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国家犯罪!731から福島まで!!

2015-06-28 09:10:57 | Weblog

斉藤美夫関東憲兵隊司令部警務部長(特移扱担当の最高幹部 ※特移扱(とくいあつかい)・・・731の人体実験の材料?としておくること)1956年の書き足しには次のようにある。
「押送された人員の中で30名はハルビンで下車させられ、石井部隊の細菌化学生体実験に供せられた。孫呉に下車させられた押送人員60名のほうは、習志野学校(ガス部隊)と石井部隊の協同による毒ガス弾効能実験に当てられ、その特別演習に供せられた、ということを後に白濱大尉の事後報告によって知った、と付け加えている。」

NPO法人 731資料センター会報10号より

毒ガス兵器製造でたくさんの被害者が出るのだから、使用して毒ガスにさらされた人はいかに苦しむ事か?日本人なら国の補償も出たが、中国の被害者は誰が補償する?被害者は何万人?何十万?戦後も苦しみながら、人生は台無しだ!!
大久野島(毒ガス)1



中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか?
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」



・憲法9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



歴史への反省の対比 日本VSドイツ (『中国人民抗日戦争並びに世界反ファシズム戦争勝利70周年を記念』より)

1、政府の態度
侵略を否定vs歴史に直面
●日本の国内には侵略戦争の責任を認めようとしない政治勢力が始終存在している。特に安倍晋三首相は2012年に首相に再任してから、「侵略無定義」論や「戦犯英霊」論などのような歴史を美化し歪曲する言行を絶えず行ってきた。

○第二次世界大戦の終結以来、ドイツの多くの大統領や首相はいずれも、かつて異なる場面でドイツ人民を代表し、反省や謝罪、懺悔を行ってきた。1970年、当時のドイツ連邦政府のブラント首相はポーランド・ワルシャワのユダヤ人殉難者記念碑の前で跪いた。

2、律法方面
曖昧な態度vs 厳格な立法
●1953年、日本政府は『軍人恩給法』を再実施し、戦犯と非戦犯に同様の待遇を与え、獄中で死亡した戦犯には『公務殉職』したと定めている。

○ドイツでは、ナチスの犯罪行為を支持したり否定したりする言論を発表するのは極めて重大な違法行為にあたる。『反ナチスと反犯罪法』では、いかなる形式によるナチス思想の宣伝を禁止し、ナチスのシンボルマークの使用を禁止すると規定している。

3、歴史教育
極力回避vs正しい認識
●第二次世界大戦の終結から今に至るまで、日本は戦争で日本の受けた損失について強調し続けてきたが、加害者としてアジア諸国にもたらした傷害については極力避けてきた。

○政府の指導者は戦後、隣国との関係を積極的に修復しており、その第一歩がつまり戦争賠償を積極的に行うことだった。
ドイツの各州では教育大綱において、歴史の授業で学生に「ナチスと人種の大虐殺」の内容を必ず講義し、また収容所や記念館の見学を重視せねばならないと規定している。

4、戦争賠償
誠意不足vs積極的な責任
●日本に最もひどく侵略された東アジアの隣国に対し、日本は基本的な尊重や誠意に欠けている。1995年から、日本の裁判所は中国民間の対日賠償請求訴訟を30回近く審理してきたが、中国から来た戦争の被害者は本当の勝訴を未だ1回も勝ち取っていない。

○ドイツはイギリス、米国、ソ連、フランス、イスラエルおよびポーランド、元チェコスロバキアなどの国と被害者に向け相次いで巨額の賠償や補償を行った。

5、歴史の根源
ある程度保留vs徹底的に清算
●最高権力の代表としての日本の天皇は告訴から完全に逃れ、憲兵隊の重要なリーダーや戦争に巻き込まれた民族主義組織および大財閥の中で 法廷に送られた者は一人もおらず、日本は公判前に「慰安婦制度」に関する全ての文書を隠滅さえもした。一部の戦犯は依然として高官の地位に就いている。

○ドイツは戦後政府と政治制度の新旧交代を実現し、ナチス・ドイツの犯罪行為に対して徹底的な精算と決着を行った。ドイツによるナチスの犯罪への追及は今日もなお続いている。




●ニュース
南京大虐殺の犠牲者数は30万人、それとも4万人?日本の報道に怒る中国人―中国

中国の抗日戦争記念行事、半年間にわたり実施―中国メディア

光が見えるかはっきりする・・韓国外交部長官が“終戦70周年談話”の重要性を指摘、韓国ネットは「朴大統領が避けてきた」「日本でも安倍首相を批判する声が…」

中国・ロシア合作の抗日戦争ドラマの制作が決定=史実に基づく大型歴史ドラマ―ロシアメディア

中国外相が70年談話けん制「歴史の被告席か和解か」

日本軍侵略の歴史写真展、フィリピンで開催―中国メディア

辺野古監視委 内部から疑問、不満「委員の責務曖昧」

戦後70年の「安倍談話」、“日本の敗戦日”を避けて発表=中国ネット「日本政府に感謝する」「日本は70年間、戦争を起こさなかったが…」

自民党議員「マスコミに圧力を」発言に思うメディア幹部よ、安倍首相と仲良く飯を食ってる場合か!

慰安婦被害者、米ワシントンの日本大使館前で初のデモへ=韓国ネット「米軍慰安婦でもないのになぜ米国で?」「在日韓国人の立場も考えてくれ」

ハチ公前で安保法案反対集会 大学生ら数千人

「争いを葬れ」喪服の行進 名古屋で安保法案反対デモ

焼け太りの盗聴法改正に待った!/足立昌勝氏(関東学院大名誉教授)

「政権を取っても自衛隊は当面維持します」志位共産党委員長が外国特派員協会で講演

田原総一朗、自民にブチ切れ 朝生「不参加」に、机叩きながら「逃げた!」

沖縄県民、怒り収まらず 報道圧力「戦前への回帰だ」

「大正天皇実録」 黒塗りだった記録公開

放射性廃棄物 コンテナ ボルトのトラブル相次ぐ

報道機関批判 自民の木原青年局長を更迭へ

水俣湾周辺、カサゴに水銀2倍超 環境省「健康影響ない」

やがて来る…ミサイルと徴兵制…(´・_・`) アベコベさんに辞めてもらうしかないネ(^ω^)

安倍政権の「報道圧力」発言問題について。


自民、党内の異論封じあからさま、小林よしのり氏招く勉強会中止に=韓国ネット「日本の右傾化は没落への道」「日本は必ず同じ間違いを繰り返す」

慰安婦被害者に会った国連人権高等弁務官「解決に向けて努力する」

日本も世界征服を目指し、原爆を開発していた!!
日本軍の原爆開発資料発見 京大、GHQの押収免れる

国は過去の資料を隠すに必死だ!!
特定秘密保護法 運用状況 適切か審査へ

(昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てた「米軍による長期沖縄占領継続を依頼するメッセージ」)

沖縄戦 




小出裕章先生:落とし前をつけるのは私でなければならないと思った…


小出裕章先生:落とし前をつけるのは私でなければならないと思った…



●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より

第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第10章 戦争の泥沼化と拡大
昭和天皇は立作(たちさく)太郎から国際法について学んでいた。1929年、戦時捕虜取扱いに関するジュネー ブ条約を日本が調印したことを知っていた(しかし、批准はしなかった)。彼はまた明治天皇や、大正天皇が渙発(かんぱつ)した した宣戦布告の詔書が国際法の遵守について触れていたことも知っていた。しかし、天皇はけっして大量虐殺や中国人捕虜虐待を防ぐように軍に命令を出すことはしなかった。このような不作為は、1930年代の多くの官僚、知識人、右翼の
間で広範に認められた傾向であり、国際法自体をまったく西洋の産物と見なしていた。彼らにとって国際法の支配とは第1次世界大戦後、英米が日本ではなく自らの利害に都合のいいように、発展、普及させたものにすぎなかった。p10


ノモンハン事件と細菌戦 



●『天皇の陰謀』

天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた


ディビット・バーガミニ 著
松崎  元 訳より

第一部  戦争と報復

第一章

南京強奪(その1)  日本と中国
裕仁は、自分が中国に何らかの憎しみを抱いているからではなく、祖父および曽祖父から引き継いだ国家的計画(3)による必要において、中国と戦うのであると主張していた。1853年、米国のペリー提督が大砲を突きつけ、西洋諸国との通商と決済を行うため港を開くよう強いて以来、裕仁の曽祖父は、その家臣たちと、ひとつの誓いを立てていた。すなわち、「紅毛の野蛮人」は日本の聖なる国土から追放されなければならず、日本は、さらなる冒涜を防ぐために、緩衝地帯を形成するべく「海外進出」しなければならない、というものであった。
・・・・
旧日本軍は明治時代から中国侵略を考えていた?

潜入盗測

『日本が世界征服をたくらんでいた』
「ポツダム宣言・東京裁判受け入れた」 首相が明言

南京強奪(その2)

裕仁のおじ
朝香宮は、12月5日の土曜、飛行機で東京をたち、3日後、前線に到着して命についた(57)。そこで彼は、かつてのパリ時代の旧友に会った。加虐的中島は、南京から16キロほど南の放棄された中国人別荘に置かれた最前線本部に陣取っていた。彼は、その日曜に受けた左臀部の傷で(58)、痛々しく床に着いていた。中島は彼の元パトロンに、日本軍は南京外縁の境界線のいたるところを突破し、約30万人の中国軍を包囲しつつあり、城壁を背にして釘付けにしている、と報告(59)した。両軍間予備交渉は、彼らが降伏の用意があることを示していた。


南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分 


南京大虐殺


フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」 

河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言に抗議し撤回を求める

なんでこんな教科書が検定に通る?
『新しい歴史教科書』(自由社)

まやかし裁判

君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?

●日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!

夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)

Ⅷ 731部隊隊長と百日咳人体実験

強毒ワクチンを強制接種法で売る


ことについでに、あるエピソードを話しておこう。
強制接種法を制定して、米軍サムス公衆衛生福祉局長が意気揚々と米国に一度帰国し、自分の施策―予防接種法について報告している最中に、それを嘲笑するようなとんでもない事件が京都で発生した。
昭和23年11月4、5日、定期ジフテリア予防接種が行なわれた。ところが、9万5千余の接種者のうち、中毒患者が1843人発生し、その内68人死亡するという大惨事が起こったのだ。
最初、接種を受けた乳幼児は局所の浮腫、水泡、壊死(えし)を起こしていた。これはジフテリア毒素の無毒化の手抜きがあり、いいかげんな検査が引き起こしたものだ。無毒化とか副作用とかにいいかげんなメーカーの態度を端的に示した事件であった。

(参考)
子宮頸がんワクチンの危険性 - Thinker
子宮頸がんワクチン接種、通学できぬ少女 推奨中断2年


「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言えり、

・戦争を主導した大元帥、昭和天皇を始め、陸軍参謀総長、閑院宮、海軍軍令部総長、伏見宮、南京大虐殺に関わった上海派遣軍司令官、朝霞宮、影で動いた三笠宮、731部隊と関係のあった竹田宮等々、天皇、皇族は誰一人東京裁判で裁かれなかった!!
金と地位がそうさせたのか?

裕仁の朝廷は1940年10月、戦争が敗北に終った場合に天皇制を守ることを目的とした後方計画を開始した。
第1段階は皇族を責任ある地位から退ける事であった。
第2段階は彼らが戦争準備の過程で何の役割も演じなかったかのように見せかける表向きの筋書きをつくることであった。
菊の垂幕の背後への引退は、10月3日に・・・・75歳の閑院宮が、陸軍参謀総長の職を辞した時に始まった。・・・(『天皇の陰謀』下 バーガミニ著P134 より)

・アジアで多くの人々が虐殺されたのに、天皇はじめ皇族方は誰も処刑されなかった?
・731部隊での人体実験と細菌戦の最高責任者は誰だ?
・沖縄戦で多くの日本人が犠牲になった。その沖縄をアメリカに渡したのは誰だ?
・恐怖政治により、思想犯は拷問にかけられ、投獄され、死んだ者も多かった。
・1945年5月25日の東京の空襲では皇居の一部が燃えた。火事を防げなかった消防士は後に射殺体となって発見された!!
・(1942年)3月10日、マッカーサーがコレヒドールから脱出の大逃避行に出発する数時間前、英国外相イーデン卿は下院での演説において、全世界に向かい、日本が香港において忌まわしい残虐行為を広範に行ったことを明らかにした。・・・・3月13日に木戸内大臣は裕仁にイーデンの香港事件暴露の演説のことを報告した。裕仁はこのようなことの再発を防ぐ方策は何もとらなかった。裕仁の叔父達や軍関係の助言者達の立場は日本軍は残虐行為を犯すことによって自己の任務を一層忠実に遂行するようになるし、また敵に降伏してはならない、もし降伏すれば彼らが敵に対してした事を自分達に対してされるのだ、ということを彼らに信じさせるためにも必要であるというものであった。(『天皇の陰謀』下、バーガミニ著P335)
日本軍より虐殺と強姦も多発していた



●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。



・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦 


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。
中国に於ける旧日本軍の細菌戦


中国の被害者も同じ心境では?
沖縄戦、心の傷深く 体験者65%「今も思い出す」

闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送) 


●あの戦争を起こした裕仁の誕生日が「昭和の日」として休日にされるのには抵抗がある。
裕仁の戦争責任を感じる者にとって、なんともやりきれない!!
「裕仁」は、戦争を起こした人だからヨーロッパでは有名だろう!!
安倍は侵略戦争の反省をしないからアジアで有名?
欧米は昭和天皇、アジアは安倍首相=「知っている日本人」1位―新聞通信調査会

やはり、安倍と天皇家はつながっていた!!
天皇と親戚の安倍晋三首相

積極的平和主義の名のもとで・・・日本で「武器ビジネス」に火がついた=中国メディア

●陛下の戦争
治安維持法等で「思想の自由」「良心の自由」は奪われ、ただただ国民は「天皇教」に帰依せざるを得なかった!!
陛下の戦争


・大元帥裕仁の命令がなければ、一兵卒さえ、動かせなかった。
・裕仁は生まれたときから、将来の天皇として期待され、また大元帥としても教育された。
・天皇教は、天皇を世界の中心におき、八紘一宇をめざす。裕仁は大日本帝国をめざした。


『日本が世界征服をたくらんでいた』
ポツダム宣言「受諾し降伏したことに尽きる」

日本とアメリカの密約
731問題 

私は、アメリカ(マッカーサー最高司令官)と日本(昭和天皇)との間に戦後、取り交わされた幾つかの密約があると思う。
1つ目はサンダースが証言しているように「日本は731部隊の全てのデータを渡す代わりに、731部隊員を戦犯免責にする。」ということ。この密約のほかにも、「天皇と皇族たちも、円滑な占領軍統治を進めるために、戦犯免責にする。」や「731部隊が主に中国で行った非人道的な細菌戦と人体実験、日本軍の毒ガス使用や中国等の都市での無差別爆撃を裁判に取り上げない代わりに、アメリカによる日本各都市の無差別爆撃、2発の原爆投下の非人道性を日本政府は国際社会に訴えない。」ことを密約したのではないか?と想像する。昭和天皇とマッカーサーの11回に及ぶ会談で。
サンダースが語る裏取引の真相 



東京裁判は2年間続き、1948年に終了。しかし何千ページにわたる証拠書類や証言の中に731部隊に関する一言の記述もありませんでした。
アメリカは待望のデータを手に入れ、石井とその部下達は罪を逃れたのです。
しかし、その事とは別に一つの重要な問題が残されました。
天皇は石井が行った人体実験とのかかわりを追及される事を逃れたばかりか、国民の戦争犯罪に対して法廷に立つ事もなかったのでした。連合国が天皇の必要性を重視したからです。
アメリカと日本が意図的に天皇の戦争責任の追及をやめたということは疑いの余地がありません。
裁かれなかった731部隊員と天皇


天皇は知っていた!!
天皇と731


アメリカ政府の責任 


原爆投下、ソ連参戦 


なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?

原爆投下直後、軍部によって始められた原爆被爆調査は、敗戦とともにその規模を一気に拡大し、国の大号令で全国の大学などから1300人を超す医師や科学者が集まった。
なぜ、行われたのか?日本が中国などで行っていた、毒ガス戦や細菌戦の特殊研究は、戦争犯罪の対象になるので証拠を湮滅して隠し、原爆の威力を調べる調査書を渡せば、落とした国のアメリカは喜ぶだろうし、日本にとっても、心証がよくなり、戦後の新たな日米関係を築くのに有効なカードになるとの判断があった。2年以上かけた調査は181冊に1万ページに及ぶ報告書にまとめられ、英訳されて、アメリカに渡された。被爆者は何等治療される事なく、調査された!!


・オバマ大統領が広島でアメリカの原爆投下を謝罪しようとした時、外務省が丁重に断ったと言う。
外務省と言えば、昭和天皇とマッカーサーの通訳をした寺崎英成氏も外務官僚だった。
外務省は、天皇制が続いたので、密約をきちんと伝えていたが、アメリカは、大統領が変わるものだから、そこの違いが出たのではないだろうか?
2009年オバマの広島訪問を妨害したのは外務省(=米務省)だったとは、広島市民よ怒れ!

竹田恒泰語録【原爆投下】オバマ大統領が広島で謝罪する要請があったのに断った日本

百田尚樹VS田嶋陽子 バトル勃発!東京大空襲・原爆投下は虐殺か?

アメリカ側の原爆投下に対するコメント


長崎の悲劇「避けられた」 原爆投下、技術者も反対

原爆投下間違ってなかった米国民5割...松本人志怒る

昭和天皇は、鬼塚氏によれば「天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。」




全文は「ノブのノート」で!!

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