「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

七、レバノン内戦の終焉と「藁にもすがった」ターイフ合意(p213~)

2012-10-19 22:29:28 | 中東
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 レバノン内戦は1990年、アウン将軍がシリア軍に撃破されて終わった。サウジのターイフで和平協定が結ばれ、ムスリムに多くの政府権力を譲ることになった。和平協定はアラブ連盟が提示したもので、キリスト教徒は自分の国家を守るために藁にすがるように協定(合意)を受諾した。
 カトリックのスフェイル枢機卿は、「キリスト教徒が覇権を握らずして、どうして独立レバノンがありえよう?隣国との明快な合意なしで、どうやって小国に住むキリスト教の少数派がこのイスラムの大海の中で生き延びられよう?」と反対したが、合意が揺らぐことはなかった。
 ターイフ合意では、3つのことが強調された。1、レバノンの国家身份の中にアラブ性を盛り込むこと 2、国家制度の中に完全に平等な社会権が与えられることを明記すること 3、政治面で宗派主義を廃止すること。そして24条で非宗派的な選挙法ができるまでの間、国会の議席をキリスト教徒とムスリムで折半することが定められた。これは1960年代以降進んでいたムスリム人口の多数派化に合わせ、議席配分を是正するためだった。また、64条でスンニ派の務める首相の職権が拡大され、44条でシーア派の務める国会議長の任期が1年から4年に延長された。一方、マロン派の就任する大統領の権限は象徴的なものへと縮小され、首相や国会議長と相談して物事を決定することにされた。これにより、三人の元首が国を治めていく制度ができた。しかし、「路上」レベルでの宗派関係という重大な問題には手が付けられなかった。
 ターイフ合意の締結に伴い、レバノンはシリアと同胞国協力協調条約を結んだ。キリスト教徒はこれに不安を抱いた。ウィリアム・ハリスいわく、

 キリスト教徒はターイフ合意後の新体制を拒絶した。カタイブ党や黎巴嫩軍団はやむなく受諾したが、彼らはマロン派の利害が脅かされるとして、1992年の総選挙を辞退した。シリア軍が駐留したままでは、シリアが不正を働くと主張したのだ。

 彼らの不安はやがて現実化した。親シリア派の大統領が1993年誕生し、内戦前とは異なり民族主義的キリスト教徒の議員がほとんどいなくなったのだ。ハリーリ首相の下、アラブ諸国からムスリムの経済発展を支援するための油貨が流れてきたので、経済格差も縮小した。1990年代にムスリムの富は倍増し、「悲運なるオジェ富」ラフィク・ハリリ首相の私営企業ソリデールはベイルート中心部のビジネスを支配している。シーア派の多い南地区には海外から開発資金が舞い込んでいる。キリスト教徒側は何とかおこぼれに預かろうとムスリムに陳情する始末だ。
 キリスト教徒の領導者たちも散々だ。アウン将軍はフランスに亡命し、ジェマイエルは米国に行った。シャムーン一族は支持者を集められていない。ジェマイエルの息子ピエールは帰国し、2000年の総選挙で当選したが。黎巴嫩軍団を率いていたサミール・ジェアジェアはベイルートのカトリック教会爆破やダニー・シャムーン暗殺に関与した疑いで1992年から投獄されている。

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