南京大虐殺=国家犯罪!!

2017-01-25 12:50:50 | Weblog

●南京大虐殺
・南京大虐殺から80年、今年の12月13日は、80年前の日中戦争で南京が陥落した日だ。そして、虐殺が始まる。(もちろん、南京に至る過程でも、残虐行為を繰り返していた!)

16、大殺戮の開始
・12月12日深夜に南京城を陥落させた中支那方面軍は、翌13日朝から南京城内外の「残敵掃蕩」を開始した。各師団、各部隊に担当地域が割り当てられ、作戦は徹底、周到なものになった。第10軍(丁集団と称した)司令官柳川平助中将は、こう下令した。

丁集団命令(丁集作命甲号外)     12月13日午前8時30分
1、〔丁〕集団は南京城外の敵を殲滅せんとす
1、各兵団は城内にたいし砲撃はもとより、あらゆる手段を尽くして敵を殲滅すべし、これがため要すれば場内を焼却し、特に敗敵の欺瞞行為に乗せられざるを要す


・上海派遣軍第9師団の歩兵第6旅団長秋山義兌少将は、「南京城内掃蕩要領」及び「掃蕩実施に関する注意」で次のことを指示した。
1、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宜の位置に監禁す
1、青壮年はすべて敗残兵または便衣兵と見なし、すべてこれを逮捕監禁すべし


・投降兵、敗残兵を捕虜として収容しないで、殺害せよというのは、第16師団の方針でもあった。
師団長中島今朝吾中将の日記(12月13日)
だいたい捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片付くることとなしたれども、千、五千、一万の群集となればこれが武装を解除することすらできず、ただ彼らが全く戦意を失い、ぞろぞろ付いてくるから安全なるものの、これがいったん騒擾(そうじょう)せば、始末に困るので、部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ、13日夕はトラックの大活動を要したり。(中略)
後に至りて知るところによりて、佐々木部隊だけにて処理せるもの約1万5千、太平門における守備の一中隊長が処理せしもの約1300、その仙鶴門(せんかくもん)付近に集結したるもの約7、8千人あり、なお続々投降しきたる。
この7,8千人、これを片付くるには相当大なる壕を要し、なかなか見当たらず、一案としては百、2百に分割したる後、適当の箇所に誘きて処理する予定なり。

外務省は、持っている情報をきちんと開示せよ!!
ある書物には、こう書いてあるが、この真偽はいかがなものか?
「1938年の1月17日に、廣田弘毅外務大臣は東京からワシントンDCの連絡員に次のような電文を転送したが、それをアメリカの情報機関が傍受し、暗号を解読してから、1938年2月1日に英語に翻訳した。

数日前に上海に戻ってから、私は南京やその他の地区で日本軍によって行われていると報告されている虐殺行為を調査した。信頼できる目撃者の口頭の説明と、信頼性について疑念の余地のない人たちの手紙により、日本軍がフン族のアッチラを思わせるような態度で振舞ってきて、現在もそういう風に振舞っているという確証を得ることができる。30万人を下ることがない中国の民間人が殺戮された。そのほとんどは血も凍るようなことだ。」


南京の情報を遮断するために、海軍はパナイ号は故意に撃沈した?

「そこで電報を(漢口にいる蒋に)打ち、同時に東京へ一通送る必要があった。電文が起草され、ベイツと僕とでそれを携えて“パナイ”号へ行ったのだが、・・・・・・その翌日“パナイ”号はさらに上流へと出発し・・・時ならぬ終着駅でもある処へと向かった。あらゆる通信がかくして切断され、僕らはそれ以上停戦を促す何事もなしえなかった。(ミルス:「夫人への手紙」より)

パナイ号撃沈 


安倍首相は、なぜ中国へ行って謝罪しない??パールハーバーよりも先ではないか!!

当時、南京にいたアメリカ人牧師マギーがとらえた南京虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」


マギーフィルム(日本語訳付き) 



フォースター(Ernest H. Forster)は1895年にフィラデルフィアで生まれ、1917年にプリンストン大学を卒業した。バルティモア聖ボーロ小学校で校長の助手を2年務めた後、聖公会の宣教師[Episcopal missionary]として中国へ行き、揚州の馬関学校で教えた。1936年に名高い弁護士タウンゼントゥ(Irving U. Townsend)の令嬢クラリッサとボストンで結婚した。フォースター夫妻は一緒に中国へ戻り、揚州に駐在した。南京が陥落する1ヶ月前に、2人は揚州から南京へ移り住み、聖公会の聖ボーロ礼拝堂に仕えた。1937年11月末にクラリッサは南京から漢口へ撤退し、1938年1月中旬に香港を経て上海に着いた。フォースターはもう1人の聖公会の牧師マギーと、南京に留まり大虐殺の全歳月を過ごした。
フォースター夫妻のイェール神学校に保存されてきた文献の中の手紙やレポートや写真が、南京大虐殺の全般的で目に見えるような記録となっている。



夫人への手紙
(1937年11月23日~1938年2月13日)※
揚州には1週間いて、南京へ出発しました。初めは私達、船に乗りたかったのですが、天気があまりよくなくて、長江をさかのぼって行くはしけのない小さな機動船に乗る冒険は、したくありませんでした。フェアフィールドさんが私達と一緒に出かけて、フォースターさんと揚州の口座を調べ、帳簿を揚州へ持ち帰ってくださることになりました。帳簿を前に、フォースターさんが南京へ持って行っていたのでした。私達11月12日(金曜日)の朝出発したのですが、鎮江に着いたら汽車が夜でないと出ないとわかって、昼間は内地会のホーム〔the C.I.M.Home チャイナ・インランド・ミッション〕で過ごしました。上流からやって来た軍隊が蘇州の前線へ向かうので、駅がごった返していて、私達何度も停まらねばなりませんでした。鎮江から南京まで4時間かかったのです。その晩11時頃に下関に着いて、マックナルティさんがお昼に蘇州へ戻っていかれたばかりとわかり、私達の無錫駐在地が、爆撃されたと知らされました。

※フォースターの妻への手紙の初めの方、数段はフォースター夫人が書いたもので、彼女が南京を離れるまでの状況が記述されており、字体を分けて区別している。





しゃべってから死ぬ!南京大虐殺



南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分 




昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!
ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より

第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦

日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・

(日中戦争)『昭和天皇』「上」(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫より)

満州国軍の補助部隊をのぞき、日本は戦死、戦傷、行方不明を合わせて総数1万8925名の損害を被り、事実上、1個師団全部を失った。ノモンハン事件で大敗北を喫した責任は、関東軍司令官植田謙吉とふたりの幕僚、辻政信、服部卓四郎にあったが、3人とも転任させられたに過ぎなかった。陸軍の作戦、用兵についての見直しはいっさい行われなかった。昭和天皇はまたしても処罰することを控え、ちょうど、かつて満州事変を謀略により開始した者が東京の参謀本部に就任し、昇進することを許したのと同じように、1941年、辻と服部が参謀本部で重要な立場に昇進・就任することを認めた。




軍と政府が一体となって実施した慰安婦制度!!
(勿論、警察も見て見ぬふりをした!!)

※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)



お粗末な日本政府の情報公開 








※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景



※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)

※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。







●ニュース
安倍氏「真珠湾犠牲者を哀悼」…中国「本当の和解望むなら南京に来い」

「安倍首相はまず南京に来るべきだ。我々は寛容の心で受け入れる」
<中国>南京大虐殺の追悼式典 安倍首相の訪問求める声も

実際のところ、その日に日本が攻撃した場所は真珠湾だけではありませんでした。その約1時間前には日本陸軍はマレー半島の北東沿岸を攻撃、同日にはアジア太平洋地域の他の幾つかの英米の植民地や基地を攻撃しています。日本は、中国に対する侵略戦争を続行するために不可欠な石油や他の資源を東南アジアに求めてこれらの攻撃を開始したのです。

それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。
真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状

日本アパホテル会長「中国人の予約は受けない」

アパホテル「南京大虐殺否定本」にアジア大会組織委が撤去打診。


「アパホテル客室を点検」 書籍問題でアジア大会組織委

中国当局がアパホテルを批判、宿泊しないよう中国人旅行客に呼び掛け―中国メディア

アパホテル炎上事件は謝罪しなければ終わらない - 李小牧(り・こまき) 元・中国人、現・日本人

岸田文雄外相、中国のアパホテル批判に不快感 「一時期の歴史に過度に焦点を当てるのはいかがなものか」

元勤労挺身隊の韓国人女性、法廷で被害事実証言

沖縄・基地反対リーダー長期勾留「沈黙を強いる狙いか」 米紙ワシントンポストが報道

トランプ氏、大統領令を次々 環境政策転換

なぜこんなものにお金をかける??
防衛通信衛星「きらめき2号」軌道投入 部隊間の情報共有強化へ

参院代表質問 民進・蓮舫代表、「天下り」問題で安倍首相を追及

宮崎の養鶏場で鳥インフル 高病原性と確認 

新たに原爆の画像データ収集し公開

ウソとペテンはもう嫌だァァァァ(((((┏ ’ω’)┛

日本は正しい歴史観に基づいて自国民を教育せよ―中国外交部

[寄稿]1★9★3★7

産経新聞が日テレの「南京虐殺」検証番組を「裏付けなしの謀略宣伝」と攻撃! でも捏造と謀略は産経の方だった

三笠宮は、731の生体実験・細菌戦・毒ガス戦・南京大虐殺も全て知っていた!!
昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王は、南京事件に

「架空の歴史を信じない」。戦時に軍部を批判した皇族、三笠宮さまが注目される理由

日テレが産経に「厳重抗議」 ギャラクシー賞「南京事件番組」検証記事めぐり

村上春樹氏「歴史を書き換えれば結局は自身を傷つけることに」


極右稲田朋美防衛相「南京大虐殺を事実と認定しない、日中戦争は侵略と断言出来ない」→韓国人「中国尖閣諸島周辺で活動範囲を拡大」

「核」で過去の発言追及…稲田氏に集中砲火



稲田防衛相らの「白紙領収書」問題


韓国、大揺れ 安倍首相「慰安婦へ謝罪の手紙」拒否に政府板挟み

[特派員コラム] 12・28合意と決別しよう



韓国で少女像「移転してはならない」が76%

韓国国民の63%が「慰安婦問題再交渉すべき」、少女像移転反対も76%


核兵器禁止、「本音」と「建前」に揺れる日本政府、オバマ大統領の「核先制不使用」には反対

潜在的核保有国化を目指す日本は、核兵器禁止条約制定目指す決議案に反対!!

非核3原則は嘘だった!!
※2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。
※非核三原則を表明した佐藤栄作は1969年(昭和44年)1月14日付で米国政府に送った公電で「非核三原則はナンセンスだ」と発言したことが、アメリカの公文書から明らかになっている。

日本は、世界に「核廃絶!!」とは叫んでいないのだ!!

核兵器禁止条約制定目指す決議案 日本は反対 批判の声も




「Iam not ABE に込めた警告 ひとりひとりの挑戦こそが民主社会をつくる」


これが自民党の実態だ!!
憲法改正で自民党が目指すもの!!
国民主権、基本的人権、平和主義の3つを無くし、
国防軍創設、国体護持!!
全く、戦前の日本と同じではないか!!

自民党の目指すもの?? 

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