現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

川勝泰介「児童文学研究の境界」日本児童文学学会第51回研究大会シンポジウム資料

2017-09-25 10:23:07 | 参考文献
 児童文学研究の対象範囲と現状の課題についてまとめてあります。
 児童文学の範囲について、以下の文献における定義を紹介しています。
・浜野卓也・原昌編「児童文学概論」
・中川正文編「児童文学を学ぶ人のために」
・関口康義編「アプローチ 児童文学」
 また、児童文学研究の範囲については、どちらも児童文学学会編の「児童文学研究必携」と「児童文学研究の現代史」によるものを紹介しています。
 そして、日本児童文学学会の課題として、会員数の減少とそれに伴う「児童文学研究」の衰退をあげ、多様化する研究への対応の必要性を提言しています。
 文末に添付された最近の学会の研究大会の発表テーマは、非常に多岐にわたっていて、会員が減少しているにもかかわらずそれぞれの研究分野が多様化していることがわかります。
 私は2012年4月に学会に入会したのですが、「現代日本児童文学」を研究している人がほとんどいないことと、会員それぞれの研究テーマが細分化していることには驚かされました。
 このように各自の研究テーマが違うので、発表(研究大会や東京例会において)に対して、聴衆の関心や理解度が低く、議論が活発ではありません(おかげで私は毎回質問や発言ができます)。
 さらに言えば、「児童文学」に対する共通理解があるかさえ疑わしく感じています。
 私は宮沢賢治学会の会員でもあるのですが、そちらは研究対象が狭いので、発表や質疑はもっと活発で、少なくとも賢治の代表作や主な研究についてはみんなが理解しているという共通のバックボーンがあります(前に合同研究会をした詩の四季派学会はさらに対象が狭くて会員も少ないので、会員同士がお互いの研究分野をよく理解し合っているようです)。
 個人の関心が多様化している現代において、日本児童文学学会のような広汎な分野を対象とする学会を運営することは難しいでしょうが、もっとインターネットやSNSを活用して、会員相互のコミュニケーションをはかる必要があるのではないかと思いました。
 現状では、個々の会員が切り離されて孤立化しているように思われました。

児童文化と学校外教育の戦中戦後 (叢書 児童文化の歴史II) (叢書児童文化の歴史)
クリエーター情報なし
港の人
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ときありえ「クラスメイト」

2017-09-25 10:17:46 | 作品論
 五年生の女の子が、おとうさんにもらった外国製のおしゃれなノートに、日記のようにクラスメイトのことを書いていく形でまとめられた作品です。

「森本えみちゃん」
 宮川健郎「児童文学 新しい潮流」(1997年)(その記事を参照してください)に、この章が転載されています。
 主人公と一番の親友の森本えみちゃんとの、学校でもらった蚕の分配方法における、ちょっとした仲たがいと仲直り(主人公の心の中だけで行われた、言ってみれば独り相撲です)を、徹底して主人公の内面を語る手法で鮮やかに描いています。
 主人公の心の動きを、一人称の語りだけで読者に納得させる作者の腕前は相当なものです。
 
「坂内マリア・マリセラちゃん」
 クラスでただ一人の外国系の友だちと、家族で行った海辺のキャンプ場で出会うお話です。
 キャンプや生理(そのころは、こういうのをあっけらかんとを書くと、「女性差別に負けない教育を受けている」女の子とアピールできたのかもしれません)の話は月並みなのですが、ねんざしてキャンプに来られなくなった自分の兄とからめて、非行によって今は矯正施設にいる兄へのマリセラちゃんの思いに対する主人公の共感を描いた部分は好感が持てました。

「いろんな女の子たち」
 クラスの女の子全員の人間関係を、いかにも女の子が書いているという感じで描いて見せています。
 これからの章の伏線でもあるのですが、これはもう女の子だけの世界と言う感じで、作者も出版社も男の子読者のことはまったく眼中にないようです。
 他の記事にも書きましたが、この本が出てから数年後、ある児童文学関係の飲み会で、「本を読まない男の子のことなんか、わざわざ考えて本は作らない」と豪語する女性編集者に出会って驚愕したのですが、こうして「児童文学」は男の子(特に高学年の)からは無縁の世界になっていきます。

「橘ゆりちゃん」
 学年委員選挙に立候補することになったクラスのリーダー的な女の子と、選挙運動を手伝った主人公たちを描いています。
 いつもの仲良しグループではなく、一つの目的を持つことによって、女の子たちの間にいろいろな軋轢が生じることを描こうとしているのですが、作者の持ち味であるユーモアやいかにも女の子っぽい語りが生かされませんでした。

「根岸加津ちゃん」
 今まで目立たなかった女の子が、些細なことで目立ってしまい、それがきっかけでクラスの女の子の中ではずされるようになった事件の顛末を描いています。
 取り立てて大きな理由がないのにはずされる子が出てくる様子はうまく描けているのですが、担任や親が介入してくる結末はいかがなものでしょうか。

「片桐レイちゃん」
 番外と言うか、クラスメイトではなく、昔通っていた学童で問題児だった子と再会する話です。
 はっきりいって、このエピソードは不要なので、おそらくクラスの子だけではネタ切れだったのでしょう。

「葦川園子ちゃん」
 一家が、クリスチャンで、自然食品に凝っていて、途中で新興宗教に入信して、母親は癌で死んでしまうという、かなり無茶苦茶な設定な女の子です。
 もうこのあたりになると、作者のネタ切れが顕著になっていて、強引なお話になっています。

 全体を通して、いろいろなクラスメイトを日記調で書きながら、実は主人公の岡本なづかを描いていくという、作者のねらいは分かるのですが、はじめのころは些細な身の回りのエピソードで書き方とマッチしていて良かったのに、次第に普通のクラスの様子ではネタ切れ(そのためにかえって大きな事件(いじめや非行や母親の死)を持ち出しています)になったようで、尻すぼみの感は強いです。


クラスメイト (創作のとびら)
クリエーター情報なし
文溪堂



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薫くみこ「ちかちゃんのはじめてだらけ」

2017-09-25 08:18:41 | 作品論
 二年生のちかちゃんが、生まれて初めて体験することばかりを集めた短編集です。
 筒井頼子「はじめてのおつかい」(1977年)(その記事を参照してください)の成功以来、この種の作品は幼年文学や絵本の定番になっています。
 以下の三篇が入っています。
「はじめての美容院」
 もうすぐ八歳になるちかちゃんは、おかあさんからもらう誕生プレゼントの代わりに、初めて美容院へ行かせてもらいます。
 今までは、おかあさんに電気バリカンで切ってもらっていたのです。
 美容院にはおしゃれな美容師さんたちがいてやさしくしてくれるので、まるでおひめさまにでもなったような気分です。
 初めての寝たままやるシャンプーがあまりに気持ちが良かったので、おねえちゃんの忠告(前髪を切る時は寝てはだめ)を忘れて寝てしまいます。
 案の定、前髪をすごく短く切られておでこが丸出しです。
 そこには、おねえちゃんとおそろいの極太毛虫みたいなまゆ毛が丸見えです。
 クラスの男の子たちに笑われるのを恐れたちかちゃんは、自分でまゆ毛を細くしようとして、あやまって片方のまゆ毛をそり落としてしまいます。
 学校へ行くのが嫌で海へ行ったちかちゃんを、いつもは喧嘩するおねえちゃんがナイスアイデアで救ってくれます。
 全体にエンターテインメント色の濃いドタバタ調なのですが、作者が主人公を見る目がおかあさんやおねえちゃんを通して優しく行き届いていて、読み味を良くしています。

「はじめての歯医者さん」
 「児童文学 新しい潮流」(1997年)(その記事を参照してください)に、編者の宮川健郎によって転載されています。
 虫歯が一つもないことを自慢するクラスメイトの女の子(あまり主人公とは仲が良くないようです)と、それに張り合う主人公の言い争いからお話が始まります。
 そこに、虫歯がある主人公の仲良しの女の子や、サイダー瓶のふたを歯であけられると豪語するゴリラ似の男の子が、話に絡んできます。
 ひょんなことから、歯による瓶のふた開けを男の子に実演させたために、ふたの代わりに男の子の銀歯がとれてしまします。
 そうして、主人公は、男の子と仲良しの女の子と一緒に、はじめての歯医者さんへ行くことになるのです。
 歯医者さん慣れしている二人に比べて、主人公は、歯医者さんでははじめてのことばかりなので、びっくりしたりびびったりの連続です。
 主人公が、仲良しの女の子だけでなく、ゴリラのように思っていた男の子の良さにも気づくラストは、とても読み味がいいです。

「はじめての「すき」」
 ちかちゃんが「かっこいいな」と思っているおねえちゃんと同じクラスの六年生の男の子の謎を、仲良しの女の子と追及していくお話です。
 怪しげな古本屋のおじいさんなどが絡んで、他の短編と同じようにストーリーはどんどん展開していくのですが、肝心の「すき」からはだんだん離れて行ってしまい、残念な終わりかたでした。
 この話では、てっきり前の二話に出てくるゴリラ似の吉岡ゆうたくんのことを好きになるのだろうと期待して読んだのですが、「すき」の対象が今までまったく登場していなかった六年生の平凡なイケメン(変な言い方ですが)の男の子なので、がっかりしました。
 多くの読者が私と同じ期待をしていたのではないかと思うと、「作者は、もっと自分のお話や登場人物に責任を持ってくれよな」と言いたい気分です。

ちかちゃんのはじめてだらけ (シリーズ本のチカラ)
クリエーター情報なし
日本標準
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