興味津々

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情報の時代

2017年04月05日 | ひとりごと
自分の生きている年月もずい分長くなり
もう「若い」とは言われなくなった

子どもの頃と今の時代が
どう変わったのか
と一口には言えないが

大きく変わった
とはっきり言えるのは
皆が知り得る情報の多さである

私の生まれた頃は
まだテレビも珍しかった時代で
人々の多くの情報源は
新聞であったりラジオであったり
週刊月刊雑誌、あるいは
身近な人達の間で交わされる会話であったりした

それが あっという間に
テレビとなり

今はもうネット時代だ

若い人達の中では
新聞雑誌はおろか
テレビさえ見る人達が減ってきていると
感じることがある

今は ネットの届かない僻地を除けば
情報内容の地域差に
ほとんど不公平はなくなっているのでは
ないかと感じられる

要は あふれる情報をいかに上手く選択し
いかに上手く受け止めて吸収するか
という「受け止める側」の資質によって
生活の価値は変わり得る

例えば 教育は。

もはや 
厳しい受験勉強を勝ち抜いて
求められる大学の入学資格を得て
都会の有名大学に入り
有名な教授の有名授業を受けて

社会に必要な学問を身につけて

あるいは「〇〇大学出身」という
肩書を身につけて

入社試験に臨み
安定企業に入る、安定した職業につく

という多くの者が選びたくなる
多くの親が子に歩みさせたくなる
「コース」は だんだんと
変化していくのではないだろうか

あるいは 変化していくべきではないかと思う 

有名大学の有名授業 は大げさだとしても

もし本当に純粋に学問を身につけたいと
思うのなら

いくらでも「学問」に必要な情報は
流れているのだから それをキャッチすれば良いだけのことである

もはや 学問 という言葉さえ
やがて死語になるだろうし。

もし仮に
情報を伝える担い手である「限られた人物」を
求めるのなら授業そのものをネットで流せば良いだけの話である

音楽などの著作権と問題は重なるのかも知れないが
そこさえクリアできれば

例えば 大学を出ないと取得できない資格でも
誰もが簡単に取得して目指す職業につけるのではないか

実習が必要であれば 実習の環境さえ整えれば
情報を受け取るためだけの授業は必要ではなくなるのではないか

生まれた環境が裕福であろうと貧困であろうと
自由に希望の生き方が出来ればいい

残るのは
〇〇大学出身 ということで繋がっている
ある意味で選ばれし人々の根底的な信頼意識

私はこれを全く否定はしないけれど
いつまで残るのか興味深く感じている
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