犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

辞書の話~高麗書林『現代韓日辞典』

2007-05-26 00:01:11 | 辞書の話
 植民地時代から解放後にかけての代表的な知識人,金素雲の編纂した辞書です。

 日本では,高麗書店から『現代韓日辞典』として1984年に刊行されているようです。じつは,私はこの辞書をもっていないのですが,ソウルで買った辞書で,金素雲『セ(新しい)韓日辞典』(ミンソ出版社,1968年)というのが手元にあります。たぶん同じものだと思います。

 序や凡例は韓国語で書かれているので韓国人向けのようですが、本文の日本語漢字に振り仮名がない点などを考えると、韓国人には使いにくそう。上級者にしか使いこなせないと思います。

 次は,「日本の利用者のために」と副題がある「おぼえがき」の一節。です。


 一時、韓国語が存亡の危機にさらされた時代があった。日本が戦争に総力を集中した1940年頃である。
 電文用語から韓語は締め出され、韓国語による新聞、雑誌は廃刊を迫られて追い追いに姿を消していった。もっともその以前から日本語の常用は強いられており、小学児童が母国語を口に上せば罰点をとられたりしたが、戦況の拡大につれて、いよいよ迫害は露骨化して来たわけである。その頃の緊迫した情勢は、当時、私の訳詩集「乳色の雲」(昭和15年)に寄せられた詩人佐藤春夫氏の一文でほぼ窺い知れる。
――語を最後に敬愛する半島の詩人らに寄せよう。卿等の廃滅に帰せんとする古の言葉を卿等が最も深く愛しようと思ふならば、宜しく敢然として日常の生活から抛棄し去って、わづかに詩の噴火口から、これを輝かな光とともに吐くに如くはあるまい。若し夫れ、ただ一人のホーマー、一人のゲーテ、一人の杜甫、一人の人麻呂が卿等の間に生まれさへすれば、その詩篇のために卿等の失わるべき言葉もまた、世界に研究せられて、千古に生きるを妨げないであろう」
 佐藤春夫のこの言葉は、一民族の国語の喪失を弔う挽歌とも、また、気休めの慰めとも受け取られるが、このような識者さえが「朝鮮語の廃滅」を大真面目に信じ込むほど、事態は差し迫っていた。
 その危機のさ中に戦争は終わり、祖国は解放されたが、これはただに国土、国権の回復というにとどまらず、じつに「国語」そのものの蘇生であり、解放でもあった。
 失われた国語の自由を再び手にした喜び――、センキビッチの「燈台守り」に描かれた国語への信仰をわれわれが身をもって学んだことは、得難い貴重な体験とせねばならない。

 65年に祖国に戻った金素雲は翌年春からこの辞書の編纂に取り組み、2年間で完成させたようです。

 時代物の辞書ですから、今となってはこの辞書の利用価値も少ないですが、巻末の韓日動植物名対照表は、約2000種の動植物名の学名、和名が検索できるすぐれものです(私はこれのためにこの辞書を買いました)。

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