 ところが、全員がついてから五分以上たっても、太一だけはゴールに姿を現わさなかった。さすがに、みんなも心配になってきた。
「どうしたのかなあ?」
 義政は、太一が来るはずの方向を不安そうにながめていた。
でも、カーブのところに木がはえているので、見通しがよくない。
「ちぇっ、しょうがねえなあ」
 そういいながらも、和宏も心配そうだった。
「太一には、レースなんてまだ無理だったんだよ」
 早く二回目のレースを始めたい勇気が、イライラしながらいった。
「そういうなって」
 義政は勇気をなだめるようにいうと、太一を捜すためにゴールから後戻りしていった。和宏と他の
何人かも、後に続いていく。
「まったく、もう」
 勇気も、しかたなく自転車をこぎはじめた。
 ゴールから二百メートルほどのところで、自転車を押しながらとぼとぼ歩いてくる太一にようやく出会えた。体中泥だらけで、鼻血まで出している。義政がヘルメットをぬがしてやると、ひたいにもすり傷があって、血が少しこびりついていた。
 途中の段差のところで、ジャンプを失敗してころんでしまったのだった。
「いいかっこうだな」
 和宏がひやかすと、太一の目からはそれまでがまんしていた涙があふれはじめた。

 ハイキングランドの事務室で、太一が応急手当てをしてもらっている。骨折とかねんざとかはしていないので、すりむいた所をここで手当てしてもらえば大丈夫そうだった。
勇気たちは、ドアの外で太一の治療が終わるのを待っていた。
 ようやくドアが開いて、太一の顔がのぞいた。鼻には脱脂綿が詰められていて、額に大きなばんそうこうがはってある。
「今日は、これで終わりだな」
 太一に続いて事務室から出てきた善政のおとうさんが、みんなにいった。
「えーっ!」
「まだ時間あるよーっ」
 みんなから、いっせいに不満の声があがる。
「いや、おじさんは、太一くんを連れて帰らなきゃならないからな。今日は、みんなもこれでおしまいにしなさい」
 けっきょく、太一は善政のおとうさんの車に乗っていくことになった。みんなも、自分の自転車ですぐに帰らなければならない。
 勇気は、和宏に負けたままなのがくやしくってたまらなかった。和宏や他のメンバーも、レースをやりたくってうずうずしている。みんなは未練たっぷりに、のろのろとハイキングランドの出口へ向かった。
 出口の横の掲示版に、大きなポスターがはってあった。みんなは足を止めて、ぐるりと取り囲むようにしてポスターをながめた。
『第三回ハイキングランド杯ちびっ子モトクロス大会
日時 十一月二十二日(日) 午前十一時より
場所 ハイキングランド、モトクロスコース
予選  コース1周 上位二名が準決勝進出
準決勝 コース2周 上位二名が決勝進出
決勝  コース3周 一位から三位まで、トロフィーなど豪華賞品をさしあげます。
出場資格 小学校四年生から六年生まで。
参加費用 無料(入園料は必要)
申し込み 当日十時半まで、モトクロスコース事務所』
 ポスターには、かっこよくジャンプしているモトクロス選手の、大きな写真がのっていた。
「すげえ、かっこいいなあ」
 和宏が、真っ先にいった。
「うん、おれたちも出られるのかなあ。
 善政も興味をそそられたみたいだ。
「そうだな。もっと練習をすれば出られるかもしれない」
 最後に、勇気が自分に言い聞かせるように話した。

 帰り道で、勇気たちは自転車のペダルをこぎながら、モトクロス大会について相談をしていた。
 出場を希望しているのは、全部で八人。まだかなり余っていた善政の券は、希望者全員に十分にいきわたった。
 勇気はこの大会に備えて、明日から練習を開始することに決めた。もちろんお金がかかるから、ハイキングランドのモトクロスコースへ行くわけにはいかない。
 でも、公園でターンの練習をやれるし、例のあき地でジャンプもできる。それに脚力は、全速力で坂をのぼる練習でもつけられるだろう。
勇気は、今度の大会でなんとか上位に入賞して、和宏のはなをあかしてやりたかった。
 勇気が戻ってきたとき、太一は家の前で待ってくれていた。
「レース、どうだった?」
 太一が、小さな声でたずねた。そういえば、太一にはレースの結果をまだ伝えていない。
「車輪半分の差で二着」
 勇気は、ぶっきらぼうにこたえた。
「惜しかったね。一着は誰?」
「和宏」
「やっぱりね。カズちゃんはすごいや」
 太一は、いつもいじめられていることなど忘れたように、すなおに感心していた。
「もう一回やってりゃ、ぜったい勝てたんだなあ」
 勇気は、「ツバサ」を自転車置き場に止めると、カバーをかけた。

 翌朝、勇気が学校へ行こうと玄関をでると、外に「ツバサ」の自転車カバーがおちていた。
(風ではずれたのかな)
と、勇気は思った。
 しかし、……。
(ない!)
「ツバサ」がなくなっているのだ。
 勇気は、ハッとして急いで玄関に引き返した。
(やっぱり!)
 思ったとおり、「ツバサ」の鍵は、げたばこの上にのっていた。うっかりして、鍵をかけるのを忘れてしまったのだ。
 昨日は、レースに負けたうさばらしに、ずっとテレビゲームをやっていた。だから、ハイキングランドから帰ってからは、一歩も家を出ていない。どこかに「ツバサ」を置き忘れてきたことは、考えられなかった。
 勇気は、あわてて家のまわりを捜し始めた。
 ない。
 近くの道路も見てみた。
 やっぱりない。勇気は、学校へ行くどころではない気分に、なってしまっていた。
 そうはいっても、もちろん学校をさぼるわけにもいかない。勇気は、遅刻ぎりぎりに登校した。
 しかし、勇気の頭の中は、いぜんとして「ツバサ」のことでいっぱいだった。
(なくしちゃった)
なんて、とてもにいさんにはいえない。
(こわしたらウェスタンラリアートだ)
といっていたけれど、なくしたらどんな恐ろしいプロレスの技をかけられるのだろう。
 頭をかかえて考えこんでいる勇気のそばを、太一が通りかかった。今日も、大きなばんそうこうを額につけている。
 勇気は、そんな太一の顔を見てハッとした。
(そうだ。もしかしたら、太一なら何か知っているかもしれない)
 あの時、勇気が「ツバサ」を置いて家へ入るのを見ていたからだ。
「太一、『ツバサ』が見えないんだけど、知らないか?」
 太一だけには、この秘密の呼び名を教えてあった。
「ううん、知らないよ。どうしたの?」
 太一は、心配そうな顔をしていった。
「見当たらないんだよ。あの時、誰か来なかったか?」
「わからないなあ、すぐに家に帰っちゃったから」
 太一も、そう残念そうにいってくれた。

 その日の放課後、勇気は、掃除当番もそこそこに、家へ帰ろうとしていた。大急ぎで、「ツバサ」を捜さなければならなかった。今日中に見つからないと、秀樹にいさんに気づかれてしまうかもしれない。
 勇気が校門まで走っていくと、外で太一が待っていた。
「『ツバサ』を捜すんだろう?」
 太一は、ぼそっといった。捜すのを、一緒に手伝ってくれるというのだ。
 勇気は、太一の意外な申し入れにびっくりしたけれど、内心うれしかった。
 ふたりは、住宅地のすみずみまで、「ツバサ」を捜しまわった。
 自転車に乗っている子を見かけるたびに、勇気にはそれが「ツバサ」のように思えてならなかった。太一も、家のかげや草むらまで、一所懸命に捜してくれている。
 オグリ公園に通りかかったとき、熱心にレースの練習をしている和宏たちの姿を見かけた。
(そうだ。早く見つけないと、モトクロスレースの練習が遅れちゃう)
 今までは「ツバサ」を捜すのに夢中で、レースのことはすっかり忘れていた。今日から、猛練習を開始するはずだったのだ。
 五時になって、いつものように、『早く家へ帰りましょう』の放送が始まった。これがながれたあとは、外で遊んではいけないことになっている。
 いつのまにか、あたりはうす暗くなり始めていた。
「ぼく、もう帰らなくっちゃ」
 太一が、遠慮がちにいった。
「帰りたきゃ、かってに帰れよ」
 わざとぶっきらぼうにいったが、今まで一緒に捜してくれた太一に、心の中では感謝していた。
 太一は、さらに三十分以上も一緒に捜してから、家へ帰っていった。これでも、おかあさんから確実に大目玉をくうに違いない。

 勇気は、いつしか学校へ戻ってきていた。もう町内で捜すところはない。
 あたりは、すっかり暗くなっている。特に、校庭の続きにある自然観察林は、小さな谷になっているのでもうまっくらだ。住宅地の開発のときに、そこだけは自然のままに残されていた。
 もうこれ以上は捜せない。もしかすると、本物のどろぼうにやられてしまったのかもしれない。そうだとしたら、「ツバサ」は二度と見つけられやしない。
 とうとう勇気は、「ツバサ」がなくなったことを、かあさんに打ち明けることにした。にいさんにあやまるとしても、一人ではやはり恐ろしかった。かあさんにも、味方になって欲しかったのだ。
 しかし、そう心を決めても、なかなか足が前に進まない。にいさんが怖いだけでなく、不注意でなくしてしまった「ツバサ」にすまないと思う気持ちもあった。
 ようやく校庭のはずれまで来たとき、勇気ははっとひらめいてうしろを振り返った。
 黒々とした森。そして谷。
 勇気は、全速力で家へかけもどった。
「ユウちゃん、今までどこへ行ってたの?」
 案の定、かあさんはすっかりおかんむりだ。
 でも、勇気はひとこともこたえずに、階段下の物入れから懐中電灯を取り出した。
「勇気、何をしてるの?」
 大声でどなりはじめたかあさんのわきを、勇気はすばやく突破した。そして、全速力でまた家を飛び出していった。
 谷には、途中まで太い丸太で階段が造られていて、自然観察路になっている。勇気はまっくらな階段を、懐中電灯の明かりを頼りに、おっかなびっくり下へおりていった。
(あった!)
 予想どおりに、階段の終点ちかくの草むらに、「ツバサ」は隠されていた。へたくそな隠し方なので、草の感じからすぐにわかった。ほっといても、一週間もしないうちに、誰かが発見してくれただろう。そうすれば、にいさんの名前と住所が書いてあるから、無事に手元に戻ってきたはずだ。
 勇気は「ツバサ」のハンドルに手をかけて、草むらから引っ張り出した。すぐに、懐中電灯のあかりで、「ツバサ」をチェックしてみる。
 さいわい、どこもこわれていないようだ。
 そのとき、勇気は、懐中電灯の光にキラリと反射する物が、足もとにおちているのに気がついた。拾い上げてみると、金属製の丸いバッチだった。分厚いくちびるに、大きく突き出したまっかな舌。凝った文字で、「Rolling Stones」と書かれている。
 勇気には、このバッチに見覚えがあった。昨日、和宏が着ていたジーンズの上着に、同じ物がついていたのだ。
(あいつが犯人なのか?)
 でも、勇気には、和宏がなんで「ツバサ」を隠したりしたのかがわからなかった。和宏は自分のモトクロス用自転車を持っているし、こんないやがらせをしても意味がない。
 もしかすると、こんどのレースで勇気に負けるのを恐れて、練習のじゃまをしようとしたのかもしれない。
 勇気はこのことを和宏に確かめて、必ず決着をつけてやろうと、バッチをポケットに突っ込んだ。

「太一、昨日はサンキュー」
 翌朝、登校すると、真っ先に教室にいた太一のそばに駆け寄って、勇気は「ツバサ」が見つかったことを知らせた。
「いいよ。それより、どこにあったの?」
 太一は、いつものひとのいい笑顔をうかべていた。
「自然観察路だよ」
 勇気がいうと、
「えっ、ひどいなあ。誰がそんなことやったんだろう」
と、太一も自分のことのようにはらをたてている。
 しかし、勇気は、バッチのことだけは太一にも話さなかった。まだ和宏の仕業だと決まったわけではないし、自分自身で決着をつけたかった。
 そして、教室の反対側にいる和宏をにらみつけた。和宏は、学校へはあのジーンズの上着はきてこない。バッチやワッペンをつけてくるのが、禁止されていたからだ。
 でも、夕方遊ぶときには、最近はいつもあの上着をきていたはずだ。その時、あのバッチを和宏につきつけてやろうと思っていた。
(早く放課後にならないかなあ)
 勇気は、その時に、和宏をどう問い詰めようかと考えていた。

 その日の放課後、勇気は、さっそく太一と一緒に公園へでかけていった。
 先に来ていた和宏たちは、昨日と同じように、ターンやスタートダッシュの練習をやっていた。
「やあ、カズちゃん」
 勇気は、すぐに和宏に声をかけてみた。そして、わざと「ツバサ」で和宏の行く手をふさいでみた。
 しかし、勇気の予想に反して、和宏は「ツバサ」を見ても表情ひとつ変えなかった。
(このバッチ、おまえのじゃないのか?)
 のどまででかかったことばを、勇気はあわててのみこんだ。和宏が、例のジーンズの上着を着ていなかったからだ。今日は、ネイビーブルーのスタジャンだった。
 これじゃあ、バッチをつきつけても、
「おれのじゃない」
と、つっぱねられそうだった。
 勇気は、和宏たちとモトクロスレースの練習を始めた。
 でも、なかなか気分が集中できない。どうしても、和宏を見るたびに「ツバサ」とバッチのことが、頭にうかんでしまうのだ。
 『早く家へ帰りましょう』の放送がながれると、待ちかねたように練習をうちきって太一といっしょに家へ帰った。
 和宏ともう何人かは、まだねばって練習を続けていた。

 次の日から、勇気は和宏たちと離れて、モトクロスレースの練習を始めた。「ツバサ」とバッチの件が決着つくまでは、和宏と一緒にいたくなかった。
 みんなはオグリ公園や例の空き地で練習しているので、わざわざ遠くのカタクリ公園まででかけていった。
 練習には、いつも太一がつきあってくれた。
 勇気がジャンプやターンをするのを、太一はそばで熱心に見ていた。ときどき、「ツバサ」を貸して欲しそうな顔をしているのが、勇気にもわかった。
 とうとう、勇気は太一に声をかけた。
「太一、おれ、ちょっと休憩するから、そのあいだ、『ツバサ』に乗ってみないか?」
「うん、いいの?」
 太一はすなおに喜ぶと、すぐに「ツバサ」にまたがった。
 それからは、二人は交互に自転車を代えて、練習をするようになった。
 勇気も、太一が「ツバサ」で練習している間、ただ見ているわけにはいかなかった。そんなことでは、とてもレース当日に和宏を打ち負かすことなどできはしない。
 太一の自転車で、勇気はスタートダッシュやサドルから腰をうかしてペダルをこぐ練習をしていた。これなら、子ども用自転車でも、けっこうトレーニングになる。
 「ツバサ」では、コンクリート製の幅の広いすべり台でターンをしたり、階段でジャンプの練習をしたりしていた。

 日ごとに「ツバサ」を自由にあつかえるようになったことが感じられて、勇気は満足していた。
 太一も、ターンなどはすぐにうまくなった。
 でも、ジャンプだけはなかなか上達しなかった。何度やっても、着地でバランスをくずしてしまう。ジャンプの瞬間に、怖がって腰がひけているからだ。
 だけど、あきらめずに、何度も何度もジャンプの練習を繰り返していた。
 太一が毎日暗くなるまで、弱音をはかずにがんばっているのを見て、勇気はびっくりしてしまった。こんなにガッツのあるやつだとは思っていなかった。
「太一、おまえも、明日の大会に出てみないか?」
 大会の前日になって、とうとう勇気はそうたずねてみた。もうそのときには、太一はなんとかジャンプもこなせるようになっていた。
「えーっ。でも、ぼく、へただからなあ」
「そんなことないよ。だいぶうまくなったじゃない」
「そうかなあ」
 太一は、うれしそうにニコニコした。
「だいじょうぶだよ。おまえって、意外にガッツがあるんだよなあ」
 思いがけず勇気にほめられたので、太一はすっかりてれていた。
 その晩、勇気は義政に電話をして、太一の分の招待券を確保してやった。

 レースの当日がきた。
出かけようとした勇気に、秀樹にいさんがうらやましそうに声をかけた。
「小学生のガキどもはいいなあ、のんびり遊んでられて」
「おにいちゃんも一緒に来る? レースは、小学生しか出られないけど」
 いつもなら、「ガキ」なんていわれたらけんかになるところだ。
 でも、「ツバサ」の持ち主を怒らせて取り上げられたらまずいので、せいいっぱいあいそよくしていた。
「バーカ。受験戦士には、そんなひまはないの。でも、おれの自転車で出るんだから、入賞したら賞品は半分よこせよ」
「OK!」
 予選でさえ突破できるかどうかもわからないのに、調子よく返事をしておいた。
 今日もオグリ公園に参加者全員が集合して、ハイキングランドへ出発する予定だ。
 義政のおとうさんが来られないので、勇気のとうさんがつきそいをしてくれることになっていた。勇気はとうさんを待ちきれずに、「ツバサ」に乗って先に家を出た。
 オグリ公園で和宏を見たとき、おもわずハッとしてしまった。今日は、例のジーンズの上着を着ていたからだ。
そして、あの「ローリングストーンズ」のバッチがあったところには、別のワッペンがついていた。
 やっぱり、あれは和宏のバッチだったのだ。勇気は、すぐにバッチと「ツバサ」の件を、和宏に確かめようと思った。
 でも、都合の悪いことに、ちょうどとうさんがやってきた。「ツバサ」が行方不明になったことは、にいさんはもちろん、とうさんやかあさんにも秘密にしてあった。
 勇気は、レースが終わってから、必ず和宏と決着をつけてやろうと思った。

 ハイキングランドの駐車場には、すでにたくさんの車が来ていた。地元だけでなく、他の県のナンバーの車も多い。その中には、ちびっこモトクロスレースに参加する人たちも、大勢含まれていた。
 車からおろした自転車で足ならしをしたり、着替えをしたりしている子どもたち。それに、つきそいのおとなたちで、あたりはごったがえしていた。
 勇気は、他の出場者たちのスタイルが本格的なのに、驚かされていた。原色の上下つなぎのウェアに、きちんとひざあてやひじあてをしている。もちろん、ヘルメットも自分専用だ。
「ひぇーっ。みんな、かっこいいな」
 義政が、グループ全員の気持ちを代表するようにいった。
「ちぇっ、かっこだけだよ」
 和宏が、はきすてるようにいった。
 でも、その顔はすっかりこわばっている。
 みんなは、勇気のとうさんの車のかげで、こそこそとジャージに着がえはじめた。
 勇気は、服をぬいだ和宏の体を見てびっくりしてしまった。腕や背中のあちこちが、あざだらけだったからだ。大会に備えて、よっぽど猛練習をしたのに違いない。
 レースの参加者は、百人以上もいた。予選は十六レースあるから、一レースあたり、六、七人が出場することになる。その中で、上位二名以内に入らなければ、準決勝へ進めないのだ。
 勇気の出場する組は、うしろから三番目。和宏と一緒だ。太一は、最終組だった。

 勇気たちのグループが、スタートラインにならんだ。出走する選手は七名。勇気は列のちょうどまんなか、和宏は左はしにいる。
 すでにレースに出た仲間たちでは、義政の六着が最高だった。あとは全員そろってビリになってしまっていた。やはり、他の出場者たちとは、スタイルだけでなく、実力にもかなりの差があるようだ。
 勇気は、もう上位入賞の夢はすてていた。
 でも、なんとか予選だけでも突破したかった。
 勇気が考えている作戦は、思いきりスタートダッシュをかけることだ。コースが狭いので、先手必勝だ。後はなんとかねばりきって、予選通過の二着までにはいる。それが無理なら、せめて和宏より先にゴールインしたかった。
 バーン。
スタートのピストルがなった。勇気は、作戦どおりに全力でダッシュしていった。
 ところが、ねらいとは反対に、あっというまにビリになってしまっていた。
 他の選手たちは軽々とペダルをこいで、すごいスピードで第一カーブへ突っ込んでいく。
 カーブでは、車体を内側にたおして巧みに曲がっていった。土ぼこりにまじって小石がはねあがり、うしろからいく勇気のヘルメットや「ツバサ」の車体にパチパチとあたる。
 勇気はなんとか先行集団から離されないよう、必死に追いかけていた。
 前方に、和宏の赤いウェアがちらりと見えた。二、三番手で善戦している。猛練習の成果が出ているようだ。
 勇気は「ツバサ」のバランスを取るのにせいいっぱいで、なかなか前との距離をつめられなかった。
 直線でせっかく差を縮めても、カーブで前をふさがれて追い抜けない。ジャンプでは、勇気が一番スピードをロスして、逆に差をつけられてしまった。どうも勇気はジャンプを跳び過ぎているようなのだ。他の選手たちは、ジャンプを最小限にして、すぐに地面について加速している。
 レースは、いよいよ最後のヘアピンカーブにさしかかった。和宏は、いぜん三位につけている。
 先頭グループが一団でコーナーにかかったとき、和宏は赤ヘルメットの選手を外側から抜こうとした。
 と、そのとき、赤ヘルメットの選手が、抜かせまいとして外側にふくらんできた。
 和宏はそれをうまく避けられずに、もろに接触してしまった。
 赤ヘルメットの選手は、なんとか体勢を立て直した。
でも、和宏はカーブを曲がりきれずに、コースの外へ飛び出していった。
 そこには、大きな水たまりが。
和宏は、水たまりに頭から突っ込んでしまった。
 勇気がヘアピンカーブを曲がるとき、けんめいに自転車を立て直している和宏がチラリと見えた。
 けっきょく勇気は、ゴール前でへばった一人をやっと追い抜いて五着になった。仲間の中では、いちおう最高の成績だ。
 勇気は「ツバサ」のハンドルの上にかぶさるようにして、ハアハアと荒い息をはいていた。ようやく顔をあげたとき、観衆のうしろからとうさんが笑顔でVサインをおくっているのが見えた。
 和宏は、一人だけ大きく遅れてゴールインしてきた。全身泥だらけになっている。ヘルメットを脱ぐと、額のちょうどまんなかあたりで、くっきりとしまもようになっていた。
 和宏は、ゴール地点のそばでしゃがみこんでしまった。かたわらには、愛用の自転車が倒れたままになっている。よっぽど疲れきってしまったらしい。
 勇気は、転倒にもめげずに最後まで完走した和宏のガッツに感心していた。自分だったら、あそこで走るのをやめていたかもしれない。
 太一の出場する最終組のスタートが、ちかづいてきた。勇気は「ツバサ」からおりて、スタート地点に向かっていった。
 かっこいいウェアを着ている選手たちの中で、太一だけは青い普通のジャージ姿だ。どう見ても、いちばん弱そうにみえる。
「太一、スタートダッシュだぞ」
 思わず大声を出してしまっていた。
 太一は、勇気のほうを見てぎこちなく手をあげた。すごく緊張しているのが、ここからでもわかる。
「落ち着いていけ」
 両手でメガホンを作ってもう一度叫んだ。
「太一、がんばれよ」
 隣から、和宏の声がした。いつのまにか、勇気のそばにやってきていたのだ。善政や他の仲間たちも集まってくる。
「がんばれ」
「太一、ファイト」
 みんながあまり大きな声で叫んでいたので、他の観衆たちはこちらを振り返って笑っていた。太一も、ようやく少し照れたような笑顔をうかべた。
 その時、勇気がウェアのポケットに手を突っ込むと、指先に何かがふれた。
 バッチだ。自然観察路で拾った例の和宏のバッチだった。
 勇気は、隣に立っている和宏の横顔をみつめた。和宏の顔は、泥だらけのままだった。ところどころ血がにじんでいる。
 勇気は、「ツバサ」とバッチのことを、今確かめようかと思った。
 でも、みんなといっしょに、和宏がけんめいに太一を応援しているのを見ていたら、さっき考えた文句がうまくいえなくなってしまった。
 勇気は、そっとバッチをポケットに戻した。
 バーン。
 ピストルの合図と同時に、七台のモトクロス用自転車が、いっせいにスタートした。激しい先頭争いが行われている。
太一は、早くも集団から遅れ始めている。
 最初の段差にさしかかった。
選手たちは、次々にジャンプしていく。
「ジャーンプ!」
 太一も、勇気や和宏たちの声援を背中にうけて、大きく鮮やかにジャンプした。

ジャンプ!
クリエーター情報なし
平野 厚
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