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久しぶりのパフィーのコンサート

今日ダーリンを連れて、パフィーのコンサートに行って来た。:)日本ではちょっと古いかも知らないが、僕はまだファンです。特には「これが私の生きる道」とか「Mother」とか結構好き。ある曲はBeatlesっぽいで、Beatlesが大好きな僕にちょうどいい。ダーリンが大体そのいい曲は奥田民生さんが作ったやつで、彼はBeatlesの影響が強いらしい。 それで、アメリカのアニメテーマをやってて、最近自分のアニメがCartoon Networkでやってるみたい。それでもっとアメリカ人のファンが増えてきた。だから、クリーブランドまでコンサートをやってた!満席じゃなかったが、結構楽しかった!

僕は五年前からパフィーのファンだ。最初パフィーの曲を聴いたのは多分ケース大のオービーのスペンスさんのアパートで誰か「アジアの純真」をカラオケした。ちょっと曲をスペンスさんに貰って、アメリカでベストのアルバムを出した時買った。そのごろ英語の曲は二つしかなかって、普通のアメリカ人が誰も知らなかった。それで、四年前の夏(留学する前の夏)はマクロソフトでインターンしたためシアトルにいてた。シアトルにいる間、パフィーがコンサートをやってて、日本行く予定の人(メールで話してた)と一緒に見に行った。聴視者の大部分は日本人だった。

今日の聴視者は全然違った。もちろん日本人がいった(知り合い4人くらいいた)がこのアメリカのアニメのテーマ曲しか知らなかったアメリカ人も見た。ある人は子供連れ。それで、この四年の間にアミとユミの英語がもうちょっと上手になった。前のコンサートと比べ、僕は大体全部の日本語で言ったことが分かったが。

インターネットで調べ、もうアルバム三枚ぐらいがこの間に出したことが気づいた。行く前、もう知らない曲ばかりかなと思ってたが、コンサートには僕が知ってた古い曲もやってた!嬉しかった!一番好きな「Mother」はやってなかったがそれはアコースティックギターの曲からしかたないかな(前のコンサートもなかった)。アンコール曲として「アジアの純真」もちゃんと出て来た。:) とても懐かしかった。

コンサートが始まった前、席がもう決まってるから、直接CDを買いに行った。そのお陰で、30枚限定のサイン付きの新しいアルバムをゲットした!ラッキー!結局全部CD3枚とTシャツを買ってしまった(ダーリンがTシャツを買ってくれた:) )。ダーリンがパフィーの前のバンドの5人全人のサインも貰った。Tally Hallと言うAnn Arbor, MIのバンドだった。

写真はここです。
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ただいま

僕が居なくなった噂は全部嘘でおじゃる。ただちょっと忙しかった。ブログを書けず間、色々あった。春学期が終わって(成績はまた全部Aだった)、ちょっと研究して、結婚式の準備のためカリフォルニア州へ行って、弟の高校卒業式のため直接故郷のトリード市へ行った。ちなみにオハイオ州の'Toledo'の民族は「トレド」じゃなくて「トリード」と発音する。スペインの'Toledo'は「トレド」と発音されてる。弟がクラスの400人ぐらいの中の2位('salutatorian'と言う地位)で卒業した。実は僕も(六年前やけど)同じ2位で卒業した。

兎に角、トリードに居た間、故郷・クリーブランドの友達と両親の友達のため結婚のパーティーをやってた。伝統の「bridal shower」と言う女性だけのイベントの代わりにこれをした。母は普通にbridal showerでやることがちょっと馬鹿らしいと思ってたし、普通のパーティーにした。

そしてそれから、クリーブランドに帰らずカリフォルニア州に戻って、最後の結婚式の準備をした。詩を翻訳したり、プログランを作ったり、ネームカードを作ったり、二人の子供の写真と一緒の写真のポスターを作ったり過ごした。やっと6月10日問題なく正式的に夫婦になった。:) 前から一緒に暮らしてたから、生活が凄く変わったと言えないけど、一番「結婚してる感じ」がするのはやっぱり結婚指輪じゃ。僕が持ってた指輪の第二目だけで、前の指輪は高校の「クラスリング」で、大き過ぎてあまり着なかった。亜米利加の高校ではよく彼氏・彼女の間にこのリングを交換するけど、高校時代正式的彼女も居なかったし。まだ両親の家にどこかに置いてるはず。

それで、結婚式の次の日から、ダーリンの家族が折角日本から来て頂いたから、新婚旅行を始まる代わり、家族旅行した。皆で旅行は楽しかった。サンフランシスコとか、ビーチとか亜米利加海岸しかいないセコイアの森(redwood)などに連れて行った。昔、ダーリンのお姉さん達は一ヶ月半ぐらいカリフォルニア州へ留学したから、その大学に行った。いい通訳の練習になったし。:) 皆が帰ってから、二日間ぐらいの新婚旅行もちゃんと行って来た。ダーリンの憧れたタホー湖(Lake Tahoe)に行った。(写真まだ載せてない気がした… … もうちょっと待って頂きます) タホー湖の三分の四の周りを運転したり綺麗なところだった。

今日はここまでかな。;) 載せてない写真の山も頑張ります!
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助かった

今日は久しぶりにパーティーを家でやってて、アレックスがタイ料理をみんなに作ってくれた。僕とダーリンの忙しかった学期がやと終わった!昨日も今日の朝からも大掃除やってて、それが大体終わって、ちょっとぐらいリラックスを出来るになったようや。会話クラブに行って、みんなと喋ったりした。だが、会話クラブの前にダーリンと一緒に買い物をやって直接会話クラブに行った。雨が結構激しく降り始まってヘッドライトを付けた。それで、ダーリンが僕の車を運転して僕の車のヘッドライトのスイッチがダーリンのと逆の方に消して、雨が凄かった。と言うことで、ダーリンがアレックスと早く帰った後、僕の車がスタート出来へんかった。みんながもう家に来てるし、こんなに激しく降ってるから、取り得ず会話クラブが集まるArabicaという喫茶店の店員に相談して(撤去しないよって言ってくれた)帰って、パーティーを行った。雨での車のジャンプスタートが危ないと思って。天気情報によって火曜日までずっと雨が書いてて、みんなが帰ってから(もう11時半)、雨降ってなかったので、ジャンプスタートをやりに行った。

両親に貰ったジャンプスタートのカブールがちょっとぼろぼろので、最初やった時ちゃんと始まらなくて、一つの持つところが焦げ始まって、エンジンがちゃんと始まらなへん。それで、直そうとしたが、また始まらなへん。喫茶店も閉まってたが、隣の飲み屋さんがまだ開いてたごろやり始まった僕ら。2〜3回失敗してから、一人の飲み屋さんのお客さんが手伝ってくれてそれも失敗やった。その後もう一人が自動車整備工さんが居て、こういうふうにやってみてと言われて、それも結局あかんかったから、このPhilさんと言う自動車整備工が隣の店から(外に座って飲んでて前から見てた)来て頂いた。ビールを持ちながらカブールの接続が悪いことをすぐ分かってた。カブールが繋げったところを直して頂いてからすぐエンジンがちゃんと付けられた。Philさんが居なかったら、どうしようと思っててとても助かった!彼とちょっと話して、先友達とパソコンの無線接続について文句を言っててその「デジタル」の問題より車の「アナログ」の問題の方がよく分かってた。彼が昔電気工学・整備工をやってて、最近生物燃料(biofuel)の会社をやってたと言った。僕はちょっと無線インターネットについて相談した。
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発表終了

クラスプロジェクト発表は今日やった。今学期の「Web Mining」と言う授業のため、僕の写真データベース・ウェブサイトに新しい疑問言語(query language)と「WordNet」と言う英語の言葉の網状組織を入れることやった。といったら、言葉を同義語のセットに入れていて、同義語のセットの色々な繋がりがある。「AはBの一つ」とか「AはBの部分」とかのような繋がりもある。と言うことはRisuPicWebの新しいバージョンは半分写真データベース・半分辞書のようなことになった。今はプロトタイプ・システムだけで、来週新しいソフトをマインサーバーに入れよう。僕の写真整理の一つの使ってる方法は同じ写真を複数の意味階層に入れることで、全部の階層を自分で作るの代わり、偉い心理学者・言語学者が作ったやつを使ってみようと思ってた。まだ完璧じゃないが、ちょっと面白いもの作ったと思ってる。

この新しい疑問言語は写真のメータデータ(metadata;情報についての情報)と階層とキーワードを同時に検査ことが出来る。
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太鼓

今日は林 英哲を見に行った。CSUの交響楽団とオルガンと一緒にやってて、林さんの太鼓は凄かった。だが、最初の二つの曲は交響楽団だけであって最後の曲だけは林英哲さんがやってた。林さんが昔Kodoと言う世界的な太鼓楽団のリーダーやってて、1982年からソロ活動をやってて、色々な音楽のジャンルも色々な有名な指揮者・演奏者と一緒にやったことがある。今年はオハイオ州からお金をもらってて、クリーブランドの辺に教えたり演奏したり。林さんが結構カッコよかった。終わってもまだ体に太鼓の響きが残ってる。

写真はここにある。
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もう春か

ブログを書けず、もうすっきり春になったな。最近花が咲いた木などの写真をいっぱい取ってる。何故大学時代(特に1・2年生のごろ)あまり何も気づいてなかったことを今の僕にはちょっと不思議やな。まーそういえば高校時代もあまり気にしながった。今学期はもう大体終わって、後は金曜日のプロジェクト発表・デモやが、もうプロジェクトが完成のであまり気にしていないや。だが、もう「休み」って感じでもない。また最後の採点(最悪)が残って、今日までの先生のため学会のペーパーを批評しなあかん。それで、期末ごろからこの2・3週間の間あまり研究が進んでない。結婚式も少しずつ近付いてる。もう四つの結婚贈り物を頂いたり(ありがとうございます!)。ペーパーを読まむ!
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また行って来る…

昨日(火曜日)お祖父ちゃんが亡くなった。もう先週間前から水以外を食べてなくて段々弱くなってきたが、それでもちょっとショックやった。一ヶ月前に会いに行ってよかった。そのごこはまだ自分の力で歩けたし(でもすぐ疲れてきた)いい話ができたし座って話したらいつものお祖父ちゃんって感じがした。もとは(クリスマスのごろ)結婚式はお祖父ちゃんに頼まれた(ジョー叔父さんの結婚式をやってた)。去年の夏は病気になったが、もう元気になって大丈夫と思ってたが、癌があったことが気づいたの一ヶ月前から血を吐いてたことを聞いた。それで一ヶ月また全然元気で突然弱くなってきた。そういう二月のごろ、僕と父は会いに行った。ダーリンは学校があってから、二日間後(週末)ダーリンも来た。その時、どうになるか分かってなかったから、通り得ず結婚の祈りをお祖父ちゃんに頂いて帰った。癌ではある人はそういう状態で長生きで、ある人はすぐなくなるし。病院の先生は叔母さんに6ヶ月〜一年間あると言った(本人には言ってないが)。癌はもうステージ4やった(もう他のところに広げてる)。お祖父さんが来れる可能性を上げるため、式をはやみにやることにした。会いに行った時、お祖父ちゃんはちゃんとやれるかどうか知らないから、他の人をバックアップとして頼んで下さいと言って、母の妹が聖職者やから、その叔母さんにも頼んだ。

お祖父ちゃんの健康が段々弱くなってる間、突然お祖父ちゃんのところで雪が降った。カリフォルニア州に山麓の丘の谷に住んでて、雪がめったに降らない。ほんまに全然降らなへん感じで、突然3インチぐらい降った!会いに行った時、ちょっと雪が降るかもって話を聞いて、お祖父さんがちょっと雪見たいって言った。ということで、なくなる前また雪が見れた。だが、結構酷い嵐やって、町までの道(大体砂礫の道)には20本ぐらいの木は倒れて、一日か二日間ぐらい電子もなかった。お祖父ちゃんが使ってない家(持ってる土地では二つの一階の家がある)の増築の部分が大きい木で元々の家から離された(木が倒れてその部分を上げた)!その嵐のダメージを直すためちょっと期間・努力かかる。元々の予定はあそこで式をやることやった。お祖父ちゃんの健康の上に嵐のダメージで母の母の故郷(サンフランシスコ湾の周辺)でやることになった。ちなみにお祖父ちゃんは父の方で、母の父が僕が十歳ぐらい亡くなって、父の方は思いがある。両方のお祖母ちゃんたちはまだ元気や。結局に母の母(「お祖母ちゃん」よりそういう風にいう)の家でやることになった。お祖父ちゃんがなくなっても、なくなったこそ、お祖父ちゃんのためにちゃんと式をやろうと決心した。お祖父ちゃんの祈りをカメラで登録した(音付き)。弱くて来れない可能性が高いごろ、お祖父ちゃんにスピーチを書いてもらうと思ってたが、叔母ちゃんに聞いて、残ってるエネルギーはもう他のことで忙しいそうだ。考えて、登録してといた祈りを見て(見ながらちょっと泣きそうになったが)、音がはっきり聞こえた。

先週の金曜日ぐらい電話して二分ぐらい電話でお祖父ちゃんと話せた。十分水を飲んでないから、ちょっと言葉が分かりにくかったが、話ができてよかった。今回は「I'm not doing so well, buddy.」と言った。前の時は叔母ちゃんからお祖父ちゃんがあまりよくなくても、僕にはもうちょっとpositiveのことを言ってた。はっきり言った。結婚式のお祖父ちゃんの部分として、登録した祈りの音を使う許可を頂いた。それで「私の祈りは版権がないよ」といつものお祖父ちゃんように冗談してくれた。祈りがちゃんと登録したことを知ってて、お祖父ちゃんはちょっと安心したって感じやった。もちろん本人の方が結婚式来て欲しかったが、こういう技術で魂だけでなく声でも参加出来るようになった。それで、電話で僕がお祖父ちゃんに誇ってると伝えて、お祖父ちゃんが僕に誇ってると言ってくれて、「I love you grandpa.」と言ってそれは返してくれて、さよなら言った。それは最後の話す時をなんとなく知ってた。

父が日曜日ヨーロッパからちょっとはやめに帰って、直接カリフォルニア州に行った。父が間に合ってよかった。僕は最後に来れなかったが、火曜日の朝(朝4:15ぐらい)、お祖母ちゃんと全部の6人の子供(父と妹二人と弟三人)がすぐそばにいながら、亡くなりました。先週大部分のunfinished businessが片付いて、最後に安らかな感じになったそうだ。いい食事を食べた後ちょっと満足した動物(アメリカ先住民のようにシャーマンやって、自分の力の動物のような声かな)みたいな鳴き叫びをよくやった。亡くなるすぐ前またその「満足した」叫び声を再び出したそうだ。それをやってから、静かになっててついに息が止まった。「いい人生やったよ」のように亡くなったお祖父さん。

それがあってから45分ぐらい僕が父からのメールで知らせた。その日、発表を準備するため、普通により早く起きて、届いた瞬間何とか起きてた(時差があるから、ここの朝8時ぐらい)。GoogleTalkの新着メール知らせが最初の文がよめるので、それで分かってて、父のメールを二回ぐらい読んだ。

先月の一緒にいった時を大切にしてる。それも最後にお祖父ちゃんに話したかったことも伝えてよかった。明日(と言ってももう今日)飛行機でまたカリフォルニア州に行くことになった。葬式は金曜の朝で、日曜日の朝(red-eye flightで)クリーブランドに戻る予定や。それを書くため時間かかって、もう三時間ちょっとしか寝られない。
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筋肉痛

昨日、アレックスと一緒に柔道の練習に行った。他の友達がずっと前から行ってて、アレックスは彼女の影響で一ヶ月半からやってる。僕はそう言う武術の経験は全然なかった。あることを知らへんかった筋肉が今日硬くて痛い。でも、いい運動になったな。

...

完全に直るたま四日間ぐらいかかった。運動不足ってことかな。
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色々

前のちゃんとしたブログを書いてから、色々あったから、その間のことを書こう。

最初はカリフォルニア州に行って来た。お祖父さんは本当に癌があったが、着いたところはもう検査大体終わって退院した。完全にどういう物を分かるため、また検査する予定があったが、肺に危険やって、結果によってどういう化学療法を使うだけ分かる。お祖父さんは化学療法をやりたくなくて、それをせずに家に帰った。確かに二週間前と比べるとエネルギーが少ないが、まだ自分の力で歩けるが、すぐ疲れて来る。座って話したら、前とあまり変わってないって感じやった。ちょっとエネルギーがあったが、結婚式についても話して、お祖父ちゃんの祝福ももらって帰った。お祖父ちゃんが参加出来る可能性をあげるため、とりえず早めに式をやろうにした。と言うことで今年の夏の6月10日にした。お祖父ちゃんがあまり手伝えない場合のため、長老派教会の聖職者やってた叔母さんにも頼んだ。式場はお祖父ちゃんたちのところでやろうにした。カリフォルニア州のサンフランシスコ市から車で2時間半ぐらいちょっと田舎のところで、お祖父ちゃんが綺麗な谷に60エーカーくらい(約73000坪)土地を持ってる。

研究のことやけど、論文を出そう学会が締め切りを延長して、先生が問題あったことに前の研究の部分を使って、帰ってからまた実験をやって、やっとペーパーをちゃんと出せた!:) それが先週の日曜日出してから、クラスのプロジェクトのため月曜日を一所懸命やってて、火曜日プロジェクトの進行報告書を発表して、水曜日はデータベースの授業のため、採点した。最近は結構忙しくてある日は遅くまでやってる。そういう時は未だ大学生って感じ。大体大学院生になってから、大学時代よりよく寝てる。大学時代よりよく難しいものを読んで考えたりしてるから、睡眠不足であまり進まなへん。

その他に最近古典文法を自分で勉強してる。皆、古文読まむ(読みましょ)!先学期、日本語の授業ではちょっと源氏物語と枕草子を読んだが、基本文法を知らないとやっぱりあまり分からん。正月日本に行った間、ダーリンが「基礎からわかる古典文法」と言う本を見つけてくれた。去年古文の本を買ったが、受験生のためのやつで、問題なる文法しか説明しかなかって、あまり役に立たなかった。でも、「基礎から…」のやつは結構いい本で、ほんまに始めから教える。今のとこは古典の動詞活用をわかるようになった。動詞の課を半分ぐらい読んだ後、枕草子の最初の二ページぐらいを読んでみた。動詞の活用だけで、ある文は現代日本語とそんなに変わってない感じがするが、ある文は全く分かず。

注意・今からこのブログはたまに古文も使うので、ご注意下さい。
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芝居ってたまに行くのは楽しいな

今日はちょっとゆくり出来るので久しぶりに日記を書く。今晩は大学でやってた芝居をダーリンと見に行った。二年前(まで大学時代)の元クラスメートが演劇の専門で昨日・今日卒業プロジェクトのため、芝居を監督した。芝居は平家物語の部分の「ゆや」という能劇で、三島由紀夫氏が現代(といったら1959)の東京に動いた話である。それで、英語翻訳でやってた。と言うことはほんまに日本の伝統芸と西洋現代演劇の合わせたものやった。大体能劇じゃなくて、普通の芝居って感じやったが、たまに能の部分も出てた。例えば、やってた劇場はちょっと小さくて、観客が三つの方面に座って、能劇場のように四つの柱があって、俳優さんが歩いてたところがちょっと能っぽかった。さらに扇子もあった。後で聞いたら、二日間前に扇子を使おうと決めたが、とても自然やったから、ずっと前からの予定に見えた。
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