Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

8/4(金)上野 de クラシック/瀧村依里/世界の名曲小品を集め上品で柔らかな音色が聴く者の共感を生む優しい音楽

2017年08月04日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
上野 de クラシック 瀧村依里(ヴァイオリン)
UENO DE CLASSIC 東京音楽コンクール入賞者によるクラシックコンサート


2017年8月4日(金)19:00〜 東京文化会館・小ホール 自由席 B列 20番 1,000円
ヴァイオリン:瀧村依里
ピアノ:入江一雄
【曲目】
チャイコフスキー:『なつかしい土地の思い出』より第3曲「メロディ」
クロール:バンジョーとフィドル
クライスラー:シンコペーション
クライスラー:中国の太鼓
クライスラー:愛の悲しみ
ブラームス:「F.A.E.ソナタ」より 第3楽章「スケルツォ」
ガーシュウィン:歌劇『ポーギーとベス』より「サマータイム」
ドビュッシー:美しい夕暮れ
ドビュッシー:ゴリウォーグのケークウォーク
ラヴェル:ツィガーヌ
《アンコール》
 ガーシュウィン:歌劇『ポーギーとベス』より「ベス、お前は俺のもの」

 東京文化会館の小ホールで長い間開催されてきた「モーニングコンサート」が今年2017年の4月から若干衣替えして、新しく「上野 de クラシック」というシリーズに変わった。東京音楽コンクールの入賞者によるリサイタル形式のコンサートという点は変わらないが、モーニング(11:00〜12:00)だけでなく、マチネー(14:00〜15:00)やソワレ(19:00〜20:00)も加わり、幅広い聴衆層に対応した。自由席であることは変わらないが、チケット料金は500円〜1,500円と幅を持たせ、アーティストによって、あるいは出演者の数などによって変化を持たせている。

 今回はヴァイオリンの瀧村依里さんのリサイタル。瀧村さんは「第3回 東京音楽コンクール(2005年)」の弦楽部門の第1位という立場での出演となるが、現在の私たちには、読売日本交響楽団の第2ヴァイオリンの首席奏者としてよく知られている。彼女は、東京藝術大学の附属高校を経て同大学を首席で卒業、同大学院修了後、2011年よりウィーン国立音楽大学の大学院に留学、2013年に修了している。国内では、2008年の「第77回 日本音楽コンクール」のバイオリン部門で優勝している。紀尾井シンフォニエッタ東京の2009/2010年シーズン・メンバーとなり、2010年度のCHANEL Pygmalion Days Artistに選出されている。そして2015年1月より読響の第2ヴァイオリンの首席奏者を務めている。
 私は、現在は読響の「名曲シリーズ」と「土曜マチネーシリーズ」の定期会員になっていて、それぞれ3列目のセンターと最前列のコンサートマスター前の席を持っているので、第2ヴァイオリンの首席で演奏している瀧村さんは毎回見えるところにいる。ただ、第2ヴァイオリンという性格上、個人の音を聴く機会は滅多にないので、今日はたっぷりと彼女の音に親しめると楽しみにしていた。過去には、2013年8月に、CHANELでの単独のリサイタルを聴いたことがあるだけ。今日は4年ぶりの2度目のソロなのである。

 共演のピアニスト、入江一雄さんは瀧村さんとは藝高、藝大、藝大大学院の同級生で、同じ2008年の「第77回 日本音楽コンクール」のピアノ部門で第1位を獲得している盟友である。CHANELのリサイタルも彼がピアノで共演していた。


 今日は開演の45分前に来たのに既に20人くらい並んでいたが、うまい具合に2列目のセンター左サイドの席を確保できた。ちょうどヴァイオリニストの立ち位置のほぼ正面になり、視覚的には遮られることなく瀧村さんの全身が見える位置。ヴァイオリンの音が最も良く聞こえる位置だ。同時にピアノは鍵盤側になるため音は若干弱まるものの、ヴァイオリンとのバランスは良いはず。音響的に優れた東京文化会館・小ホールでヴァイオリンのリサイタルを聴くのであれば、ほぼ最高の位置だといえる。

 さて本日のプログラム。上記を見れば分かるように、ヴァイオリン曲の小品、名曲を集めている。盛りだくさんのようにも見えるが、短い曲が多いので、1時間のコンサートとしてはトークを交えてちょうど良いくらいの分量だ。
 
 1曲目はチャイコフスキーの『なつかしい土地の思い出』より第3曲「メロディ」。瀧村さんと入江さんの演奏を聴くのは4年ぶりとなるが、前回のCHANELと決定的に違うのは、ホールの音の響きの良さ。瀧村さんのヴァイオリンは、繊細で透明感のある音色を持っていて、聴く者を包み込むような優しさが感じられる。だから柔らかく響くこのホールの音響はピッタリだ。感傷的で甘美なメロディのこの曲が、角の取れたまろやかな音色で歌われていく。

 2曲目はクロールの「バンジョーとフィドル」という曲。ウィリアム・クローク(1901〜1980)はアメリカのヴァイオリニストで作曲家。バンジョーという楽器がクラシック音楽に登場したのを聴いたことはないが、いわばアフリカ系アメリカ人の作り出した民族楽器のようなもので、カントリー&ウェスタンなどでは頻繁に使われている。日本では1970年代のフォークソング・ブームの時などはよく見かけたが、最近ではほとんどお目にかからないような気がする。一方のフィドル(fiddle〜英語)は、楽器としてはヴァイオリンと同じものだが使われ方が違う。いわゆるクラシック音楽ではない民族音楽などで使用されるヴァイオリンを指していて、ヨーロッパや北アメリカで広く使われている。ブロードウェイの有名なミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』は、邦題ではヴァイオリンとなっているが原題は『Fiddler on the Roof』であり、ウクライナのユダヤ教徒の物語。フィドルは民族楽器なのである。
 この曲は、バンジョーを掻き鳴らすようなピツィカートと、フィドル奏法のようなボウイングが楽しいカントリー・ミュージック風の曲である。中間部はロマンティックな曲相でクラシック音楽風になる。瀧村さんの演奏は、軽快で実に楽しげ。明るく屈託のない音色が、聴く者の笑顔を誘うようだ。

 続いてはクライスラーの小品を3曲続けて。ウィーンに留学した瀧村さんは、現地でクライスラーを聴いたり学んだりしたのだろうか。いかにもウィーン風といった小粋なクライスラーは、ヴァイオリン音楽の中でも宝石のような輝きがある。
 「シンコペーション」は、のんびりした雰囲気の演奏で、午後の日だまりのような、ホッとする温かみのある演奏だ。
 「中国の太鼓」は超絶技巧的な曲なので、テンポを早めてグイグイ押し出せばかなり派手な曲になるが、瀧村さんの演奏はひと味違った大らかさがある。技巧は確かだが、あまり技巧を感じさせない弾き方で、全体的にマイルドに仕上がりなのだ。何だか人柄が滲み出ているようであった。
 「愛の悲しみ」は穏やかな優しさに包まれたような雰囲気の演奏で、悲しみもさほど強くなく、センチメンタルな乙女心といった感じ。やはり聴く者を包み込むような優しさは瀧村さんの音楽の特長であろう。

 続いて前半の山場として、ブラームスの「F.A.E.ソナタ」より 第3楽章「スケルツォ」。まあ、知っている人も多いとは思うが念のために述べておくと、この曲は高名なヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムがモットーとしていた「自由だが孤独に(Frei aber einsam)」の頭文字を取って名付けられたもので、アレグロ〜間奏曲〜スケルツォ〜フィナーレの4楽章から成るヴァイオリン・ソナタである。ディートリヒ(第1楽章)、シューマン(第2、第4楽章)、そしてブラームス(第3楽章)の3人の合作であり、ヨアヒムに献呈された。つまり、ブラームスが作曲したのは第3楽章の「スケルツォ」だけなのである。この「スケルツォ」はヴァイオリンの名曲のひとつでしばしば演奏されるが、「F.A.E.ソナタ」全曲が演奏されるのはこれまでに一時しか聴いたことがないくらい。
 瀧村さんの演奏は、これまでとはやや一変して、激情的なブラームスの内面が描き出されてくる。スケルツォ主題には強い意志の込められたエネルギーが表出され、力強い。一方で中間部は抒情性がしっとりと描かれ、ロマンティックに歌い上げる。この対比が定まらない心の葛藤を表現しているようで、なかなか聴き応えのある演奏であった。

 後半、といっても休憩なしの1時間のコンサートなので、そのまま続行となるが、まずはガーシュウィンで、『ポーギーとベス』より「サマータイム」。オペラ自体は1935年にボストンで初演たれた後、ブロードウェイで成功を収めロングランとなった作品。第1幕の冒頭で漁師の妻クララが歌うアリアが「サマータイム」で内容は生活の苦悩を綴った子守歌である。オペラ・アリアとしてソプラノ歌手の定番曲のひとつになっているだけでなく、ジャズやポップス、ロックなどジャンルを超えた音楽に編曲され、世界中で親しまれている。クラシック音楽の世界ではヤッシャ・ハイフェッツが『ポーギーとベス』の中から6曲を抜き出して編曲したものが定番となっていて、数少ないアメリカ系の音楽として人気が高い。瀧村さんの演奏は、原曲の持つ悲惨な黒人社会の環境を表現する悲しげな音色に変わりつつも、むしろハイフェッツの編曲による洗練されたヴァイオリンの表現技法を的確に弾き、そこに優しい情感を乗せたような表現であった。

 続いてはガラリと雰囲気を変えて、ドビュッシーの「美しい夕暮れ」。この曲は元は歌曲で歌詞があるから表現される内容は決まっている。こちらもハイフェッツの編曲が素晴らしい。歌詞がなくても情景が目に浮かぶようである。近代的な和声に彩られたピアノの分散和音に乗せて、弱音器を付けたヴァイオリンが揺らめく夕日のある風景の空気感を見事に描いている。瀧村さんの演奏は、過度な思い入れに浸ることなく、むしろ淡々とした印象でもあるが、その分だけ楽曲の持つ本質的な美しさを素直に表現していたように思う。

 続いては同じドビュッシーで「ゴリウォーグのケークウォーク」。これは子供のために作曲されたピアノの組曲『子供の領分』の最終曲で、ゴリウォーグは黒人少年のキャラクタの名前でケークウォークはダンスの一種。こちらもヴァイオリン版はハイフェッツの編曲である。絵本の中から飛び出してきた楽しげな音楽は、瀧村さんの明るく屈託のない音色にピッタリである。重音やピツィカートを多用した小粋な編曲はいかにもハイフェッツだが、瀧村さんの演奏も明瞭で弾むよう。素敵な演奏である。

 最後は、ラヴェルの「ツィガーヌ」。最近、この曲を聴く機会が立て続けにあって、そうなると演奏する人によって異なる個性が浮き彫りになる。描かれているのはいわゆるロマの音楽ではあるが、表現のアプローチは演奏者によってかなり違ってくる。とくに前半のヴァイオリンの独奏部分は自由度が高くなるため、個性が出やすい。瀧村さんの演奏は、全体的にはやや柔らかめで、マイルドな仕上がり。ロマの音楽の生々しい民族性をガリガリと前面に押し出すような描き方ではなく、どちらかといえば最先端のフランス文明というオブラートでくるんだようなイメージだろうか。ピアノが入って来る後半は幾分力感が増して、アグレッシブな部分が顔を見せるようになる。また高度な技巧が要求される曲でもあるが、瀧村さんはサラリとした調子で、実際には丁寧に弾いていたように感じた。

 アンコールは、先ほども登場したガーシュウィンの『ポーギーとベス』より「ベス、お前は俺のもの」。しっとりとした情感に包まれた、美しく切なげな演奏に瀧村さんの人柄が表れているようであった。


 終演後、大勢のファンや関係者の方々が待っている中、瀧村さんと入江さんがホワイエの方に出て来られた。リサイタルの後のお馴染みの光景である。瀧村さんは、普段は読響の首席としてほとんどの公演に出演しているので、かなり忙しい日々を送っていることだろうと思う。オーケストラのコンサートでは、ファンとの交流の時間もほとんど取れないと思うので、今日のようなリサイタルでは大勢の人が集まることになる。
 4年前のCHANELの時以来になるが、私も一応ご挨拶にまかり出て、記念写真なども撮らせていただいた。オーケストラの首席ともなれば、アンサンブル重視の演奏ばかりになる。室内楽も同様だろう。ところがリサイタルとなると表現の手法がまったく異なるはず。個性を前面に押し出してある程度は発揮度の強い演奏が求められるようになる。今後も定期的にリサイタルを開いて、表現の幅を広げて欲しいと思う。

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