阜陽日記

主として家族・知人などへの近況報告用の公開日記

2011年10月12日~23日(『近代天皇制国家の歴史的位置』ほか)

2011-10-24 07:20:56 | 日記
 12日(水)。雨。授業。
 13日(木)。曇。授業。
 14日(金)。晴。授業。
 15日(土)。晴。「大润发」まで買物。
 16日(日)。晴。
 17日(月)。授業。
 18日(火)。授業。

 19日(水)。晴。授業。
 会話の授業で、せっかく教室内でパソコンを使えるのだから、と千葉大学の公式紹介ビデオを教室内で流してみたのだが、あいにくパソコンの処理能力か、あるいは相性の問題があるらしく、音声は流れたのだが映像がきちんと表示できなかった。

 20日(木)。授業。
 3年生の会話で時間が微妙に余ったため、少し雑談などをする。ぼくの研究だの、「望夢楼」の話などを尋ねられる(自分で紹介した覚えはないのだが、ぼくの名前で検索すればすぐにわかりそうなことだから、べつだん驚きもしない)。とはいうものの、「嘘の歴史」とかいった概念を、日本語でわかりやすく説明するのは結構難しい。

 21日(金)。授業。
 10月7日に発行された安田浩先生の遺著『近代天皇制国家の歴史的位置――普遍性と特殊性を読みとく視座』(大月書店)が、実家経由で届く。「はしがき」末尾の「本書は、現代の問題関心をふまえ、近代天皇制の特殊な相貌に光をあてようとした方法的な模索の産物である。この作業は未完であるが、今後の若い研究者が、後を引き継ぎ、日本近代の特殊と普遍、その全体像を明らかにしてくれることを期待する。」(p. xv.)というくだりを読んで、叱咤激励されたような気分になる。
 昼、L先生から日本語の試験問題のことで、自分では正解がわからないから、ということでいろいろ質問を受ける。これがけっこう難題で、慣用表現だと気付かなかったために解釈できなかった、というくらいはいいとしても、4つの選択肢のうち確かに1つが最もふさわしいのだが、別にもう1つくらい、間違いとも言い切れないようなものが含まれている、というものもある。
 その後、ことのついでに、L先生の案内で銀行口座を作りに行く。

 22日(土)。曇のち雨。
 23日(日)。雨。また寒くなる。天気のせいで何もする気が起きない。

2011年10月1日~11日(国慶節、1年生の授業、辛亥革命100周年、ほか)

2011-10-12 00:03:06 | 日記
 少々更新が遅れてしまった。

 10月1日(土)。曇。
 国慶節。すなわち、1949年10月1日に中華人民共和国が成立したことを祝う祝日。中国では本日から7日までの一週間が丸々休みになる。ただし、そのあとの8日と9日は振り替えで平日になる(つまり7連休のあと平日が7日続く)。
 午後、なんとなく北門近くのバス停を観察していたら(バスのコースがよくわかっていなかったので)、たまたま生徒の一人と出くわし、そのまま一緒に、阜陽最大の繁華街である人民中路方面に散歩、というか生徒の買い物に付き合う。
 人民中路は以前にC先生に案内されてはいるのだが、そのときは夜だったし、よくわからなかった。こうして休日の昼間に来るのは初めてである。大きなデパートなどが林立しているし、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどもある。祝日なので人手が極めて多い。
 阜陽は(というより安徽省全体が)田舎だと聞かされてきたし、実際、間違いなく田舎なのだろうが、下手をすると千葉市あたりなぞよりもよっぽど都会なんじゃなかろうか、という気が、千葉県の田舎育ちとしてはするのである。
 なお、市内の交通機関としてはバスとタクシーがある。バスの料金は1元均一の前払い式。各バス停ごとに必ず停車してドアを開くので、下車のためにボタンを押す必要は無く、そもそも押しボタン自体が無い。タクシーは初乗り5元で、市内をやたらと走っている。
 ちなみに、阜陽の総人口は1001.8万人で、これは安徽省内では最大(阜陽市人民政府ホームページ http://www.fy.gov.cn/fuyangprofile/ による)。ただし、これは地級市(中国の行政区画)としての人口であり、周辺の農村部の人口も含んでいる。

 2日(日)。雨。
 辻原康夫『世界の古地図に描かれた「幻の国」を追う』(河出書房新社。2002年発行の辻原『古地図から幻の国々を読む方法』の改訂版)が、夢の設計社より届く。
 国慶節中も学食は開いていたので、学食で夕食。

 3日(月)。曇。
 前日の雨のせいだろう、少し肌寒い。
 ぼくの後輩にして先任者であるMくんが、本日から5日まで上海から阜陽に来るとのこと。いつ来るのかと思っていたら、15時少し前にやって来た。上海はまだ暖かいらしく、彼は長袖シャツ1枚だったためにしきりに寒がっていた。
 Mくんの案内で市内、特に穎州北路・人民中路周辺の繁華街をいろいろ見て回る。なんでも、彼がいた2年半の間に、阜陽の街並みは大きく変わったのだそうで、たとえば阜陽市内の大きな道路はたいてい片道2~3車線はあるのだが、この道幅になったのは彼の滞在中なのだそうである。
 ついでながら、中国の、少なくとも阜陽での交通道徳は、お世辞にも良いとは言えない。信号無視などは序の口で、タクシーが混雑中の道路で強引な車線変更をしたり、反対車線にはみでて逆走したりしてくれるのはごく当たり前のことらしい。
 夜。Mくん、および3年生の学生たち5人ほどと、大学西門近くの食堂で夕食。

 4日(火)。晴。
 前日までは肌寒かったのだが、ぶり返したように暖かくなる。
 昨日のMくんの提案で、昨日来た3年の学生たちがうちに来て食事を作ってくれることになる。
 15時過ぎに学生たちが来たので、近くの(といっても歩いて15分ほどあるが)大型スーパー「大润发」(大潤発、ダールンファ)まで買い出しに行く。
 16時半、帰宅。学生たちに食事を作ってもらっている間にMくんが来て、彼が作った教案などを渡してくれる。さらにいろいろアドヴァイスなどを受ける。
 夜、家で皆で食事。20時、2年の学生10数名がMくんへの挨拶に押しかけてくる。

 5日(水)。晴。
 昼、市内(穎河西路)で学生たち3人と食事。じつは彼女たちはMくんとも一緒に食事するつもりだったのだが、連絡不備で行き違いになってしまったらしい。その後、4人で市内の文峰公園を散歩。
 14時半にいったん帰宅したのち、思いついて、ひとりで人民中路を散歩してみることにし、バスで出かけてみる。市内最大の書店である新华书店(新華書店)などを覗いてみる。

 6日(木)。晴。
 午後、「大润发」まで買い物。

 7日(金)。晴。
 本日で連休終了。午後、3年生のSくんの案内で、市内で衣服などを少し物色する。特に何も買わなかったが。

 8日(土)。晴。
 というわけで本日より授業再開。木曜日の授業を振り替えで実施。学生たちも心なしだれている気がする。

 9日(日)。晴。
 金曜日の授業を振り替えで実施。
 これまでの授業時間割では午後は空いていたので、家で休んでいたら、15時半にH先生より電話があり、1年生の会話の授業をする、とのことである。いや、1年生は10月から(つまり国慶節明け)授業を始めること、その際に会話の授業を担当することは聞いてはいたのだが、時間割についての連絡を全く受けておらず、何日にどの教室で始めるのかも把握していなかったのだ。確認していなかったこちらにも問題はあるが、連絡不備ではある。
 とりあえずH先生が代理で行う授業を聴講、その後少し打ち合わせをする。1年生の授業は、1・2班合同(65人)で、月曜8:00~と金曜14:30~の週2回。というわけで早速明日から授業だ。

 10日(月)。晴。
 双十節。辛亥革命100周年。
 8:00より1年生の会話授業。当然ながら中国語では会話ができないので、板書と英語混じりで説明。先生が読み上げたら生徒が繰り返す、ということは教えられているようだったので、ひとまず50音図を読み上げさせるところから始めてみる。
 10:00より2年生の会話授業。
 その後、1年生の授業を聴講していたH先生から、やはり1年生の担当は難しそうなのでひとまず担当を外し、その代わり、1・2班合同で行っている3年生の授業を1班と2班に分割することにした(したがって授業時間数は20時間で変わらない)、という連絡を受ける。その方が学生にもいいだろうが、ただ、代わりにH先生の負担が大きくなることを考えると申し訳ない気もする。

 11日(火)。晴。
 8:00より2年生の会話授業。
 10:00より3年生の会話授業。今回よりこの時間は2班のみとなる。だいぶやりやすくはなった。
 午後、部屋の水洗トイレのタンクにつながる配水が水漏れを起こしていたので、N先生に連絡して修理の人を呼んでもらう。