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この世の

2009-09-25 11:18:15 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)
※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって、多数の死者が出た。
 また、戦後は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、天皇制を維持するのに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇も731についての情報は察知していたに違いない。だから、敗戦直前のソ連が参戦するや否や、いち早く証拠隠滅をはかり、逃亡した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にとってその責任が問われることになるから。アメリカと密約し、国民の前には戦後731の問題が公表されなかった。密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていない。(1995年現在)。現在の政府の見解は私には分からない。ただ今問い合わせ中!
 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
ロ号棟の中(T.K証言)
  ロ号棟マルタ小屋こそ秘密の極点であり、これへの出入りは厳重を極めた。もちろん内部の写真は禁じられていたし、大体731部隊へ入るには、身分証明書を衛兵所に出さねばならないが、ロ号棟へ入るには、写真づきの特別証明書を警備班に提示しなければならなかった。
 私はもちろん、予防注射を受けて細菌製造にかかっていたのだが、免疫にならないうちに、乳鉢攪拌か何かの時に生菌を吸収してしまい、自らチブス菌に冒されてしまったことがあった。40度の高い熱が1週間続き、意識不明に陥ってしまった。気が付いたときは、南棟療養所のベッドの上にいた。1ヶ月ほど経て、原隊に戻ってみると、南方へ防疫給水部員として派遣を命じられた。しかし、有田少佐がまだ病み上がりで、南方派遣に耐えられないと上層部にかけ合ってくれて、行かないですんだ。
 もし、あのまま命令通り南方に派遣されていたら、再び帰ってくることはできなかったと思う。
 あの時、南方の防疫給水部に派遣された兵士はすべて戦死している。
 発疹チブスワクチンの大量生産の厳命が下りたのは、昭和20年3月頃であったと思う。軍属の細君たちが、24,5人も駆り出されて、梱包、皿洗い、レッテル貼りに使われた。各部隊からの請求はひっきりなしで、私は1ヶ月に2度くらいの率で、ワクチンを荷造りし、少年隊にかつがせて各部隊を廻り、用法、免疫の発熱の処理など、こまごまとした指導をして歩いた。
 私は、戦争がいよいよ最後の段階を迎えていることを察知した。日ソ戦争間近しを読み取った。戦闘状態に入れば不潔になる。それに備えて軍は予防注射を急いでいたのであった。(明日に続く)

※ロ号棟の特設監獄(マルタ小屋)に入るのが厳しかったことが分かる。731部隊とは、日本最精鋭の関東軍の極秘部隊であり世界最大規模の細菌戦部隊で、中で人体実験が行なわれ細菌兵器・生物兵器の開発が進められていたのだから。
 細菌戦の実施研究をもっぱらとする731は、部隊の性格上、毎年多数の伝染病患者を出していた。 ハルピン市・浜江(ひんこう)駅付近に通称「南棟」と呼ばれた病院があった。そこは731の専属の病院であった。伝染病に罹患した隊員はここで療養した。
 余談になるが、1945年の部隊の撤退の時にはここに収容されていた40人余りの日本人隊員は、軍医の指示によって、散薬が配られた。
 【「これを飲んで・・・ぐっすり眠るようにね」。看護婦たちは1人1人の「保菌者」に声をかけた。散薬は青酸カリであった。】(「悪魔」と「人」の間】(下里正樹著:日本機関紙出版センター)
 撤退時、保菌者で列車に乗ることが出来なかった者も、マルタ全員も殺された。
 また、敗戦前に予防接種を急いでいたということは、中国で大規模な細菌戦を実行しようとしていたのではないか?
 南方の防疫給水部とはシンガポールにあった。(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

陶玉如(女、66歳)の証言

1937年の冬に、夜が明けたばかりの頃、私と伯父といとこの娘と夫の兄の王家全との4人で、一緒に米などの品物をかついで難民区まで行くつもりでした。高家酒館(今の沈挙人巷)まで来たら、日本軍の飛行機が爆弾を落とし、伯父といとこの娘と夫の兄はみんな爆死してしまい、爆弾の破片が1つ私の頭に飛んできて鮮血がほとばしりましたが、やがて金陵女子大学のヴォートリンさんに鼓楼医院へ連れて行かれて直してもらい、12日して帰って来ました。今私は頭のてっぺんに深い傷が1つあり、しょっちゅう激痛が走ります。その時爆死した人はたくさんで、ある人の頭は破裂してぐしゃぐしゃになり、ある人の太ももはちぎれてすっ飛んでいました。難民区で、夫が日本軍に捕まって行き苦役をさせられましたが、後に放たれて戻って来ました。(王瑞屏と魏福仲が記録)

 
※日本軍は中国の諸都市を空爆していた。アメリカ軍による日本に対しての空襲の悲惨さはよく耳にするが、中国では日本軍による空襲で多くの人々が亡くなっていた。また、中国人をクーリーとして苦役に従事させていたことも見逃せない!!(ノブ)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

武器をつくったり

売ったりしない世界を。


Imagine,

A world that doesn't

make or sell weapons.


紛争が続くアフリカでは、子どもたちまで武器を持ち、命を落としています。
その武器はヨーロッパやアメリカから売りつけられています。
アフリカの私たちは、殺しあう必要もないのに買わされているのです。
 だから、9条はアフリカにこそ必要だと思います。
9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ち込ませないようにできるのです。(ケニア/男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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