大阪に戻ってまいりました。
難波橋近くの大阪取引所。もともとは大阪の米穀取引所を起源に大阪株式取引所が設立され、大阪証券取引所となり、最近になっていろいろ統合されたりとかして、現在はデリバティブ(金融派生商品)専門の取引所になっています。
金融にはまったくもって疎いので、私が説明できるのはこの辺が限界・・・(^^;)
昔は立ち会い所があって、売った買ったとかやってたそうですが、コンピュータでやりとりされるようになって現在はなくなっています。とりあえず入ってみます。
エントランスには先物取引(たぶん)の電光掲示板が。「っぽい」ですね。
でもインテリアはレトロ。
教会みたいなステンドグラス。
エレベーターでまず4階の受けつけに行き、名前を記入したら5階の展示コーナーへ。
開業免状。大蔵大臣・大隈重信の名前が!
1911年(明治44年)落成時はレンガ造りでした。
株券。
電光掲示板なんかない頃の立ち合い所の札。
メールなんかないからもちろん電話でやりとり。ああ昭和の匂い。
丹波哲郎とか出てきそう(笑)
秀吉の時代から大坂は米の取引で知られ、全国の米が大坂に集まって、運河を通して江戸へ運ばれたそうです。経済都市としての大坂の土壌があって、こういう取引所もできてるわけですね。
堂島米会所
先物市場が上手く説明できないので丸投げ(^^;)
実物のコメの代わりに取引された米切手。
大正時代の立ち合い所
これ面白いです、ハンドサイン。
業種を表すサイン。
上段真ん中の方、鼻つまんでます!
体験コーナーがあってシミュレーションやってみましたが、買った瞬間にどんどん値が下がって、ダミーながらあせるあせる・・・。
こういうのを見ていると、大阪って「昔は」活気があったんだなと思ってしまいます。江戸時代前までは確実に近畿が政治や経済の中心でしたもんね。江戸時代当初はその威光は残っていたものの、江戸の発展につれて徐々に押されてって感じなんでしょうか。
戦争で焼けたっていうのも大きいんでしょうね。東京は大空襲で焼け野原になっちゃったから、復興に力を入れられたけど、大阪はまだらに焼けたからかえって復興が遅れた、というのをどこかで聞いたことがあります。
金融に関しては、コンピュータのおかげでもう個々人が自宅で売買できるようなりましたから、『場』というものが必要なくなってしまったんですよね。大阪取引所も現役というよりは記念館という趣が強い感じ。(いや、もちろん現在も使われてるんですよ。でもね・・・)
建物は綺麗だけどなぁ。がんばれ大阪。
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