歴史に絡んだ本を読んだ場合、フィクションの枠ならば「本」カテゴリーで、ノンフィクションは「歴史」カテに入れている。
まとめて2冊ぶん+アルファ。
『残酷な王と悲しみの王妃』 中野京子 集英社
ウェブ連載の単行本化。私はメアリ・スチュアートの章しか読んでなかったので、まとまって嬉しい。
メアリ・スチュアート、マルガリータ・テレサ、イワン雷帝、ゾフィア・ドロテア、アン・ブーリン。
この中で、波乱万丈ぶりの最も激しいのはメアリに対して、平穏なのがマルガリータだろう。本人は平凡だけどベラスケスの絵画の中で有名だ。有名な作品は子供だからまだいいけど、大きくなって顔が長くなってあのいかにものハプスブルク顔になってからははっきり言って見苦しい・・・と思うのだけど、そんなことは本人の幸せとは関係ないだろうな。
イワンの6人目の妻の不貞(冤罪?)のあと、7人目の妃について言及するまえに、
「その前に、実はもうひとり妃がいたとの説もある。新床で処女でなかったとわかり、即、死刑。よって数のうちにカウントされなかった由。 ワシリーサに続き、またもイワンは夫としてまた男としても「名誉を踏みにじられ」、「気の毒」、と同情する後世の男性歴史家がいたのには驚いた」という記述は、著者に対して同性どうしの親愛の情を覚える(「女性の視点」という言葉を安易にふりかざすことは嫌いだが)。 7,8回結婚してだれも幸せになってないって、ヘンリー8世よりもすごい数だ。
ジョージ1世妃ゾフィア・ドロテア、不貞のかどで幽閉されたまま死んだ彼女の呪いでジョージが急死したというのは伝説だとこの本では書かれていて、私も実のところはなにか報いくらいあってほしいと思う一般人の一人であるけど、こういう冷静さがこの本の良いところだとも思う。 この人々の話は映画などになっていないのだろうか。 つくづくジョージ1世ってヤな奴だと思った。
『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』by木村泰司 光文社新書
先月の新刊。
中世末期から20世紀まで、西洋史上の有名人の主として美女の肖像を観察しながらの歴史語り本。傾向としては『名画で読み解く〜』に近いもの。
断片的に。
・ティツィアーノのイザベッラ・デステ、意志の強そうなまなざしで、いかにも才女という感じ。
・シャルル7世の寵姫アニエス・ソレルを描いた『ムランの聖母子』はひじょ〜に気持ち悪い! 背景の朱色の天使群が不気味。そして、両の乳房がこんなに離れているのは人間の体として不自然極まりないのではないのか。
・『狩の女神のディアーヌ』といい、『ガブリエル・デストレとその姉妹ヴォヤール公爵夫人とみなされる肖像』といい、(同じ「フォンテンヌブロー派の画家」の作品だけど)なんでこんなに寸胴なんだろう、こんなのが時代の好みか。現代人の「ボン・キュッ・ボン」とは程遠い・・・。
・ナティエの絵で見ると、王女アデライードやヴィクトワールは父ルイ15世に似て美しい。『ベルばら』では根性悪のばーさんになってしまってるけど。ロココ絵画は、リアルさがほどほどで、色調がソフトで受け入れやすい。
・シシィの絵が特に有名なヴィンターハルターは、モデルを表面的に美化するだけで内面まで映さないとして美術史上の評価が低いという、そう言われればなるほどと思う。でも、このうつくしさはやはり捨てがたいと私は思うね。
以下、『ハムレットは太っていた!』で興味をひいた部分の引用。
・ルネサンス演劇では、デンマーク人は、「骨太デンマーク人」だの「息切れデンマーク人」だのと呼ばれていて、太っているとされていた。当時デンマークは、酒呑みと大食で知られていたのだ。
・「ヘラクレスといえば、ギリシア神話中の最大の英雄であり」
「当時、むずかしい仕事といえば、すぐヘラクレスの十二の功業が連想された。
「ヘラクレスのようになる、ということは、完全無欠な男になるということであった。ルネサンスの理想的男性像は、肉体的強さと精神的強さを兼ね備えたヘラクレスとしてイメージされることが多かったからである。
以上、いつかタネにするつもりだったけどその機会を見つけられなかった。年内に投下をすませてしまう。 しかしなぁ、ローマ史から言えば、ヘラクレスといって連想するのはアントニウスとコモドゥスなんで、どうもバカのイメージになってしまう〜。
まとめて2冊ぶん+アルファ。
『残酷な王と悲しみの王妃』 中野京子 集英社
ウェブ連載の単行本化。私はメアリ・スチュアートの章しか読んでなかったので、まとまって嬉しい。
メアリ・スチュアート、マルガリータ・テレサ、イワン雷帝、ゾフィア・ドロテア、アン・ブーリン。
この中で、波乱万丈ぶりの最も激しいのはメアリに対して、平穏なのがマルガリータだろう。本人は平凡だけどベラスケスの絵画の中で有名だ。有名な作品は子供だからまだいいけど、大きくなって顔が長くなってあのいかにものハプスブルク顔になってからははっきり言って見苦しい・・・と思うのだけど、そんなことは本人の幸せとは関係ないだろうな。
イワンの6人目の妻の不貞(冤罪?)のあと、7人目の妃について言及するまえに、
「その前に、実はもうひとり妃がいたとの説もある。新床で処女でなかったとわかり、即、死刑。よって数のうちにカウントされなかった由。 ワシリーサに続き、またもイワンは夫としてまた男としても「名誉を踏みにじられ」、「気の毒」、と同情する後世の男性歴史家がいたのには驚いた」という記述は、著者に対して同性どうしの親愛の情を覚える(「女性の視点」という言葉を安易にふりかざすことは嫌いだが)。 7,8回結婚してだれも幸せになってないって、ヘンリー8世よりもすごい数だ。
ジョージ1世妃ゾフィア・ドロテア、不貞のかどで幽閉されたまま死んだ彼女の呪いでジョージが急死したというのは伝説だとこの本では書かれていて、私も実のところはなにか報いくらいあってほしいと思う一般人の一人であるけど、こういう冷静さがこの本の良いところだとも思う。 この人々の話は映画などになっていないのだろうか。 つくづくジョージ1世ってヤな奴だと思った。
『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』by木村泰司 光文社新書
先月の新刊。
中世末期から20世紀まで、西洋史上の有名人の主として美女の肖像を観察しながらの歴史語り本。傾向としては『名画で読み解く〜』に近いもの。
断片的に。
・ティツィアーノのイザベッラ・デステ、意志の強そうなまなざしで、いかにも才女という感じ。
・シャルル7世の寵姫アニエス・ソレルを描いた『ムランの聖母子』はひじょ〜に気持ち悪い! 背景の朱色の天使群が不気味。そして、両の乳房がこんなに離れているのは人間の体として不自然極まりないのではないのか。
・『狩の女神のディアーヌ』といい、『ガブリエル・デストレとその姉妹ヴォヤール公爵夫人とみなされる肖像』といい、(同じ「フォンテンヌブロー派の画家」の作品だけど)なんでこんなに寸胴なんだろう、こんなのが時代の好みか。現代人の「ボン・キュッ・ボン」とは程遠い・・・。
・ナティエの絵で見ると、王女アデライードやヴィクトワールは父ルイ15世に似て美しい。『ベルばら』では根性悪のばーさんになってしまってるけど。ロココ絵画は、リアルさがほどほどで、色調がソフトで受け入れやすい。
・シシィの絵が特に有名なヴィンターハルターは、モデルを表面的に美化するだけで内面まで映さないとして美術史上の評価が低いという、そう言われればなるほどと思う。でも、このうつくしさはやはり捨てがたいと私は思うね。
以下、『ハムレットは太っていた!』で興味をひいた部分の引用。
・ルネサンス演劇では、デンマーク人は、「骨太デンマーク人」だの「息切れデンマーク人」だのと呼ばれていて、太っているとされていた。当時デンマークは、酒呑みと大食で知られていたのだ。
・「ヘラクレスといえば、ギリシア神話中の最大の英雄であり」
「当時、むずかしい仕事といえば、すぐヘラクレスの十二の功業が連想された。
「ヘラクレスのようになる、ということは、完全無欠な男になるということであった。ルネサンスの理想的男性像は、肉体的強さと精神的強さを兼ね備えたヘラクレスとしてイメージされることが多かったからである。
以上、いつかタネにするつもりだったけどその機会を見つけられなかった。年内に投下をすませてしまう。 しかしなぁ、ローマ史から言えば、ヘラクレスといって連想するのはアントニウスとコモドゥスなんで、どうもバカのイメージになってしまう〜。









