【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =020=

2017-06-14 05:57:48 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

◇◆ 世紀のチャンス、大ピラミッドの頂上へ登る = 1/3= ◇◆

〈再び、こんな機会が訪れるとは……〉

 ギザ台地の北端に立ち、その巨大な建造物を見上げると、感慨に打たれずにはいられなかった。 2015年3月、私は再び、TBS「世界ふしぎ発見!」のTVクルーと共に大ピラミッドに登る機会を得たのだった。

 2年前、様々な縁に恵まれ、大ピラミッドの北東の角、地上から80メートルに位置する奇妙な「窪み」と、その奥に続いている「洞穴」の撮影に同行させてもらった。 その後、Structure from Motionという技法を使い、その場所の映像データから3D(3次元)モデルを作り、ピラミッド内部の石組構造の手掛かりを得ることができた(この時の詳しい話は、前節にに書いた)。

 この手法と解析結果はフランスとポーランドの国際会議で発表し、話題を呼んだ。 しかし、調査のため撮影された映像から作ったものではなかったために、完成した3Dデータには欠損箇所があった。 さらに、考古学の写真には必ず入れる、サイズなどの基準を示すためのスケールやノースアロウ(真北を示す矢印ツール)も入ってはおらず、水平器も置いていなかった。

 つまり、このデータには考古学の研究をする上では必要な情報が不足しており、さらに新しい手法で作った3Dモデルであったため、どこまで精度があるのかも分からなかった。 現場に再度訪れて、データの検証をする必要があったが、ピラミッドに登る許可は学術目的だけでは取るのが難しく、テレビ局など様々なステークホルダーを絡ませなければならなかった。

 そのような機会はもはや訪れることはないだろうと思っていたが、再び巡ってきたのである。 それも今度は、頂上137メートル(完成時は146.59メートル)まで登り、頂上部分のデータも取ることになったのだ。

日本人初、200段の全段計測

「ピラミッドを一段一段、測りながら登りたいんですが……」  そう話を切り出すと、撮影のためにピラミッドに向かうバスの中は一瞬凍り付いた。

「そんな話でしたっけ!?」TVクルーみなの気持ちを代弁するように、ディレクターの岩垣さんが答えた。 「何段あるんでしたっけ? 目的は頂上で、途中はいくつかサンプルで測るだけじゃなかったでしたっけ?」

「頂上まで201段です」「1段を30秒で、ぱっと測って、数値を書けば、1時間半くらいで終わると思います」

 極めて簡単なことのように軽く言ったが、沈黙は続き、みな、明らかに納得していない表情を浮かべていた。 確かに、登るだけでも大変だろう。 遺跡であるため、山登りとは違って、ハーケンを打って、ロープを通すこともできない。 安全面から考えれば、なるべく途中の作業は減らしたほうがいい。 しかし、こういった好機が再び訪れるとは思わない方がいい。 リスクを考慮しながらも、チャンスは最大限に生かさなければならない。 私は重ねて言った。

「頂上ももちろん重要なのですが、ピラミッドの全段はまだ2回しか測られていません。 1回目は1800年代後半にエジプト考古学の父といわれているフリンダーズ・ピートリ卿。 2回目はジョルジュ・ゴワイヨンによるもので、1970年代です。 それ以後、半世紀近く、誰も測っていないんです。 もちろん、日本人としては初めてです」

 計測の重要性を熱く話し始めると、みながもぞもぞし、身体を乗り出してきた。

「前回の洞穴と窪みの調査で分かったように、内部の石組構造は、表面とは違ってかなり不規則で、言ってみればぐちゃぐちゃです。 それは実はピラミッドの各段にも言えることで、それぞれの段の大きさは違います。 しかし一方で、ある種の規則性があるように思えます。 それを自ら確かめるという現場検証を行いたいんです」

 岩垣さんは、じっと耳を傾けてから「なるほど……わかりました。じゃあ、やりましょう!」と同意してくれた。 私は心の中でガッツポーズを取った。

=資料・文献=

エジプト・ピラミッド学(10) : ヌビアのピラミッド

エジプトにおいて王のためのピラミッドが建設されなくなったのは紀元前16世紀であるが、それから800年ほどたった紀元前8世紀に、エジプト文化の影響を強く受けていた南のヌビアにおいてピラミッド建設が開始された。 ヌビアのピラミッド建造開始は、ナパタに都をおくクシュ王国のピイ王がエジプトを征服しエジプト第25王朝を開いてからである。 ピイ王は王家の墓地のあったエル・クッルに小型のピラミッドを建造し、以後の第25王朝の諸王もこの地にピラミッドを建造した。

これらのピラミッドは底辺が10mほどの小型のものであり、礼拝堂が併設され、中の玄室には遺体が安置された。 すなわち、ヌビアのピラミッドは諸説あるエジプトのものとは違い、明確に墓として建造されていた。 紀元前656年に第25王朝のタハルカ王がアッシリアに敗れてエジプトを失陥しヌビアに撤退したのちも、ピラミッドの建造は続けられた。 ただしタハルカはエル・クッルに代わり、その対岸にあるヌリにピラミッドを築いた。 紀元前591年ごろに首都がナパタからメロエへと遷都されると、ピラミッドはメロエにおいて建造されるようになった。

このピラミッド建造は、メロエ王国が滅亡する紀元後4世紀まで、約1200年にわたりつづけられた。 小型であり建設された期間も長かったことからこのピラミッド群は多数建造され、エジプトのピラミッドよりも多数のものが残されている。 このピラミッド群は21世紀に入っても発掘が続けられており、スーダンの貴重な観光名所の一つとなっている。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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