「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

レバノン・キリスト教衰退の系譜(p216~)

2012-10-19 22:45:08 | 中東
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1990年10月:マロン派の領導ダニー・シャムーンが家族ごと暗殺される
1991年5月:アウン将軍の国外追放、スフェイル総司教がシリア・レバノン協定が1943年の国民協定を脅かすと糾弾
1992年9月:カトリックの選挙抵制。その結果、40票で当選するキリスト教徒も現れた。
1993年5月:ショーフ地方で嫌カトリックの暴動が起きる。
6月:正教会とカトリックの集会場でテロ未遂事件が起き、3人がカミカゼになる
10月:キリスト教徒の政界の大物たちが相次ぎ逮捕され、シリアへ連行される
12月:クリスマスを前に、マンソリエのキリスト教墓地が荒らされる
1994年2月:ミサの最中に爆発が起き、8人が死亡する。イスラエルの過激派がヘブロンでムスリムの討滅作戦を実施したのに伴うものだった。
6月:キリスト教徒の伝統的土地がムスリムに購入されていくことへの不安を報道したICNテレビとニダール・ワタン新聞が、ハリーリ首相の指示で閉鎖される
2000年1月:黎巴嫩軍団とイスラム勢力との奮闘が起きる
9月:マロン派の司教会議がシリア軍の撤退を求める決議を採択
12月:シリアがレバノンのキリスト教系政治犯50名を送還する。ただ、シリア国内に捕われたレバノンの政治犯は数百人とも数千人ともいわれている。
2001年8月:シリア軍の撤兵を求めたキリスト教徒の青年200名が逮捕される。イスラエルとの共謀容疑をかけられた。
10月:シドンとトリポリの教会が爆破される
2002年1月:黎巴嫩軍団を率いたエリー・ホベイカが暗殺される


 連盟による補足
 その後、ハリーリ首相は総理退陣後の2005年2月、謎の怪死を遂げた。そこから国際的な反発が巻き起こり、4月シリア軍はレバノンから完全撤退した。キリスト教の影響力が回復するかに思えたが、シーア派系のヒズボラが政治的影響力を次第に強めつつある。2000年代の動きについては、青山弘之、末近浩太『現代シリア・レバノンの政治構造』(岩波書店)を参照してほしい。2010年代のシリア内戦では、スンニ派が反アサド陣営に立ち、異端色の強いアラウィ派が宗派を同じくするアサド側に立ち、トリポリなどで抗争を繰り広げた。

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