#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

子供たちの健康が危ない!

2006-08-13 | PHOTO
サンエーメインプレイスでの一コマ。
買い物に集中したいお母さんやお父さんのために
店内には、子供たち向けのプレイスペースが用意されている。

子供たちの創造力は
場所を選ばない。

   ●

健康増進普及CMのコンペが先週あった。

沖縄県の平均寿命が、ここに来て急激に減少していることを受け、
県が「健康意識向上」を図る啓蒙活動に動いている。

その資料をみて驚いた。
沖縄県の子供たちの「歯の健康」が、赤信号なのだ。
なんと3歳児の虫歯保持者が他県の2倍、4年連続ワースト1位である。
12歳以下でも、全国平均を大きく上回る記録をあげている。(40県中ワースト1位…他7県は記録ナシ)

親の意識が低いからだろうか?
それとも、共働きが多いからだろうか?
原因は、わからない。

しかし、健康の基本である「歯」が悪いとなると、
子供たちの将来が心配だ。
健康だけでなく、集中力も失われ、結果、学習能力も低下するだろう。

ちなみに、大人たちの肥満率も5年連続ワースト1位である。
ファッションどころじゃない。
健康意識を向上しなければ、
沖縄の未来は、ホントに危ないのである。

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二人! by 吉野弘

2006-08-13 | Photo-diary
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な理想には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

    ●

高橋酒造 白岳「しろ」 新聞広告より

    ●

生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日の土曜日でした。

Comments (3)
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沖縄に写真ミュージアムを造る

2006-08-10 | Photo-diary
         ●

今日、ひとつのミーティングに参加した。

写真家の東松照明氏が発起人となって、
「沖縄に写真ミュージアムを作ろう」とした会合である。

         ●

東松さんは語られた。

 沖縄は土地柄、写真に携わる方がとても多く、
 またそのレベルも他県とは比べものにならないぐらい高い …とのこと。
 しかし、写真を発表する場所がほとんどないという現実。

 また、沖縄ほど時間軸において、空間軸において、
 写真にふさわしい情景を提供してきた場所もない…ということ。
 時間軸とは、戦前から戦後、占領から復帰、そして現在へとつながる軸のことである。
 空間軸とは、47都道府県中一番の広さを誇る、島嶼県としての軸である。

 東松照明氏をはじめとして、ありとあらゆる著名な写真家が
 沖縄に来て、歴史に残る写真を撮られてきたという事実。
 また、比嘉康雄氏をはじめとした沖縄生まれの写真家が
 イザイホーなどの貴重な写真を残してきたという事実。

 それらの写真群の原版を集積し、長く保存する必要が出てきた…ということ。
 これは、「日本写真保存センター」設立の話にも通じるものだ。
 
 著者亡き後の写真の処遇は、実に様々で、価値の解らぬ人間が破棄するケースも出てきている…とのこと。
 二度と記録することができない過去の一コマを、国を挙げてアーカイブ化していこう…との動きだ。

 沖縄はそんな視点においても、実に貴重な体験をしてきた島である。
 人頭税やライ病などの憂き過去の記録も、しっかり残していかねばならない。

         ●

そのような意味でも、まずは広く賛同者を募り、
設立に向けた団体を組み、行政を巻き込んだ動きをしていく必要がある。

         ●

まず最初の動きとして、 写真家垂見健吾氏を中心とした
大々的な「琉球写真展覧会」を計画中。

アメリカ世の時代から、 観光立県の現代までを含めた
沖縄のさまざまな情景を一堂に集めようという 壮大な公募展だ。

まずはこの展覧会に向けての 実行委員会を立ち上げるべく
賛同者を募っていきたい。

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涅槃で待つ by NIRVANA 

2006-08-09 | MUSIC
赤ちゃんが、何かにつけ、すぐ泣き出すのは、
自分のカラダから迸る、抑えのきかない生命力に
愕いてしまうからだ…と哲学書は教えてくれるが、

多感な少年時代の、何事にも抗おうとする反抗期(Rebellious)も
ボクにしてみれば、迸る生命力のタマモノだと解釈できる。

大きく違うのは、抗うことで社会との折り合いどころを探っている点だ。

社会という枠組みに「否!」を投げかけ、
ひたすら自己実現を求めながらも、
そのためには社会との対立(枠組みとの決別)を
実現しなければならない現実に気づく。

つまり、はじめて自己と向き合うことになる。

そこで自分の器の大きさをまざまざと見せつけられ、
愕然とすることもあれば、何も出来ない自分に
呆然と立ちつくしてしまったりするのだ。

そんな殻破りの葛藤が、心や体を傷つける行為へとつながっていく。
自己実現が自己表現だと勘違いして、自己を剥き出しにしようと躍起になる。

破れたTシャツを重ね着し、髪を染め、煙草を吸う行為が、
規律からはみ出すことでの自己表現だと、勘違いに勘違いを重ねる。

自己実現とは自己を越えること「超克」自己に打ち勝つこと「克己」だと
気づかされるのは、大学に入ってからの話だ。

         ●

「表現者」になりたいと思うようになったのは、反抗期の「逸脱」の時代からだ。
しかし、「表現する」とはあまりに「孤独」な作業だと、あらためて今、思う。
「孤独」を突き詰めて表出した産物は、だからこそ受け手の「孤独」と共鳴し、心顫えるのだ。

         ●

NIRVANAが聴きたくなって、ベストを買った。
「涅槃」とはほど遠いサウンドが耳をつんざく。
27歳で音楽に殉じたKurt Cobainが叫ぶ。

  俺を犯してくれ なあ あんた
  もう一度俺を犯してくれ
  俺一人しかいないってわけじゃない

  俺を憎んでおくれ
  何度でも繰り返しやっておくれ
  俺をとことんやっつけろよ
  俺をたっぷり味わっておくれ

9歳で両親の離婚を経験し、
親戚の家をたらい回しされるなどの家庭環境の中で、
唯一の支えであった音楽で自己の発露を見いだし、
1988年NIRVANA結成。
1991年には2000枚以上の記録的な大ヒット
「Nevermind」を生み出すまでになる。

  すごくハッピーなんだ
  今日は友達を見つけたから
  彼らは俺の頭の中にいる
  俺はすごく醜いけど いいのさ
  あんただってそうだから
  俺たちは鏡を壊してやった
  日曜の朝が毎日続いたって
  知ったこっちゃない
  それに俺は怖くないしな
  眩惑の中でローソクに火を点ける
  神様を見つけたからさ ヘイ ヘイ ヘイ

躁鬱の持病を抱えて、
もはや頂点に登りつめたコバーンは
毎日をどのような気分で迎えていたのだろう。

自己表現としての音楽がもたらした成功は
彼をますます孤独にさせた。
世の中に「否!」を叩きつけるはずの音楽が
世の中に受け入れられてしまった事実に
葛藤を続けていたのかもしれない。

  俺はここから離れていくよ
  おまえももう恐怖に脅えることもないだろう
  これには特に何の意味もないから
  いつだってこうなることはわかっていたさ
  物事がこんなにハデに膨れあがったことはなかった
  こんなにいい気分になったのは初めてだ

1994年4月5日、
松林をさまよったあげくのショットガン自殺。
ジミヘンやモリソンと同じく27歳で死んでいった。

この世にに残された「涅槃」の楽曲は、
Kurt Cobainの孤独の産物だ。
自己の欠落を埋めようともがいた産曲だ。
だから、こんなにも生々しく心に響く…。

  太陽の光のもとで
  日の光のもとで
  俺はひとつになった気分
  太陽の光のもとで
  日の光の中
  俺は結婚し
  埋葬される


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【店頭比較】ロッテリア

2006-08-05 | PHOTO
沖縄では、確認すらむずかしくなってきたブランド、ロッテリア。
銘苅に住まいを替えたおかげで、2号線沿いのロッテリアが非常に近くなったので、
ひんぱんに顔を出すようになった。

そこで、愕いた。

美味しいのである。
特にアイスコーヒーは絶品!(^^)/
こんなに豆の味がするアイスコーヒーを
ファーストフードで賞味できるだなんて!

感動である。

これはもう、通うしかない。

店頭のコルトンも愕くほどシンプルで、わかりいい。
スタッフのユニフォームもどこかアジアな安っぽさが、返って素朴で好感がもてる。



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【店頭比較】ケンタッキーフライドチキン

2006-08-05 | PHOTO
最近、顔を出してみた、KFC。
意外や意外、わかりづらい店頭処理。
どの商品がオススメなのか、どの商品が売りなのか、
未だによくわからない。

やはり、ケンタッキーはチキンだけで
生き残っているファーストフード…だと思う。

Comment (1)
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【店頭比較】マクドナルド

2006-08-05 | PHOTO
仕事の関係上、いろいろなファーストフードには
ちょくちょく顔を出している。

悪い癖で、ついつい隠し撮りをしてしまう。

店頭の雰囲気は、各ブランド、実に様々だ。
マクドナルドは、今微妙なライン。
昔の安売り路線から、付加価値路線へと移行しようとしている。
商品写真も、工夫がなされている。

しかし、お味は…。

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入道雲が夕陽に映える。

2006-08-02 | Photo-diary
夕方の夏空。
なつかしい気分にさせてくれる、あたたかい光だ。

シルエットの入道雲が、ナツの盛りを教えてくれる。
空がオレンジに染まっていく…。

思わず、シャッターを切る。
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8月、到来。

2006-08-02 | Photo-diary
8月が、やってきた。
沖縄では これといった変化はないのだが、
本格的な「ナツ」到来である。

入道雲が「もくもく」と、音を立てて盛り上がっている。
日差しが「じりじり」と、皮膚に沁み込んでいく。

まさに、沁み込んでいく感じなのだから、たまらない。

本土の方々はいかがだろうか?
まだ梅雨の明けない地域も多いと聞く。

入道雲がなつかしい…なんて感想もあるだろう。
実際、本土ではあまり見かけなくなった雲のカタチだと思う。

「ナツ」を堪能するなら、南国に限る。

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【散文詩】「あ、はげてる」

2006-08-02 | memories
引っ越しの際、出てきたノートの中に
妻が絶賛する【散文詩】がみつかったので
仕方なく紹介する。

12年前の作品である。
題名は「11月11日 あ、はげてる」。


        ●

最近ぬけ毛の激しさが気になりだして
ふと鏡の中の自分をみてみると

はげていた。

やはり心労もここまでくると脱毛を促進するのね。
こうやって自分の力では 曲げることのできない
深みへと はまっていくのだろう っ て。

どうしようもない力に 押しつけられても
生きているのだから 仕様がない。

ふり返っても はじまらないから 前へ進むの っ て
気がついてみると 晩年むかえてるのと同じくらい 愚かだし、
だからといって 自己をつら抜き通すほど 強くないんだから。

あー さてどうしましょ という感じなの。

とにかく 一つの生きてる証なんだわと
納得して、せめて格好よく はげましょ と
鏡の中の自分に 笑って見せてる 私って なに?

                     (原文ママ)

        ●

若者の裏腹な心情がよく顕れている作品…との評価。
ありがたく 受け止めておいて いいのだろうか?

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