数多いシェイクスピアの作品の中でもとりわけ大好きな喜劇『十二夜』が、蜷川幸雄の歌舞伎初演出で、歌舞伎の殿堂で見事にしかも美しく花開いた。
嵐で難破した双子の兄妹のうち、妹のヴァイオラが男装したことで様々な取り違えが生じてくるのだが、歌舞伎では女形という既に存在する虚構があって、更にひとひねり加わることになる。シェイクスピアの時代の演劇では女形があったわけだから、決して奇異なことではなくて、オリジナルへの回帰とも言えるところが面白い。
今回の歌舞伎座公演では小田島雄志のダジャレ満載の翻訳を基に、今井豊茂が脚本を担当している。
時代設定は南北朝時代。登場人物の名前も、全て元の役名の「音」から逸脱しない程度に改名されている。
例えばヴァイオラ=琵琶姫(尾上菊之助)で、男装してシザーリオ=獅子丸(菊之助)となって仕える先がオーシーノ公爵=大篠左大臣(中村信二郎)。キューピッドの使者を男と勘違いして好きになるのがオリヴィア=織笛姫(中村時蔵)という風になる。
道化のフェステ=捨助(尾上菊五郎)もなかなか良い改名だ。
勿論、時代と名前の他に中身も歌舞伎の要素はふんだんに入っており、なかなか素敵な翻案で楽しめる。
定式幕が引かれると、舞台前面に張られた鏡に客席が映っている。蜷川らしい度肝を抜く演出である。驚くのはまだ早く、次の瞬間には咲き乱れる満開の桜が浮かび上がる。そこではチェンバロ演奏で三人の男の子が歌っている。音楽はエリザベス朝のメロディー(音楽=笠松泰洋)。美しく奇想に満ちた開幕であった。
次の場は嵐の海上。風雨を表わす太鼓の音に合わせて、舞台奥から大きな船が登場するスペクタクルな場面へと移行してゆく(装置=金井勇一郎)。
場面転換の多いシェイクスピア劇だが、回り舞台と鏡を多用した3幕18場、4時間半の長丁場である。歌舞伎調のセリフのテンポでは致し方ないことか?
また、通常の歌舞伎公演と異なり客電が消されるため、舞台照明が重要になるが、蜷川作品で数々のマジックを見せてきた原田保の腕が光る。
今回最大の収穫は、歌舞伎の奥の深さと歌舞伎役者の底力を思い知ったことである。
通常の歌舞伎公演の稽古が数日というのも驚きだが、今回の膨大なセリフ量のシェイクスピアでもたったの10日とのこと。ヒェ〜!である。
しかも、マイク無しで口跡明瞭。現代語訳のシェイクスピア劇より、よほど聴き取りやすいというこの不思議。恐るべし歌舞伎役者!
その一、菊之助。『十二夜』で、双子の兄妹の両方を同一俳優が演じるのを観たのは初めてである。それに勿論、偽装の男装があるので実質3役である。
早替りも鮮やか!そして、姿が上品で声が良い。男装していることをふと忘れ、娘心の微妙な綾を、自由に行きつ戻りつする倒錯した感覚は一種快感でもあった。
兄と再会する場面でのソックリさん登場は致し方なく、ご愛嬌ということにしておこう。
その二、菊五郎。今回は道化の捨助(=フェステ)と丸尾坊太夫(=マルヴォーリオ)という、これまた通常は別々の俳優が演じる正反対の役柄を早替りで見せてくれる。ダジャレ合戦など軽妙な語り口は絶品。
その三、中村時蔵。その気品と美しさ。
その四、尾上松緑。歌舞伎界の御曹司がここまでやるか、というくらい奇天烈なメイキャップと衣装の可笑しさ。
その五、市川亀治郎。コミック・グループ唯一の女性で、頼りない男どもを引っ張る賢くてお茶目な麻阿(=マライア)の存在感。
等など・・・取り上げればキリがない。
こんなに違和感のないシェイクスピアなら海外公演もOKだなと感じたのは、私だけではないはずだ。あの大掛かりなセットでは難しいかなあ〜?
歌舞伎の奥の深さを再認識すると同時に、宝塚歌劇は何故こんな最適な題材を放っておくのだろうか?という疑問も生まれる。『ベルサイユのばら』と同じく男装の女性がヒロインである。ハッピー・エンディングの祝祭ムードいっぱいのミュージカルに、是非とも木村信司あたりが脚色してくれないものか。
伝統の重みに串田和美、野田秀樹などの新しい血を吹き込み、今回は満を期しての蜷川投入で懐の深さを見せた歌舞伎。
ハマッテしまいそうな予感が・・・。
(2005-7-27 歌舞伎座にて butler)
嵐で難破した双子の兄妹のうち、妹のヴァイオラが男装したことで様々な取り違えが生じてくるのだが、歌舞伎では女形という既に存在する虚構があって、更にひとひねり加わることになる。シェイクスピアの時代の演劇では女形があったわけだから、決して奇異なことではなくて、オリジナルへの回帰とも言えるところが面白い。
今回の歌舞伎座公演では小田島雄志のダジャレ満載の翻訳を基に、今井豊茂が脚本を担当している。
時代設定は南北朝時代。登場人物の名前も、全て元の役名の「音」から逸脱しない程度に改名されている。
例えばヴァイオラ=琵琶姫(尾上菊之助)で、男装してシザーリオ=獅子丸(菊之助)となって仕える先がオーシーノ公爵=大篠左大臣(中村信二郎)。キューピッドの使者を男と勘違いして好きになるのがオリヴィア=織笛姫(中村時蔵)という風になる。
道化のフェステ=捨助(尾上菊五郎)もなかなか良い改名だ。
勿論、時代と名前の他に中身も歌舞伎の要素はふんだんに入っており、なかなか素敵な翻案で楽しめる。
定式幕が引かれると、舞台前面に張られた鏡に客席が映っている。蜷川らしい度肝を抜く演出である。驚くのはまだ早く、次の瞬間には咲き乱れる満開の桜が浮かび上がる。そこではチェンバロ演奏で三人の男の子が歌っている。音楽はエリザベス朝のメロディー(音楽=笠松泰洋)。美しく奇想に満ちた開幕であった。
次の場は嵐の海上。風雨を表わす太鼓の音に合わせて、舞台奥から大きな船が登場するスペクタクルな場面へと移行してゆく(装置=金井勇一郎)。
場面転換の多いシェイクスピア劇だが、回り舞台と鏡を多用した3幕18場、4時間半の長丁場である。歌舞伎調のセリフのテンポでは致し方ないことか?
また、通常の歌舞伎公演と異なり客電が消されるため、舞台照明が重要になるが、蜷川作品で数々のマジックを見せてきた原田保の腕が光る。
今回最大の収穫は、歌舞伎の奥の深さと歌舞伎役者の底力を思い知ったことである。
通常の歌舞伎公演の稽古が数日というのも驚きだが、今回の膨大なセリフ量のシェイクスピアでもたったの10日とのこと。ヒェ〜!である。
しかも、マイク無しで口跡明瞭。現代語訳のシェイクスピア劇より、よほど聴き取りやすいというこの不思議。恐るべし歌舞伎役者!
その一、菊之助。『十二夜』で、双子の兄妹の両方を同一俳優が演じるのを観たのは初めてである。それに勿論、偽装の男装があるので実質3役である。
早替りも鮮やか!そして、姿が上品で声が良い。男装していることをふと忘れ、娘心の微妙な綾を、自由に行きつ戻りつする倒錯した感覚は一種快感でもあった。
兄と再会する場面でのソックリさん登場は致し方なく、ご愛嬌ということにしておこう。
その二、菊五郎。今回は道化の捨助(=フェステ)と丸尾坊太夫(=マルヴォーリオ)という、これまた通常は別々の俳優が演じる正反対の役柄を早替りで見せてくれる。ダジャレ合戦など軽妙な語り口は絶品。
その三、中村時蔵。その気品と美しさ。
その四、尾上松緑。歌舞伎界の御曹司がここまでやるか、というくらい奇天烈なメイキャップと衣装の可笑しさ。
その五、市川亀治郎。コミック・グループ唯一の女性で、頼りない男どもを引っ張る賢くてお茶目な麻阿(=マライア)の存在感。
等など・・・取り上げればキリがない。
こんなに違和感のないシェイクスピアなら海外公演もOKだなと感じたのは、私だけではないはずだ。あの大掛かりなセットでは難しいかなあ〜?
歌舞伎の奥の深さを再認識すると同時に、宝塚歌劇は何故こんな最適な題材を放っておくのだろうか?という疑問も生まれる。『ベルサイユのばら』と同じく男装の女性がヒロインである。ハッピー・エンディングの祝祭ムードいっぱいのミュージカルに、是非とも木村信司あたりが脚色してくれないものか。
伝統の重みに串田和美、野田秀樹などの新しい血を吹き込み、今回は満を期しての蜷川投入で懐の深さを見せた歌舞伎。
ハマッテしまいそうな予感が・・・。
(2005-7-27 歌舞伎座にて butler)









