【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《植村直己》 =002=

2017-08-07 06:34:23 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠ 

◇◆ マッキンリーの氷雪に消える =プロローグ 2/2= ◇◆

植村直己さんは巨人です。 いくつもの「世界初」を成し遂げ、その偉業は日本だけでなく、世界的にも輝き続けています。 そして、ナショナル ジオグラフィック日本版にとっても、とても大きな存在です。 20年前の創刊時、「ナショナル ジオグラフィック」という雑誌とその母体の協会について日本の方々に知ってもらうため、植村さんの北極点単独行(1978年)をナショジオが支援し、その記録を特集記事として掲載したことをよく引き合いに出しました。 つまり、植村さんに、ナショジオと日本をつなぐ橋渡し役をお願いしたわけです。

その後も、ことあるごとに、植村さんが表紙の1978年9月号を持ち出しては、ナショジオと日本のつながり、ナショジオの調査・研究支援を理解していただこうとしてきました。

しかし、植村さんとナショジオが当時、どのような関係にあったのか、実際のところ、私は知りませんでした。 「橋渡し役」に就かされたことを、植村さんが生きていたら、どう思うだろう? そんな役を勝手に押しつけられたと、不愉快に思わないだろうか? そんな居心地の悪さを、私はいつもどこかでもち続けていたのです。

20周年特別企画「日本のエクスプローラー」を立ち上げるにあたり、日本を代表するエクスプローラーである植村さんとナショジオの関係をしっかり調べて、読者の方たちに知ってもらう良い機会だと考えました。 もちろん、私自身も知りたいと思っていました。 そこで、恐る恐る、巨人に近づくことにしたのです。

37年前のことです。 植村さんをはじめ、関係者の多くがすでに他界しています。 そこで、北極点単独行の取材をした写真家のアイラ・ブロックに、植村さんを追いかけた日々について書いてもらうことにしました。 私は、ワシントンの協会本部や日本各地に残る植村さんの足跡を追いかけました。

植村直己さんの妻、公子さんとお会いして話をうかがう機会がありました。 それまで本や映像のなかでしか知らなかった巨人の息遣いが、公子さんの言葉を通して伝わってくるようでした。 公子さんはこんなエピソードを教えてくれました。植村さんは自分の顔が表紙を飾った、1978年9月号のナショジオ誌にサインをして、友人や関係者に贈っていたというのです。

私はこれを聞いて、ほっとしました。 植村さんはナショジオに愛着を感じてくれていたのだ、とわかったからです。 「ようやく訪ねてきてくれたね」と、巨人がほほ笑みかけてくれているようでした。 (日本版編集長 大塚茂夫)

=補講・資料=

北極点到達レース (1/2)

フレデリック・アルバート・クック(Frederick Albert Cook、1865年6月10日 - 1940年8月5日)は、アメリカ合衆国探検家

1891年ロバート・ピアリーグリーンランド初探検に医師として参加。有能な片腕として活躍したがその後、ピアリーとの探検を出版することに際しての著作権の問題で袂を分かち別行動をとるようになった。1909年9月1日北極点到達。「ニューヨーク・ヘラルド」紙は、「北極点はフレデリック・クックによって征服された」と報じた。ところが、そのわずか5日後、ロバート・ピアリーが彼の後援会に当てて「我、北極点を得たり」と打電。相次ぐ極点征服のニュースは世界を驚愕させ大論争になった。調査委員会が設けられたが、結局クックの訴えは退けられ詐欺罪で収監となり、ピアリーが最初の北極点到達者と認定された。しかし現在では、ピアリーが当時のお金で5,000ドルもの大金(現在の日本円で1,000万円相当とも)を払ってクックのマッキンリー初登頂時の証人を買収したことがわかっており、いずれの探検家が先に北極点に到達したか(あるいはどちらも到達していないか)は大きな議論の対象であり、はっきりしない。

ロバート・エドウィン・ピアリー(Robert Edwin Peary, 1856年5月6日 - 1920年2月20日)は、アメリカ探検家ペンシルベニア州クレソン出身。

西洋人として最初に北極点に到達したとされているが、探検の後援者には当時のナショナルジオグラフィック社などの実力者が多く当時のマスコミをおさえての喧伝といわれる。

この探検から帰還後、元の仲間であるフレデリック・クック (Frederick Cook) が、「自分は、1908年4月21日に既に北極点に到達していた」と主張。調査委員会が設けられたが、結局クックの訴えは退けられ詐欺罪で収監となり、ピアリーが最初の北極点到達者と認定された。現在では、ピアリーが証人を買収したことがわかっているが、実際に、クックは北極点の数百キロ手前までしか到達していなかったようである。

また、後の詳しい測量により、ピアリーらが北極点だとしていた点は正確には北緯89度57分(北極点から約6kmの地点)であったことが分かっている。また、ナビゲーションの技術を持つものがいなかったにも関わらず旅程が不自然に順調であることなどから、到達そのものを疑問視する説もある。

鉄精錬技術を持たないグリーンランドのイヌイット族が鉄を利用している謎がピアリーの調査で判明した。イヌイット族は1万年前に落下したと推測される56トンもの巨大な隕鉄を利用していたのである。ピアリーはこの一部をアメリカへ持ち帰り博物館に4万ドル (5万ドルとも) で売却した。

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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