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「そのすごいところ」へ








娘は社交辞令も含めて

「音楽の才能に恵まれてラッキーですね」

とよく言われる。

お世辞にしても大変ありがたいことである。


しかし本人は微笑みながらも内心があまりいい気がしないそうだ。

「才能、ラッキー、そんなものありませんよ。単に他の人がしたよりも倍以上のしんどい練習を何年も根性で続けただけで、それを『運』のハナシにされたらちょっと腹が立つ」


彼女の場合はピアノが好きで好きで弾かずにはいられなかったからというよりも、何かものすごい音楽があるから「そのすごいところ」に自分も行ってみたい、という気持ちで今まで続けてきたらしい。


わたしは思い出す。フランス現代思想が華やかだったころ、「ぜんぜん分からないけど、なんかすごいものがあるみたい」「それが分かりたい」という気持ちでデリダやドゥルーズを読んだのだった。わたしの場合は根性が足りず、やっぱりぜんぜん分からなかったし今もぜんぜん分からないけど。



子育てをすると親も育つというが、娘の存在は

わたしには見えなかったものや、見ようとしなかったもの

わたしには遠すぎて届かなかった場所や、存在するとは思いもしなかった場所

わたしひとりでは可能ではなかった体験をいろいろさせてくれる。

昨日の例を挙げるとすると、自分がPTAで「母親役を演じ」ながら発言しているのはおかしかった。
また、娘がピアノ・コンチェルトの練習をしていたので、わたしはページをターンしていた。まさか自分の人生でピアノ・コンチェルトの譜を読むとは思わなかったし、踏襲的に多くのピアニストが作曲家の指定とはまったく違う弾き方をしている部分があることに気がついたのは驚きだった。
夕食はひよこ豆入りのキャセロールだったのだが、キケロ(共和制ローマの哲人で名文家)は「ひよこ豆」という意味だと教えてくれた(彼女はラテン語のクラスでひたすらキケロの文章解析をしていてキケロのしつこさを憎んでいる)。



娘には毎日いろいろ経験させてくれて「ありがとう」と伝えている。
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