もっこす亭の生きざま日誌

 「自然と人・人と人」の“いいかげん・いいあんばい”な生き方を求めています。

NSさん入院する

2015-12-30 00:56:38 | Weblog
 80歳で乳がんになったNSさんから
 「わたし、きのう足がふらふらになって、中核病院に行ったら入院することになりました」と電話あり。

 夕方(29日)、面会に行く。
 「検査をしてもらったけど、乳がんからきているのではない。抗がん剤の副作用でもないと言われた。」
 
 「抗がん剤を飲むと、背中に火がついたように熱くなったり、針でチクチクさされるような痛みが走って夜眠れない。それで今日から抗がん剤を飲むのを止めてみることにしたの・・・」
  
 私の目を覗き込むようにして話しかけてくる。

 主治医は年末休暇で元日にならないと出てこないという。
 彼女にしてみると気のもめる数日となる。

 

被災地にお年玉

2015-12-29 00:08:04 | Weblog
 昨日27日「塩竃生健会」─塩竃市の被災地に、川崎町の酪農家Kさんからの白菜と大根を軽トラ1台分を届けた。
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 これを普通車のトランクと後部座席に積み込んで運んでもらった。
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 残った小さい大根は持ち帰った。

 ちょっと早いお年玉となった。
 

初積雪

2015-12-27 23:39:41 | Weblog
  この冬、初積雪となった。
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 約1cm。昨夕から降りだした雨は、未明に雪になったようだ。

 近くの里山も雪化粧。
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 日当たりのいいところは直ぐ融けたが、日陰は一日中残り風花も舞っていた

  

“福祉野菜”はいらんかね~・NS子さんのこと

2015-12-24 00:43:09 | Weblog
 

 <福祉野菜のこと>

 川崎町の酪農家Kさんのところへ“福祉野菜”(生活保護世帯や低所得世帯に届ける野菜をいうことにした)をもらいに行った。

 今回は初めて仙台の「若林生健会」から会長と会員1名の協力をもらった。
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 ダイコンとハクサイとカボチャでおよそ軽トラ2台分になった。
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 「若林生健会」分はさっそく会長に持っていってもらった。

 残りは「塩竃生健会」と「石巻生健会」用
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 <乳がんのNS子さんのこと>
 夜、「乳がん」の宣告を受け抗がん剤治療を始めて、その副作用でまいっていたNS子さんから明るい声で電話あり。「月曜日に診察があって、大変苦しかったことを訴えたら弱めの抗がん剤に替えることになり、心の緩和ケア?があって気分的にも楽になった」とのことだった。   
                                                                                                                                                                                                                              


終わりよければ・・・

2015-12-22 23:26:37 | Weblog
 Nさんの葬儀が行われた。

 妻に留守を頼んだが、結局ついてきた。
 すったもんだしているうちに少し遅れて入る。

 一昨日の小さな葬儀場。30人近く ほぼ満杯。(当初は身内はいないと心配していたのに・・・)
 読経の声が朗々と流れ大伽藍の中に融け込んで行く感じ。

 その主は、角田市「長泉寺」の住職。(ここには優秀な宮大工が建てた千年はもつという伽藍がある)
 祭壇の前の戒名を見ると「浄岳登真信士」。
 なるほど<emoji code="a001" />

 Nさんよかったね!
 いい葬儀になった。
 
 終わって火葬場へ。火葬場から直接埋葬するとのこと。
 身内の方々にNさんの生健会での活動のことなど話したかったが、妻も居るのでここで失礼する。

 別れしな、喪主の方に生活保護利用者の“葬祭費”についての資料を渡しておいた。
 
   

Nさん逝く

2015-12-20 21:24:02 | Weblog
 昨夜、「Nさん逝く」の連絡あり。
 覚悟していたとはいえ つらい。

 姪のSさんから「角田市の葬祭場に安置した」とのこと。
 
 午後、線香をあげに行くがなかなか見つからない。
 訊く人ごとに教えてくれるが難しい。

 1時間半くらいかかって小さな看板の葬祭場を見つけた。
 
 身内の人が5人 テーブルを囲んでいた。
 Nさんは棺おけには入らず、仏壇の前で眠っていた。

 焼香をしてこ、れからの予定を聞く。
 
 通夜はやらず、明日枕経をやって22日10:30~身内だけで葬儀をするとのこと。
 香典も受け取らないと言う。
 
 彼が最後まで所属していた生健会での活動を身内の方々には知ってほしいので私が代表することに。
 香典については、生健会は規約で出すことになっているので持っていくが任せるしかない。

 

Nさん がんばっている

2015-12-19 21:05:14 | Weblog
 今日も様子を見に行った。

 病室はナースセンターの隣。
 ドアは開けっ放しになっていた。

 了解を取って入った。
 あいさつをしても反応はない ようだ?
 昨日と変わらないように見える。

 ナースセンターにもどって「目は開きっぱなしで反応はないし・・・」と言うと
 「耳は聞こえていると言われているので、話しかけてやってください。喜びますよ」と看護師。
 
 「それじゃもう一度戻ってお話しよう」と病室に行き、会の活動の様子などを話す。
 開きっぱなしの目に少し涙のようなものが流れるが?
 話しかけると口が少し動くような?

 2本指を立てて「ピース ピース また来るよ」と部屋を出る。
 まだ緊迫感はない。

 
 タカの施設は病院の近くなので連れて帰る。
 

Nさんとのお別れ近づく

2015-12-19 00:16:29 | Weblog
 午後、白石市の病院にNさんの様子を見に行く。

 この前から点滴が打たれていたから気になっていたので病室に急いだ。
 アレッ?
 彼が横たわっているベッドはたたまれて名札もない。

 小走りでナースセンターに行き、「生健会の者ですが・・・」とたずねると看護師が案内してくれた。
 一人部屋。ドアを開けながら「話せないけれど、会いますか」と言うのでうなずいて入る。
 
 顔は窓の方を向いている。
 「ヨッ!Nさん来たよ」と声をかけながら枕元に回る。

 目は開いているが、瞳孔は動かない。
 白く濁っている。
 一定の間隔であご?のど?が少し動く。話しかけに反応しているかと期待したがそうではなかった。

 廊下に出ると「甥ごさんが来ることになっています」と言うので「一度会いたい」などと話をしていると、隣室から出てきた女性がNさんの姪と分かり連絡を取り合うことにする。

 お別れが近づいたということだろう、病院は身内の人たちに連絡を入れているようだ。
 

ロウバイ咲く

2015-12-17 00:00:00 | Weblog
 隣の角田市に住む知り合いを訪問。
 玄関の靴箱の上にロウバイが挿してあった。

 「春が来たね」って声をかけたら、「ここですよ」と息子さんが案内してくれた。
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 南東北のスキー場は雪不足でなげいているが、春はこいしい。

Nさんのこと、Mさんのこと

2015-12-15 23:47:14 | Weblog
<Nさんのその後>
 先々週、Nさんは歩けるようになりたいとリハビリ室にいた。
 その表情は明るくてびっくりしたのだった。正直、うれしかった。

 ところが2日前の日曜日には、点滴の袋が2つ下がっていて、か細い声になっていた。
 もう2度と歩くことはできないように思われた。

 <Mさんのこと>
 80歳になって乳がんが見つかり、肺への転移も心配されたがそれはセーフだった。
 
 きょう15日から抗がん剤治療が始まる。
 副作用のことを大変心配されていた。