現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

瀬田貞二「坪田譲治」子どもと文学所収

2016-12-28 11:12:28 | 参考文献
 児童文学研究者(トールキンの「指輪物語」などの翻訳者でもあります)である瀬田だけに、いぬいとみこの「小川未明」(その記事を参照してください)や松井直の「浜田広介」(その記事を参照してください)と比較すると、ずっとバランスの取れた批評になっています。
 譲治の自選集「サバクの虹」を取り上げて、その中の作品を、「大人のための小説」、「子どものための小説」、「昔語り」、「夢語り」に分類して論じています。
 瀬田は、「大人のための小説」を文学としては一番高く評価していますが、その作品に常に「死」のイメージがつきまとうことから児童文学には不向きとしています。
 また、「子どものための小説」は、「生きた子どもを作品に描き出した」と評価しつつも、これにもまだ
「死」や「不安」といった負のイメージがつきまとっていると否定的に評価しています。
 「昔語り」や「夢語り」については、観念的すぎると簡単に切り捨てています。
 そして、結論として、「譲治は、大人のための作家であったと思いますが、子どものためには、(中略)ふさわしいと思われません。譲治が、大人のための小説の力量を児童文学の世界に持ちこんでくれたことは、ありがたいことでしたが、方向をとりちがえて、「生活童話」(注:子どもの日常生活を写実的な手法で描いた作品)という変則なタイプを以後に置きみやげにしてしまいました。譲治の文学のとるべきところ、すてるべきところをよく見さだめて進まなければならないのが、今後の子どもの文学の仕事です。」と、述べています。
 ここで、瀬田が「とるべきところ」と言っているのは、「生きた子どもを作品に描き出した」ことと思われます。
 これは、未明たちの作りだしたそれまでの子ども像が観念的であったことに対する比較として言っているのですが、彼ら現代児童文学者のいう「生きた子ども」もまた観念にすぎないと、1980年に柄谷行人に「児童の発見」(「日本近代文学の起源」所収(その記事を参照してください))の中で批判されました。
 また、「すてるべきところ」というのは、「死」、「不安」といった負のイメージのことでしょうが、彼らの「おもしろく、はっきりわかりやすく」という主張に縛られすぎたたために、現代児童文学(定義は他の記事を参照してください)は、こうした負のイメージ(その他に、離婚や非行など)を作品には書かないというタブーが出来上がってしまいました(これらのタブーが破られるのは、やはり1980年前後です。例えば、那須正幹の「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください))。
 
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