【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =027=

2017-06-28 17:17:59 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠


◇◆ エマージング・エクスプロラーの受賞 = 2/3= ◇◆

 それに対して、新進気鋭の若手に与えられるのが、今回私が選ばれた「エマージング・エクスプローラー(Emerging Explorers)」だった。 毎年世界中の冒険家、科学者、教育者、写真家などから15名前後が選出される。 その方法は明らかにされておらず、ナショジオ独自の専門家ネットワークによってノミネートされるらしいが、実際に選ばれるまで、自分がノミネートされていることは分からない。

  日本人としては二人目で、一人目は2009年に、東京大学の海洋生物学者である佐藤克文先生が選ばれている。

世界的に認められた学際プロジェクト

 言ってみれば、ナショジオにおける登竜門のような制度だが、正直、なぜ自分が選ばれたのか分からなかった。 ウェブに紹介されている他のメンバーの経歴を読んでも、みな凄そうな人たちだ(ただ、あとで他のメンバーたちに聞いたところ、みな同じように感じていたらしい)。

 おそらく、ひとつには、これまでのウェブの記事でも述べたように、私が推進しているピラミッド調査が、考古学者、コンピューターサイエンティスト、ソフトウェア工学者、応用数学者からなる、きわめて学際的なアプローチを取っているからだろう。

 ただし強調しておかなければならないのは、工学的、あるいは物理学的な最新技術を使ったからといって、ピラミッド建造の謎が簡単に解けるということはない。

 実際、3D計測機器を用いれば、ピラミッド全体がくまなく記録できるというわけでもない。 もちろんそれは、これまでの線画や写真による記録に比べると、間違いなく素晴らしい記録方法ではあるが、データが取れない場所があったり、データの密度にむらがあったり、ノイズと呼ばれるデータエラーが発生したり、データが重すぎてチーム内でのシェアが難しいなど、問題も少なからず存在する。

 つまり、コンピューターサイエンティストの専門家に任せておけば、勝手に完璧なデータを取ってくれるわけではないのだ。 データ取得の問題点や性質を理解し、考古学者と工学者、さらには数学者がスクラムをしっかり組んで「ある謎」を解くには、どのようにしたらよいかを議論し、考える必要があるのだ。

 しかし、実は、こういった異分野融合の研究は日本ではまだあまり歓迎されていない。 確かに、人文と工学の分野を超えた共同プロジェクトは表立っては求められている。 しかし日本の学会に論文を投稿しても、内容が理解されず、低い評価を受け、別の学会誌に発表したほうがよいのではないかと言われたこともある。

 そのため、今回のエマージング・エクスプローラー受賞は嬉しいという気持ちと、自分たちの共同研究の方向性が世界的にも認められたような気がし、少しほっとしたところもあった。

=資料・文献=

エジプト第4王朝・歴史(1/3)

マネトは、エジプト第4王朝が「異なる家系に属する」8人のメンフィスの王によって統治されたと記録している。 マネトによる記録は、古い時代については王統等が不正確な場合が多いが、第4王朝時代になると王名等においては同定可能なものも登場する。 他にヘロドトスディオドロスもこの王朝の王に言及した記録を残している。

同時代史料や古代エジプトの文献史料から知られる第4王朝最初の王はスネフェルである。 彼は上エジプト第16県で生まれた。 そのため、第16県は彼が王位についた後メナト・スネフェル(「スネフェルの乳母」の意)と呼ばれるようになった。 スネフェルはエジプト第3王朝の最後の王フニと下級の王妃メルサンク1世の息子であると考えられている。 彼はフニとより上位の王妃との間の王女、ヘテプヘレス1世と結婚することでより強固な血統的正統性を確保し、フニ王の没後にエジプトの王となった。 彼の即位以後が第4王朝に分類されている。

スネフェルについての記録は多いとは言えないが、彼の即位については『カゲムニに対する教訓ドイツ語版)』と呼ばれる文学作品に記録が残されている。 また、パレルモ石に残された後代の碑文によれば、彼は治世第2年にヌビアに侵攻して勝利を収め、7000人の捕虜と20万頭の家畜を獲得したという。 ヌビアへの侵攻はエジプト第1王朝第2王朝時代にも記録があるが、恐らくスネフェル王によるヌビア侵攻は初めて同国を真に服属させるほどの規模であった。 シナイ半島方面への外征も記録されており、遊牧民にも打撃を与えたことが記録されている。

国制の整備も進められた。スネフェルの治世は国家機構にも顕著な変化が認められる時代である。 スネフェルの王子ネフェルマートが宰相に就任した。 この職は第4王朝時代の行政組織の最高位であり、その下に国庫管理・建築労働を統括する諸部門がおかれた。 上位官職は王族が中心となり、大規模な建築活動やプロジェクトを実施する組織体系が形成され始めた。

スネフェルは第3王朝時代のピラミッド建造を引き継ぎ、大規模ピラミッドを複数建設している。 彼の時代のピラミッドは、より整備された形状を目指した技術的な模索の跡が見て取れる。 こうした努力はやがてスネフェルとヘテプヘレス1世の子、クフが王位を継いだ後にクフ王の大ピラミッドとなって結実することになる。 こういった大規模建築を支えたのが、スネフェル以来整備されていった行政組織とそれによって齎される領土からの歳入や、労働力の集約であった。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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