「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.84 汝、猶督を嫌いたまえ(p681~)

2013-01-20 21:40:37 | 現代欧州
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フョードマン同志


 出典(2006年)

 僕は世俗派だが、猶督文明の西洋文化の影響力は認める手合いだ。僕はイスラムに媚敵し、反世俗で連帯する教会を批判してきた。しかし、ムスリムにとって最も利用価値があるのは、世俗なる群衆のようだ。
 サヨク多文化主義者が猖獗するBBCは反米、反キリストで親ムスリムだ。BBC商事編集員のジェフ・ランダルが上層部に多文化主義偏向を告発したところ、「BBCは多文化主義では中立ではない。寧ろ推進役だ」と述べた。
 反キリスト感覚は西洋多文化主義者共通の性向のようだ。オスロ大のトーマス・フラント・エリクセン教授などその代表だろう。教授は国民国家の死を嬉々と記し、ノルウェー第一のニダロス教会が多文化社会の象徴になるべきでないと語る。誠心思考の管理人オレ・ヨルゲン・アンフィンドセンと衝突した時は、こう反論した。「白黒以外の肌もいる多文化コスモポリスでは、アンフィンドセンの投げつけた問題など些細化していくだろう」アンフィンドセンは「無知蒙昧」で「キリスト歪曲主義」に基づいているというのだ。
 どうもエリクセンは嫌イスラム流を懸念するより、キリスト教を揶揄する方に関心があるようだ。「テオ・ヴァン・ゴッホ監督殺害のような事件にイスラムは関係ないという事実をアンフィデルセンは我々に確認させようとしているのだろうか?」と。
 本当に関係ないのだろうか?
 ソマリア系のアヤン・ヒルシ・アリと共に「反イスラム」の映画を制作したオランダ人テオ・ヴァン・ゴッホ監督を2004年11月銃殺したムハンマド・ブーイェリはアムステルダム生まれのベルベル人だった。監督の侮教を確信したブーイェリは「信仰通りに行動したのみ」と残虐な殺人行為を肯定した。
 なら、平和的なキリスト教徒は密室での秘事を告発され、ムスリムはイスラム的動機を自賛してもイスラムと関係なしとされるのだろうか?多文化社会が崩壊して間もない旧ユーゴから渡来したセルビアの医師が大量移民の盲流を警告した時、エリクセンは「認識不足」と揶揄した。
 多文化主義の第一戒は「汝、猶督を嫌いたまえ」だ。多文化主義者は「非西洋文化は人為的吟味の上に」と唱えて、国民国家ばかりか啓蒙思想まで嫌悪する。エリクセンのような「多文化コスモポリス」の徒はイスラムも西洋の宗教と唱えながら、反西洋の要素としてイスラムを選好する。
 宗教は社会の必要条件なのか?カトリックの歴史家クリストファー・ドーソンは『進歩と宗教』でこう書いた。

 宗教衝動こそ世上と文化の統合包摂力の供給者だ。大文明が大宗教を胚胎するのではない。その逆が世の理なのだ。宗教なき社会はやがて文化を衰滅させていくだろう。

 トクヴィルは『米国の民主主義』でこう書いた。

 米国では宗教は直接政府に関与していない。しかし、宗教こそが自由なる政治機関の淵源となっている。全米国人が敬虔か否かは不明だが、宗教は与否なく共和制度を護持する不可欠の要素である。

 『ハラキリする理性』のリー・ハリスは、基督欧州はヘブライとキリスト、ローマの法律、ゲルマン蛮族の恋由などの混淆物だと唱える。では、どこから近代の理性人共同体が生まれたのだろう?哲学者ヨハン・ヘルダーはこう語る。

 カントのような批判的思想家を生み出すのに必要とは何なのだろう?カントは『純粋理性批判』で神の存在を完全論破したわけだが、カリーニングラードの敬虔者は彼を路上で四肢切断することはしなかった。

 ヘルダーにとって、西欧近代科学の理性なる産物は聖書とギリシア哲学、ローマ遺産の集合体だった。
 19世紀のショーペンハウアーは無神論者だったが、それでもキリスト教の神界観が宇宙の理性的解釈を可能にしたと認めている。
 ハリスは指摘する。「神を求める人類の本性は近代理性でも変えられない。無神に狂熱する者も他者の崇めるネ申を完全無視することはできまい。前近代の状態を考慮するなら、近代理性もまた、民俗・宗教両面で生存のための適応機制を備えねばならない。民俗機制とは暴力より理性を好む人間の小社をつくることだ。宗教機制とは、理性社会の構築に役立ちそうな宗教を信じてなくても選択することだ。
 テオドール・ダルリンプルは社会病理の多発に直結した目的意識の欠如を問題視する。最後の文はイスラムと西洋社会への警句でもあろう。

 大多数の人民は福祉国家故に義務たる労働から自尊心を感じなくなり、私生活以外への帰属感を感受しなくなった。…私は敬虔ではないが、反宗教でもない。政教分離の非神権体制なら宗教の味方だ。…自由なき規律は惨禍への道だが、規律なき自由も騒擾の紅世なる惨禍への道だ。

 僕はハリスやダルリンプルの意見に賛成する。猶督文明には理性の強盛共同体を生み出す力があるが、イスラムは決してそうした共同体を生み出せないだろう。オーストラリアのぺル枢機卿が言うように、「反キリストのあまりキリスト教の敵を同志と看做す世俗派は、未曽有の誤算を行っている」。
 イスラムが西洋の一部を征服したら、多文化主義者も多文化新教が伝統なる猶督教より悪逆だったことを理解するだろう。晩時の嘆きとして。

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