「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.65 「ファッショ」と戦う自由(p621~)

2013-01-11 20:56:14 | 現代欧州
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フョードマン同志


 出典(2008年)

 ファッショの将来の名は反ファッショなり――チャーチル

 昨年から僕は米国系の小緑蹴球団と熱論してきたのだが、時間の無駄に過ぎなかった。しかし、独ケルンの大規模モスク建造計画への抗議活動がユーラビア多文化主義人材と極左「反ファッショ」の非神聖同盟に妨害されたのを聞き、その時の討論を回想した。ブリュッセル・ジャーナル曰く

 ケルンでの出来事は欧州保守が何を敵視しているのかを顕現させた。トルコ過激派のモスク新設計画に反対する会議が、当局とマスゴミ公認の草泥馬によって妨害されたのだ。タイムズ・オブ・ロンドンなど「保守」系のマスゴミさえケルンの抗議者をネオナチ呼ばわりし、草泥馬たちをナチ撃退の一般市民と表象した。

 シュピーゲルによると、「極右の“親ケルン”が欧州イスラム化への抗議行進を始めると、下町のヒューマルクで4万人が道化的に揶揄し、抗議者たちは集合場だった鯨型観光船モビー・ディックを襲撃した。警官は行進を45分で中断させた」
 ダイアナ・ウェストがいうように、「欧州イスラム化を恐れる極右活動家が極右と言いうるだろうか?反イスラム化集会には道理があった。しかし、ケルンは理性無用とばかりに暴衆支配に手を貸した」
 反イスラム化の示威を封絶するかどうかの設問調査を大電評の「政治不義」が行ったところ、86%が不支持と出た。しかし、ディー・ヴェルト紙の調査では、半数が禁止賛成と出た。電声欄が炎上したのを見て、同紙は電声を削除した。
 ケルンの事態を目撃した市民の中には警官が左翼の反ファッショと酷似していると捉えた者も多い。反ファッショを名乗る左翼団体の行動の方がよりファッショ的だ。ケルンで暴行されたユダヤ人のアヴィエルの話を聞こう。

 金曜日にはチングのミシェル・クシェロフが会場に入ろうとして負傷した。僕もそこに居合わせたかったけどできなかった。でも、僕もその翌日反ファッショを掲げる不逞団に「ナチ」と野次られながらケルンの路上で暴行されたんだ。僕はキッパ帽を被ってユダヤ然としてたのに「ナチ」とやられたんだ。悪いことに、これは欧州では特殊な光景ではない。ユダの民は毎日のように不逞イスラム団体と闘争している。フランスからケルンへやってきたのも、日毎に紅世化する戦場に立つためだ。

 ノルウェーの電評士マールマンネンもスペインのAMDGもユーラビア・ファッショ団による似通った光景を描いている。
 「民主主義」や「反過激主義」を掲げた襲撃者の多くは共産主義者だった。反イスラエルの旗や大討滅犯チェ・ゲバラの図象を掲げる輩もいた。ドイツなどでなお健在の彼らは、「ファシスト」を反イスラム主義者に、人種主義の烙刻を反移民論者に貼り付ける。彼らの真名を表すのに相応しい単語は「紅ナチ」だろうか、「シャツ団」だろうか。
 AMDGは「この示威を毎年行おう。左翼こそファッショだということを示すために。コーランの文句を記した印標をもって対抗示威を行うんだ」と述べた。
 政府が本腰で反イスラム化の示威を封絶しようとしている。[保守のはずの]アンゲラ・メルケル首相もドイツ内務省も「宗教の対話と共存を脅かす」と親ケルンの方を批判するばかりだ。[保守の]フリッツ・シュランマ市長もそれは同じだ。市長は正にジンミーだ。国と文明を売り飛ばす現代の宥和犯で草泥馬だ。ナチと共産主義の後継者は黒シャツの左翼団体だ。彼らの路上支配を許したシュランマ市長は即刻辞任すべきだ。
 彼らは当局と協力して公式の親イスラム勢力と協力する者を封絶する。彼らは国家機関の一部なのだ。例えばAFA(行動する反ファッショ隊)は定期的に反対分子を襲撃していることを自賛しているが、マスゴミも当局もそれをスルーする。AFA団は社会民主党とも協力して「反ファッショ瑞典民兵団」と自称し、好戦的な仲間たちと電網空間を形成する国際組織だ。
 ノルウェー一の反人種主義団体「人種主義SOS団」は1980年代以降大きく共産主義者に侵蝕されてしまっている。つまり、共産主義者は冷戦崩壊後そのまま多文化主義へと移行したのだ。人種主義SOS団は文化保守への討伐活動を今も続けている。人種主義SOS団は政府から助成金を受け、労働党や社会主義左翼党等の団体の一部と化している。
 ノルウェー・イスラム評議会は、ムスリム同胞団のユスフ・カラダウィから、同性愛者を殺しても良いか、9歳児を俺の嫁にしてもいいか教示を受けていると公言する。一方、イスラエルに爆発物を持ち込もうとして逮捕された社会主義者ラルス・ギュレは後で、「僕は危険な極右だから監視つけた方が良いよ(笑)」と語った。
 ケルンの集会に招待されたフラマン系政治家フィリップ・ドゥウィンテルはシュランマ市長の決定をブリュッセルの社会主義市長フレッディー・シールマンスに準えた。シールマンスは2007年と08年、9・11の犠牲者哀悼示威を禁じた人物だ。

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