「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

イスラムと民主主義(p530~)

2012-12-24 20:56:03 | 現代イスラム批判
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 イスラムは民主主義と共存するのか?オランダのピエト・ハイン・ドネール司法相はこう言った。「3分の2のオランダ人がシャリーアを望むなら、それも選択肢だ」
 この困境(ジレンマ)についてはこう考えたい。僕らの望みは一人一票などの選挙制なのではなく、良心や言論、武装の自由、世俗法の下の平等と権力の濫用防止、民心の合意にあると。自由選挙は飽く迄こうした民主的価値観を成就させるための手段に過ぎない。
 シャリーアは侮教と棄教に対して死罪を課すが、これは言論の自由という民主主義の真名とは相容れない。故にシャリーアは民主的ではない。また、女性、夷教徒、奴隷との間に差別を定め、夷教徒に武装させず、真の財産権も認めない。コーランの中にあるシューラという相談の伝統も具体性がなく、スルタンは棄教以外のあらゆる行為を許されている。
 西オンタリオ大学のサリム・マンスール教授はこう語る。「民主主義文化の淵源には個人を政治と世上の倫理中核とする発想がある。これを絶対不可侵とするところが他文化と大きく異なるところだ。民主主義を多数派の統治形態と捉える誤謬に嵌まってはいけない。民主文化内部の異分子や弱勢を保護するところに民主主義の真名があるのだ」
 これはサミュエル・ファイナーが『比較政府』の中で「立面民主主義」と呼んだ非自由民主体制とは異なる。立面民主主義とは権力を握る少数の精鋭が権益のために民主主義思想に頭を下げているだけの状態だ。
 イスラム諸国では幼少期から夷教徒への優越感を植え付ける教育が行われているが、これこそ真の民主主義への障害だ。ウォール・ストリート・ジャーナルでサード・エッディン・イブラヒムというイブン・ハルドゥーン開発研究所所長が「中東の民主主義蘇生を」という意見文を掲載していた。エジプトで何度も投獄されたイブラヒムは楽観していう。

 かつて、ドイツでも日本でもスラブ圏でもカトリック圏でも社会は本質的に民主化しないと学術界でさえ唱えられていた。文化の真名に民主的価値観に敵対する戒禁が埋め込まれているのだと…
 
 しかし、研究所の名前に冠される14世紀の「歴史序説」イブン・ハルドゥーンはこう語る。「ウンマではジハードは義務なり、ムスリムは劍を以てでも夷教徒を改宗させるべきなり。ウラマーは権力政治の朋なり。イスラムは夷国に影響を及ぼすのが義務故なり」と。これは決して寛容や開明、民主主義とは相容れない。ハルドゥーンのキリスト教徒観を引こう。「キリスト教徒の教条に触れることはしない。コーランの記す如く、その全ては虚妄なり。改宗せぬなら、ジズヤか死を選ぶのみだ」
 アンドリュー・ボストムの『ジハード伝』によれば、11世紀のアル・マワーディの代からディミテュード制が始まった。マワーディはジズヤとジハードの不可分性を確信犯的に語る。そして、休戦はジズヤが支払われる間だけで、ジズヤが止まると直ぐにジハードが再開されるのだ。
 ジンミーへの制限は多い。2005年、カタールで改革派のエミールにより1300年振りに教会が出来たが、そこに十字架の尖塔はなかった。キプロスからやってきたクリーヴ・ハンドフォード司教は「我らはイスラム国では客人に過ぎず、主人の要求に答えただけです。内部はキリスト教そのものです」と語るが、これが従来のジンミー法に基づく措置なのだ。
 「穏健で寛容」な筈のマレーシアでも事態は深刻だ。タミル系インド人のヒンドゥー寺院が違法だからと壊されたが、これは当局の建築許可が下りなかったからだ。カトリック教会の場合でも、建築許可が下りるまで30年かかった事例もある。
 インドの場合、ハナフィー派は何とか偶像崇拝のヒンドゥー教徒もジンミーの一種にした。しかし、ハナフィー派の王や剣士たちは、ヒンドゥー教徒の名誉や巡礼慣習は徹底的に保護しなかった。他の法学派では「ヒンドゥーには改宗か死あるのみ」とされている。
 西洋謝罪主義者は「南アジアの械闘はお互い様だ」と論じる。しかし、パキスタンの夷教徒はほぼ完全に討滅されたし、バングラデシュでも数十年前は3割ほどいた夷教徒の数が今日では1割まで減った。それでも、インドのムスリムの数は高出生率のため増加している。これで「お互い様の敵意」といえるだろうか?
 パキスタンのシンド州ではムスリムがヒンドゥー娘を誘拐して強制改宗させる事例が続発しているので、若年婚が続発している。カラチだけでもそうした誘拐事件が19件発生した。人権活動家のヒナ・ジラーニはこう述べる。「インドのムスリム娘がヒンドゥーに強制改宗させられていますか?ムスリムは夷教娘を誘拐することで、夷教徒小社が殺人者に屈するよう仕向けているのです。偏見の対象たる夷教徒は賤業にしか就けず、出世の機会を奪われる訳です」

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