”気ままな…ホルン道楽”

ホルンの思い出2

火災は真夜中でした。

火元は真下のタクシードライバー。
酔ってストーブ倒したらしい…その音に驚き、隣室の(写真現像していた)カメラマンが、「火事だ!」と叫び、私が目を覚ましたみたいです。。すでに炎が窓から、カーペットからは煙が上がり始めていました。着替えて、ホルンを持って、即玄関へ…
一度開けたら…凄い勢いで煙と炎が入ってきました。慌てて、扉を閉めました。大きく息を吸ってから…
あとはよく覚えていないのですが、身の危険を感じてとっさの行動。。
気づいたら、一目散に建物の外に逃げていました。
まもなく、プロパンボンベが破裂したのか、火柱が屋根を突き抜けました。
それを…たくさんの野次馬の中から、茫然と眺めていたのでした。
もし、あのとき、ホルンケースを左手に持っていたら、右手で扉を開けてそのまま駆け下りていたのに…。



大家さんは、まあるいメガネのおばあさんでした。
あの火柱を見て、私は助からないと思ったとあとから聞きました。。
幸い、怪我人も出ず、住人はみな隣の大家さんのところで、明け方まで暖をとりました。タクシードライバーは肩を落としていました。

早朝電話をかりて、ふるさとの実家に連絡をすると、なんと母の第一声は…「それで、楽器(ホルン)は、無事なの?」。
(電話をかけてきたんだから、あなたは無事だと思ったというのです。でもね。ちょっと複雑でしたよ。)

結局、よく朝に煙がくすぶる焼け跡からはなにも見つかりませんでした。
アルバムとか、ずっと愛用していた机や椅子も、すべて失ったのでした。
黙って空を眺めていました。
不思議と、このときの風景は覚えています。


この一件で、周囲の方々の温かさ、人情を知りました。
特に親のありがたみを感じた時でした。

試験が間近でしたが、どちらにしても大学には報告せねばと、学生課にいったら、それは大変と、友人たちのノートやら教科書をコピーしてもらい。もちろん無料で。
なんとか、無事に進級できたのでした。

で、どうせ住むのならと…
入っていた市民オケのM市に引越しました。

でも、「楽器がない!」
ビンボー学生。
親からの仕送りと、家庭教師バイトでなんとかやりくりしていたわけですからね。

本当に、困ってしまいました。
でもまぁ、市民オケの…指揮の先生やホルンのおじさんたちに相談してみようと、試験が終わってから、練習場に…もちろん手ぶらでいったのでした。

結構、楽観的だったのですね。
いまと変わらす。♪( ´▽`)



続く

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